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自分なりの幸せを見つけること 映画『PERFECT DAYS』 感想

昨日は東京にしては珍しく、しっかりと雪が降った。午後から在宅だったのだが、自分は在宅勤務だとあまり集中できない性質。どうせ仕事そんなに進まないし、せっかくの雪の日なのに、部屋でダラダラと過ごしているだけなんてもったいない。雪という非日常を味わいたくなり、近場の映画館に。ちょうど気になっていた映画『PERFECT DAYS』を鑑賞した。

今日はその感想を書きたい。明確なストーリーがある作品ではないが、ラストシーンについて言及しているので、未視聴の人は注意。


日常にある幸せ

本作品は、役所広司が演じる「平山」というトイレ清掃員の日常を描いた映画である。ここで描かれるのは本当に正しい意味での「日常」。毎朝の起床からひげそり、出勤まで、丁寧に彼の日常が描かれる。毎日のトイレ清掃にも、劇的な変化やドラマもなく。まさに日常が描かれる。

でも、そんな日常でも、決して同じものはない。トイレが置いてある公園の人々の会話、よく通う店のお客さんの他愛もない会話。神社の木々から漏れる木漏れ日ですら、彼にとって同じと感じることはない。そんな少しの変化を平山は感じ取り、幸せになる。無口な彼は、ただ黙って微笑む。


要するに、この作品のメッセージは、「日常にある自分なりの幸せを感じ取ろう」ということだなと思った。

平山の感じる幸せは、決して世間から評価されるような幸せではない。トイレ清掃員という職。ボロいアパート。趣味は、木漏れ日の写真を撮る事と苗木を育てること、あとほんの少しの音楽。そんな彼の生活を世間の尺度で評価すると、「不幸せ」になるだろう。

でも、彼は幸せそうに微笑む。その生活で十分に満足できている。そこには自分なりの幸せの価値観があり、それを満たすために日々を生きることができているからだ。


ここ最近の自分の好きなテーマなので、これを真正面から描ききってくれた今作品は割と好きだ。本当に、顔は役所広司だけども、それ以外は冴えないおじさんの日常でしかない。でも、そんな映像にも幸せは感じられる。

何も起きない日常というドラマを回し続けた挑戦作とも言える。映画って本当に自由だなとも思った。

また、今作品はこれを平山が厚かましく説教してこないのが良い。彼はあくまで淡々と自分の日常を送るのみ。そして、この映画はそんな彼を撮っているだけ。そこに、忙しなく他人の価値観に振り回される現代人を啓発してやろうとか、そんな説教臭さはほとんどない。これは非常に良かったと思う。


あのラストシーンをどう解釈するか

この作品は、素敵な日常を送ってハッピーなおじさんの話、というそんな単純な話ではない。個人的にはそっちに舵を切ってくれても良かったのだが、そうはならなかった。あのラストシーンをどう解釈するか。あの笑いながら流す涙をどう解釈するか。それはすごく人によるだろう。

しかも、涙のシーンの裏で流れるのは、ニーナ・シモンの『Feeling Good』である。公民権運動に参加し、波乱万丈な人生を送った彼女が歌う「気分が良い」というあの歌詞。怒りと悲しみと喜びとごちゃまぜになった歌声。あれを聞いて、単純に自分なりの幸せな人生を送っている幸福な男の物語だったと、自分は解釈はできなかった。


監督からの一種の警告だと自分は感じた。世間からの評価に惑わされず、「自分なりの幸せ」を獲得していくこと。それは世間から隔絶される部分もあるということである。ある種、孤独な道を行くことになる。

そして人生は決して幸せなことだけではない。それをたった一人で受け止める辛さ。そうした、「平山」の辛さもしっかりと伝えている。平山はそれでも、なんとかして笑う。しかし、この映画のキャッチコピー「こんなふうに生きていけたら」をつけた人は、このラストシーンを見ているのだろうか。ある意味、あのラストシーンは「こんなふうに生きていくのは辛いな」とすら思えるシーンでもあったと思うが。


多義的なシーンを挿れることで、映画の「重さ」としては格段に上がったし、素晴らしいシーンだと思う。でも、自分は最後は思いっきりの笑顔で終わってほしかったなとも思う。人生としてはあのラストシーンがふさわしいのかもしれないが、これはフィクションの映画なのだから。ハッピーEndが大好きな自分にとっては少し残念だった。


自分の中の「Perfect Days」は既にある

少し余談的な話だが、自分にとっての「Perfect Days」はどういったものだろうか。平山の生活は、あまりにも人間離れしていて到底できそうにないし、憧れもしない。無欲すぎる。日常の中から幸せを見つける彼の生き方は尊敬はするが、具体としてあの生活を送りたいわけではない。

では、どんな生活か。この映画を見終わったときに、一番見たくなったある男の生活がある。『らーめん再遊記』の「ラーメンハゲ」こと芹沢さんだ。この作品の2巻の彼の日常が、自分にとっての「パーフェクトデイズ」なのだ。


大多数の人は知らないだろうので、芹沢さんの経歴を紹介する。
ラーメンオタクとして自分を捨てきれず、脱サラしてラーメン屋に。その後、紆余曲折ありそのラーメン屋は大成功し、その資金を基に始めたフードコンサルタント事業も大成功。いわゆる、超成功者、である。

ネットで有名な画像。コンサルタントとして尖っていたころの芹沢さん

そして、1巻で社長を若いものに譲り、自分は悠々自適の引退生活を送る。といっても、今作品の主人公みたいに、僧侶みたいな貧しい生活ではない。スマホをいじり、Youtubeを見る。昼間から酒を飲む。労働に勤しむ人々を想像し、それを肴にして。

そんな最悪な性格、かつ「俗な生活」をしている芹沢さん。まさに平山とは真反対な生活である。でも、この俗っぽさが好きだ。人間なんてこんなモノだよな、と安心感がある。しかも、芹沢さんはただの嫌で堕落的なヤツではない。ラーメン界の「万人の形式」を作り出すという大きな目標のために生きている。


自分なりの大きな目標があり、そのための努力をしながら、俗世間を思いっきり楽しむ。その俗世間の楽しみ方は、別にお金を使う必要はなくて、昼間からビールを飲んだり、良い風景を見たり、自分なりのやり方で良い。
これが自分の「Perfect Days」な気もする。


少なくとも昨日は「Perfect Day」だった

半分くらい芹沢さんの話をしてしまったが、映画も非常に良かった。その後の体験も含めて、余韻がすごい。映画館を出たら、辺りは一面の雪景色。ちょうどイベント期間中だったのか、ライトアップされたりもしていて、すごく幻想的で良い光景だった。

様代わりした東京の夜の姿を楽しみながら、帰路につく。途中、平山がいつも食べていたようにサンドイッチと牛乳を買う。

鑑賞券捨てかけたのでクシャクシャだった…

家で、牛乳とサンドイッチを食べながら、監督のインタビューを見たり、映画で使われた音楽を聞いて、映画について考える。すごく幸せな時間だった。間違いなく、家で引きこもっていた1日よりも、良い1日を過ごせた。昨日は、自分にとって「Perfect Day」だったと思う。

素敵な1日にしてくれた映画に感謝。以上!

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