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広告はラブレターでもポエムでもない。

時々「広告はラブレターのように」というふうなアドバイスが出回ります。

広告とは、相手のことを思い、自分をアピールしながら確かな約束をするラブレター — 『ステートメント宣言。』によせて(髙上晋) #宣伝会議 | AdverTimes.(アドタイ) by 宣伝会議

https://www.advertimes.com/20210318/article342663/

ある意味ではとても大切なことなのですが、その一方で「好きな対象が明確で、自分の気持ちも明確で、とにかく好きだと言うことを伝えて、もしダメで玉砕した時はそれはそれで仕方がない」というラブレターと、経営活動の一環として営業利益の中から販促予算を捻出し、さらに人的リソースや経営リソースをかけた施策で玉砕なんて許されない広告は一緒にしたらいかんだろ、ってよく思っています。

広告の取扱はビジネスですからねぇ。

そういう意味で「広告コピーはラブレター」とか、「企画のプレゼンテーションはあなた自身の想いを!」とか、そういう昭和っぽいポエムで説明しようとするのはやめた方がいいんじゃないかなぁといつも思っています。

なぜなら、それで顧客の業績は拡大するのか?っていうと全く関係のない話ですよね、ポエムは。

別にそこに消費者への愛はなくても,あなたがクライアントの商品が好きでも嫌いでも、企画に対する想いが拙くても、関係はないです。

そもそも、広告はマーケティング施策の一環で、マーケティング課題を解決するため実施するものですから広告はその意図に沿ったものでなければいけません。そこに、当事者(っていうか、提案する側やその業務を受託している側)の思いや感情は入る隙はありません。さらには、その広告出稿がどのようなメカニズムで広告主企業のマーケティング課題や事業課題を解決するのかを説明するのが広告企画のプレゼンテーションです。

ポエムのような心構えで提案されたりラブレターを見せられるよりも、その広告では具体的な経営的成果(売上拡大、消費者認知、消費者の商品理解、販売時のコスト削減等)が見込めるのか?それはどのようなメカニズムで達成されると見込まれており、その成果達成に向けたシミュレーションはどのような科学的データ根拠に基づくのか?が先にないと全然ダメです。

ただ、先に書かれている人たちの事例って、そんな経営的成果やデータなどを十二分にわかりすぎるほど踏まえてきた先の勝負で「ラブレター」になっているという視点も必要だとはおもいます。

もう、遙か雲の上の勝負のこと。

その遙か雲の上での戦いの場に参加している人から「ラブレター」が出てくると、それはなかなか敵うものではないでしょう。
一方、まだまだ現場の第一線で戦っているゲリラ線や地上戦でラブレターが出てきても、それは根拠のない夢物語であって、空想のポエムでしかない。アクション映画の「死亡フラグ」みたいなもんです。

そのあたりのことをきちんと理解せずに、はじめから全てをポエム的な気持ちで広告や企画プレゼンテーションに取り組んでしまうと、一気に「思っていたとの違う」「私でなくていいのか」「結局相手がわかってくれない」といった感情のみで判断をしてしまう過ちを犯してしまうのかなと思います。

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