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料理とは「こだわり」の積み重ねである  映画『シェフ』を見て

「料理」という行為に対して、人によって抱く感情は全然違うだろう。面倒くさいと感じる人もいれば、楽しいと感じる人もいる。

自分は、嫌いじゃないし自炊はしているが、趣味とはいえない。料理というのは、そんな立ち位置だ。

便利なこの時代、コンビニ飯はじめ、簡易に食べることができて、かつ美味しいものが溢れている。そんな現代で、なんで時間をかけて料理をする必要があるのだろうか。そう思ってしまうと、時間をかけた料理というのはどうしても手が伸びない。

そんな風に思っていた自分が料理人の映画、『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』を見た。今日はその感想を書きたい。結論から言うと、この映画の影響で料理が少し好きになったし、noteの投稿ももう少し頑張ろうと思えた。


料理ってなんだろうか

レストランオーナーと提供メニューについて意見が合わず、自ら職を辞めたシェフ、カールがフードトラックでキューバサンドを売り始めるというのがこの映画のあらすじ。

格式高いレストランでコース料理を提供していた一流のシェフが、フードトラックでサンドイッチを販売する。料理人としては、都落ちもいいところだ。でも、この映画の主人公であるカールは、前向きに、楽しそうにサンドイッチを作っていく。

大体の映画だと、こういった環境に陥った主人公は不貞腐れたりするものだ。しかし、今作の主人公はへこたれない。むしろ、イキイキと料理をする。


その理由は何だろうか。なんで主人公はこんな前向きにフードトラックの狭い厨房に立つことができるのだろうか。

その理由を考えながらこの映画を振り返ったとき、ジョン・ファブロー監督が考える料理の本質が見えた気がした。料理の本質とは、自由に「こだわる」ことだと自分は感じた。


今作品、当然だが何度か料理をするシーンが挿入される。しかし、フードトラック業を始めるまでの料理シーンは、実は3回しかない。

  • オーナーにメニューを否定された主人公が、夜中に新たなメニューの試作を行うシーン。

  • 息子に朝食のトーストサンドを作るシーン。

  • メニューの考え方で対立してレストランをクビになった後に、自宅で黙々と出す予定だっとメニューの品々を料理するシーン。

これらすべての料理シーン、「プロのシェフとしてお客さまに出す料理」を作っているシーンは1つもない。すべて、試作だったり、息子に出す家庭料理だったり。「シェフ」の描写としてこんなので良いのだろうか。

最期まで見ると分かる。これらのシーンこそ、監督の考える「料理」の本質が詰まっている。だから、時間をかけて描写しているのだ。

今作品の冒頭では主人公は雇われシェフで、自由はなく、言われるがままに料理を作る存在だ。だから、客に提供するフルコースの料理のシーンは描かれない。

一方で、上記の3シーン。主人公はノビノビと、自分の好きなように、「こだわって」料理を作っている。どういった配合でソースを作るべきか、どのような配色が美しいか。素材から盛り付けまで、こだわりながら、自由にメニューを作っていく。

料理とは、こうであるべきなのだと監督は強く主張している気がする。高級フレンチだろうと、家庭料理だろうと関係ない。自分の「こだわり」を入れ、差別化する。それこそが料理の本質であり、楽しさなのだと。


特に、これを象徴しているのが息子の朝食を主人公が作るシーン。自分も大好きなシーンだが、このシーンこそ、この作品の本質な気がする。

この料理シーンはごくありふれた家庭料理を作る場面だ。しかし、こんな家庭の朝食のトーストサンドでさえ、焼き上がりの焦げ目まで主人公はこだわり抜く。その眼は本当に真剣で、冒頭のシェフの格好をしたシーンの何倍も「シェフ」らしさが出ていた。


この料理の本質を主人公は理解しているからこそ、フードトラックでも、イキイキと働けるのだ。

アメリカ各地を旅しながら、現地の食材を調達し、それを売りにしたサンドを考え、作っていく彼は本当に「料理」を楽しんでいる様子だった。物語の後半は息子も含め、楽しそうに「料理」を行うシーンの連続だ。

ただ、美味しいものを食べるだけなら、別に料理をする必要はない。自分なりの小さなこだわりをつみかさねることで世にあふれているものと違いを生み出す。そして人々を少し幸せにする。それこそが料理であり、そこに自由と楽しさがあるのだ。


少し自分に重ねると

残念ながら自分はそこまで料理は上手くないし、情熱もない。ただ、自分に置き換えると、こうした「文章を書くこと」が主人公にとっての料理みたいなポジションかもしれない。

もちろん読む人のことを考えて書いているし、そこを評価されると凄く嬉しい。でも、決して人には理解できない「こだわり」は絶対にある。誰よりも、自分のためだけに、こだわって文章を書いている。

句読点の位置、表現、主張。稚拙なものだけども、気になりはじめると何回も推敲したりするし、気に入った文章を書けるととても嬉しい。

だからこそ、こうして時間を割いて文章を書くことができるし、書き上げた時、何よりも自分自身が一番嬉しいのだ。


今作品はで主人公が息子に説教するシーンがある。ちょっと焦げてしまったパンをお客に出そうとした息子に対して、静かに語りかける。

パパは(料理が)大好きだ。
料理から色んな喜びを与えてもらったからだ。
(中略)
だからお前に教えたい。料理は人をちょっと幸せにできる。

このセリフも凄く良い。一番最初に、お客さまに対して失礼だ、とか、そんな道徳的な説教をしていない。素晴らしい「料理」という行為を汚すべきではない、そんなシェフとしてもつべき誇りを伝えているのだ。

だから、この映画は好きなのかもしれない。人を笑顔にするため、なんて聞こえの良い言葉ではなく、自分が好きで楽しみたいから、という独善的な理由で何かを行うこと。そのことの素晴らしさを伝えてくれ、応援してくれているような気がするのだ。

「好きなこと」というのは、本質的にはそういうことだと思う。まずは自分のためにあるものだ。


良くも悪くもSNS

本作品のサブテーマとしては、SNSの要素があるだろう。主人公はSNSで窮地に立たされる。自分を酷評した料理評論家にブチ切れるシーンがネットに拡散され、ミームになってしまったからだ。

一方で、逆にSNSに救われもする。主人公の息子が上手くSNSを活用し、彼の作る料理の魅力を世界に届ける。そして、それによって人が集まってくる。

SNSの功罪を上手く描いていると思う。ツイートの演出も含めて、すごく好きな描き方だった。SNSとはこういうものだ。良くも悪くも。


しかし、ツイートとともに青い鳥が羽ばたく描写に懐かしさと、もうこれは描写できないという悲しさを感じてしまった。
「Twitter」を返してくれ、イーロン…


じんわりと評価があがるいい映画

視聴しているときに、凄く盛り上がる映画と言えば、そうではない。じんわりと自分の中で評価があがっていく映画だった。見た後はいい映画だったな、くらいの印象だったのが、ドンドンと自分の中で評価が上がっている。2回くらい息子の朝食を作るシーンは見返してしまった。

ちなみにサントラも最高だ。音楽のセンスが本当に良い。購入するか真剣に悩んでしまっている。後は何気に、吹き替えの声優が超豪華。高山みなみに林原めぐみって…高木さんもいます。

料理が好きな人も、そうでもない人も。明日、何か料理をしたくなるような素敵な映画だ。
いや、料理に限らず、自分の好きな何かを頑張ってみたいなと思える、そんな映画だ。オススメです。


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