見出し画像

仕事って、転職してもしなくても将来転職レベルでその内容は変化していくって思った方がいい。

リスキリングとかアップスキリングとかの新しい言葉が出てきて、誰かが定義をしてしまうとなんか勘違いや思い違いをしてしまうことがあるよなぁという印象がある。

基本的には、これからの社会は転職を前提にするにせよ、転職せずにずっとその企業で働き続けるにせよ、学び続ける必要があるのですよ。

だいたいですね、22−23歳くらいの時に大学で学んだ程度の知識と、その後企業に入って学んだ知識スキルレベルで40歳、50歳、60歳を駆け抜けられるか?といえば、それは無理なんですよ、世の中の変化が早いから。

例えば私の場合だと、40年くらい前に大学で学んだのは金融論。当時、まだ都市銀行が13行もあって、政府が戦後の金融体制を強固にするために「護送船団方式」といってかなりそれぞれの企業を守っていた時代。ところが、その後金融の自由化がグローバルで起こり、バブルの崩壊があり、低金利時代に突入し、今では都市銀行は4行しかない。学生時代とそこから社会人になってからの社会においてはそれほどの環境変化があったわけで、そりゃ学生時代の知識範囲では全く役に立たない。
さらには、デジタルだのキャッシュレスだのAIだのでこれから先もまだまだ変化が起こるだろうと予測されている。

そりゃ、今までの知識範囲の中で、今の業務に必要な知識を得て、今の業務だけをやっているのでは、将来の変化に対応できないのは当然だよといわざるをえない。

ところが、生涯教育とか常に学んでいく必要性とかの風潮があるのは良いかが、新しい言葉を作ってそれを定義づけしてしまうと変な誤解が生まれてしまう事が起きている。

この記事で書かれているリスキリングの定義は以下の通り。

(1)アップスキリング → 業務に必要な知識やスキルを手に入れること
(2)リスキリング → 新しい職業に就くために、新しい知識やスキルを手に入れること(転職とは限らない)
(3)アウトスキリング → レイオフの可能性の高い社員が、転職に役立つ知識やスキルを手に入れること
(4)リカレント教育 → 仕事と切り離して学び直すこと(生涯学習)

「リスキリングは必要?」と思う人の残念な"誤解"

なんかこう定義されていしまうと、学びって
・今の仕事を継続するため
・転職のため
・レイオフされないため
・趣味?
みたいなモノがその動機(モチベーション)だと捉えてしまう人がでてくるだろうなとおもう。(それがこの記事に書かれているような、「会社からリスキリングを義務づけられてから、仕事に対するモチベーションが著しく下がっている」と言う人)

「リスキリング」って言葉の意味に「新しい職業に就くために」とか「転職のために」という意味合いをつけてしまったが為に、なんかもったいないことになってるんじゃないかな?って気がしている。(誰が、そんな意味づけ・定義づけをしたんだ?)

もうね、そうじゃなくて「一つの職業」「同じ仕事」をしていこうと思っていても数年たったらその内容を変えていく必要がある、という意識が必要で、その意味を込めて「新しい職業に就く(と同じレベルで仕事が変わる)」のだから常に学びが必要なんだよ、と意識しないとダメなんじゃないかと思う。

製造業であったとしても、モノを大量に、高品質かつ効率的につくっていればよい、じゃなくて社会やマーケットから求められていることは「もの創りを通じたサービス化」だし、「デジタルを組み合わせた顧客体験の創造」になっている。そんなことを考えれば、当然もの創り以外の知識やスキル以外も当然必要になってくる。

だから、たとえ同じ会社で同じ仕事を続けていたとしても、社会から求められるものが変わってくるのだから、それに対応するために今まで学んできたこととは異なる領域を学ぶ必要があるということ。
実はそれが大きな意味での「リスキリング」なんじゃないだろうか。

だから、リスキリングのモチベーションを転職とか、リストラ回避とか、趣味とかそういうところに求めてしまうような言葉の定義って止めた方がいいんじゃないかなと思うのです。

あ、あとね、この記事ではそのリスキリングには月16−17時間の時間必要云々と書かれているけど、その時間を捻出するのは実はとっても簡単。
どうやるかと言えば「通勤時間の片道30分で、毎日、本を読むことを自分に課す」だけでその月20時間は確保できる

じつは、たったそれだけのことを毎日数年続けるか続けないかで、この変化する社会に対応できる新たな知識を得ていくことが出来るんですよね。

そんなことを考えた記事でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?