見出し画像

『天気の子』見て『すずめの戸締まり』を振り返る

金曜の夜ということで、一人酒をして酔った勢いで、天気の子を見た。
買った後、ロクに開封もせず、寝かせていたBDで視聴。
劇場で2回見ていたので、これで3回目。


変わらず傑作だったし、語りたいことは山ほど出てくる作品なんだけども、書きたいことが多すぎてまとめられる気がしないので、また別で丁寧に書きたい。

せっかくなので、新海誠の最新作、『すずめの戸締まり』について感想を書いていこうと思う。
恐らく、積極的に見返すことはないかと思うので、記憶があるうちに…


一言でいうと

『すずめの戸締まり』の作品を一言でいうと、「ジブリ目指しました」な作品なのかなと。

新海誠要素もモリモリな作品だったが、目指しているのは、ジブリだったのかなと思った。
こういう言い方すると新海誠も嫌うかもだけど。

現実の物理法則を無視した、異世界の存在。
意思疎通ができる神(しかも小動物)。
可視化され、怪獣のように描写される天災。
人間の手によって変えられる環境。

めちゃくちゃジブリ要素が詰まっているし、おもっくそファンタジーだ。


今までも、ファンタジー要素といえる、奇跡は存在してきた。
『天気の子』は天気、『君の名は』は入れ替わり、そうした不思議な現象をアクセントにしている。

ただ、日常にある現象だったり、規模が小規模(個人同士の現象)だったりと、日常感がそこにはあったと思う。
どっちかというと、ドラえもんの秘密道具に近い感じ。


一方で、今作は世界を変える超常現象が、作品のテーマになっているし、その超常現象をどうにかすることが、目的になっている。
作品の規模感がぜんぜん違うのだ。

『天気の子』は、ヒロインを救うために、世界を変えていたが、『すずめの戸締まり』は最初から世界を変える(治す)ことが目的な作品になっている。

ここが、『天気の子』を始めとする過去の新海誠作品と異なる作品だったと思う。
もちろん、ボーイ・ミーツ・ガール要素はしっかり入っていたけど。


テーマ自体はめっちゃ面白そうだけど…

あんまりあらすじを長く書くのはすきじゃないのでザックリと。

今作品は、主人公のすずめが、神のイタズラで椅子にさせられたイケメンと一緒に、日本各地を旅する作品である。
放置すると、地震などの天災を日本各地にばら撒かれるという、異世界への扉を閉めながら、イケメンを椅子にした神を追いかけていく。

舞台は一箇所に限定されることが多かった過去の新海誠作品にはない、ロードームービー的な要素が珍しい。
この描写される日本各地は、今までの新宿などの大都会ではなく、寂れていく地方都市だ。

『君の名は』では、ヒロインの家はド田舎だったが、そこまでの田舎ではない、少しず~つ変化していく地方都市が舞台になっていく。
オタクにしか伝わらない例えだと、CLANNADの舞台のような。

そうした日本各地で扉を閉めるのだが、その際に重要になっていくのが、扉がある土地に関係する、人々の想いだ。
主人公はその想いを声として聞くことができ、それを力にして扉を閉めることができる。
※厳密な設定は違うけど、記載すると長くなるからそういうことで!


主人公は各地で旅をしながら、その土地の人々と出会い、助けを得ながら、旅をしていく。
土地の人々から優しさと、その土地への想いを聞き、それを力にしてその土地に降りかかろうとする天災を防いでいく。

扉を閉めるという行為を通じて、今まで大都会か大自然しか描いていなかった新海誠が、その中間に住む人々の想いを描いていく。
めちゃくちゃ面白そうなテーマだ。


あちこち行き過ぎぃ!

そのテーマ性に気づいてからすごいワクワクしながら見ていたのだが、ここは掘り下げられなかった。
というか、話の展開上省略せざるをなかったというか。

まず、主人公たちは日本各地を旅していく。
1つの土地で出会った人たちとも、数十分で別れていく。

結局、その土地や人々の魅力だったりは、感じきれずに終わっていく。
廃遊園地でのシーンもあるのだが、そことか新海誠が遊園地の背景書きたかっただけで、土地を移動させたんじゃないかと思う…


おまけに、本筋が神やら天災やら、古代からの陰陽師やら、ファンタジーな要素盛りだくさんで、そこの設定描写やらで時間が取られる。
しかも、その設定も、イマイチ主人公たちのドラマに深く関わってこない。

幻想世界みたいなところに行ったり、古代の扉を探すために東京に行ったりと、話の展開上、仕方なく移動させられている、と感じる箇所が非常に多かった。

テーマが多すぎた

個人的に、『すずめの戸締まり』が傑作といえなかった理由は、テーマが多すぎたからだと思う。

先述したロードムービー的な要素やファンタジー要素に加えて、家族愛なんかもぶっこんでくる。
擬似的な親と子の関係の難しさとか、1作品使って書く話なんよ!

当然、ボーイ・ミーツ・ガールものとして、男女の恋愛も描かなきゃいけないわけで…


正直、何が一番描きたかったのが、分からなかった。

『天気の子』を見返して思うのが、テーマが非常にシンプルでわかりやすいということ。

大人と子供の対比し、子供だからこそ持てる純粋な愛情。
そんな愛情は世界がどうなってもいいくらい、最高なもんじゃないっすか?というメッセージがビンビン伝わってくる。

少女と少年の愛って、世界よりももっと大事だよね、というセカイ系に1つの新しい回答を出そうとした作品だと思う。


『天気の子』はテーマの選択がしっかりとできていて、例えば主人公の家出してきた話とか、ヒロインが母親と死別している話とか、やろうと思えばいくらでも「家族愛」的なテーマをできたと思うが、そのあたりはバッサリカット。

主人公が家出した経緯なんか一言で片付けられている。
ヒロインの弟も、子供の純粋なセカイを表す演出的な役割に落としている。


今作品も、それくらい、家族愛なのか、恋愛なのか、地域のコミュニティなのか、もう少し土台となるメッセージがしっかりとしていれば、名作になったと思う。
個人的には「土地と人」をテーマにガッツリやってほしかった。

あるいは、1クールか2クールくらいのTVアニメだったら、これくらい要素モリモリでも大丈夫だったかも。


宮崎駿にはなれない

色々と批判してしまったが、この作品は駄作ではない。
見ればそこそこは面白い。

脚本の粗さとかは昔から続くクオリティだったが、その粗さを補える勢いと、新海誠節を随所に感じられる映像美は相変わらず。
大迫力なアニメーションは、ボリューミーで見応えはある。

ただ、やはりジブリ(というか宮崎駿)にはなれなかった、そんな作品だと思う。


新海誠の過去作で、『星を追う子ども』という作品があったのだが、これもジブリの影響を濃く受けていた作品だった。
私は一番あの作品が新海誠作品で駄作だと思っているが、それに比べると全然マシだ。

新海誠も成長はしている。
でも、彼はやはりエロゲやセカイ系で育ったオタクで、オタクが大嫌いな宮崎駿とは違うのだ。

世間にエロゲの、「オタクのコンテンツ」の良さを希釈して見せつけた、『天気の子』みたいな作品が、自分が好きな新海誠作品なんだなと、比較してみて改めて思った。

次の新海誠作品は、彼の大ファンとして楽しみにしているが、宮崎駿ではなく、「オタクの」新海誠としての作品を作ってくれることを楽しみにしている。


※ちなみに、天気の子のレビューで一番好きなのは下記のブログ。
 天気の子はエロゲ(嘘)
https://cr.hatenablog.com/entry/2019/07/23/000034


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?