近未来のハト小屋

播磨宮守ハリマミヤモリは駆け出しの建築診断士。ある仕事で出会った中古機械販売店の女、春日居カスガイツバメを助手に少しづつ業務を広げる中、とあるビルの雨漏れ調査を依頼される。

 真っ暗な階段室の天辺にある鉄扉に手をかけ、引き開ける。光と風があふれ、しかし視界は期待していたほど広がらなかった。ガラスとアルミの壁、首都高層街区が壁のようにそびえていた。林立する高層ビルと、その棟間にかけ渡された小枝のような連絡通路の交差。摩天楼のてっぺんから幾筋も空に伸び上がって合掌するカーテンドームの頼りない骨組み。天を衝くその姿は大きく、重かった。

 春日居もそれを見上げなら、強い風に髪をなびかせて屋上へ踏み込んでいく。細長いビルの上の、細長い屋上だ。日ごろ人が立ち入らないのだろうか、微かに砂が積もっている。しゃがみこんでそれを払うと、塗膜防水のコーティングがいまだに灰色の艶を保っていた。一見して改修の必要はなさそうだが、この屋上すぐ下で雨漏りが起きているという。見た目は綺麗でも、どこかで薄膜が切れているのだ。

 しかし探すまでもないだろう。まず間違いなく目の前の物が原因だ。春日居は腰に両手をあて、その大きな乳白色の塊を見上げた。

「イモムシみたい」

 高さ二m強、長さ十数mの立方体が屋上に横たわっていた。樹脂プレート外皮がハニカム状に組み合わさったコンテナは彼女の言う通り芋虫のような足をいくつも備えており、それが屋上防水の上にボルトで固定されている。

「こいつが防水を傷つけたのかも」

 眼鏡ウェアラブルモニタでよく見れば、灰色の錆止め塗装に塗れたナットの隙間から、錆の赤色が細く垂れていた。

「よくある話」
「まったくだ……?」

 その時、コンテナが小さく震えた。春日居と目を見合わせ、互いに辺りを見回す。その間にもハニカムプレートの一枚が厳かに傾き、手を差し出すように外へ向かって開きはじめた。

「見つけた」

 彼女の指差す方向を見上げると、林立ビル群を背に滑り降りてくる機影が見えた。眼鏡の望遠を働かせ拡大すると、緑色の運送ドローンが鮮明になる。
 コンテナの壁プレートが外倒しになり、がちりと固定音が木霊する。正六角形に開いた暗がりをのぞき込むと、中には色とりどりのドローンが収まっていた。
 運送ドローンが野太い羽音を鳴らして着陸盤の上に落ち着く。盤からフックが伸びて機体の脚を引き寄せ固定。フックはぎしりと音を立てて引き締まる。さらにもう一度、フックの固定音。それを終えると着陸盤はコンテナ内へゆっくりと滑っていき、続けてプレートがゆるやかに閉じていった。
 コンテナが微かに震えはじめる。近づいて耳を澄ませると、何かが噴出する音のようだった。機体を洗浄しているのだろう。

 この手のドローンステーションは充電、洗浄、機体診断を行う簡易ドックで様々なものがあるが、基本的に新築時ではなく後から設置するものだ。当然、取付けトラブルがたびたび起こる。今回もそれだろう。

「とりあえず写真を精査しに帰ろう。……春日居?」

 春日居を見ると、両手を目の上で庇にしてステーションの窓を覗き込んでいた。

「ねぇ。今のドローン、へんじゃなかった?」

 樹脂窓から手を放し、すすで汚れた両手をジャケットの裾でこする。視線はいまだにコンテナを見つめたままだ。

「変って何が」
「色。デカールやステッカーとは違う。でも汚れにしては鮮やかだった」

 彼女はまくし立てながら裏拳を飛ばしてきた。眼鏡の前でぴたりと止まったその腕端末から撮影データがこちらの視界に流れ込んでくる。春日居はそこから一枚の画像をつまみ上げた。

 さっき格納された輸送機が暗いコンテナの中に鎮座している。円環状のプロペラガードを洗剤の泡が流れていた。弧を描くそのパーツに一筋の朱色が引かれている。線は蛇行し、擦れていた。彼女の言う通り、何かにこすった傷跡だとしたら長すぎるし色も鮮やかだ。

 画像を消し、春日居は顔を近づけてささやいてきた。

「一昨年くらいの話。都心であった誘拐事件、覚えてない?」
「ああ、高層街区のか」

 二、三年前に高層街区住宅層で一人暮らしの女性が外骨格マッスルアシストスーツをまとった男にバルコニーから侵入、拉致され、下層部の部屋に監禁された。男は外壁保守点検員で、建物管理システムを不正に掌握。監視カメラから清掃ロボットまで使って彼女を見張り、脱出の道を断った。
 だが女性は男に服従を装って化粧品を手に入れると、それを使って宅配ドローンにSOSを書いた。近所の居住者がそれに気づいて警察へ通報。共用部管理システムの不審な挙動から、男の逮捕につながった。

 事件のせいで高層街区がらみの仕事は審査がいちだんと厳しくなった。もともと縁は無かったため実害は受けていないが、他所の仕事の必要書類が二、三枚増えたことがある。

「覚えてる。……これが同じだと?」
「ただの汚れじゃないのは間違いない。調べようぜ。もしSOSだったら大変だ」
「管理者に伝えればいいじゃないか。ぼくらは部外者だぞ」
「高所には魔物が住んでるんだ」

 春日居は鼻息も荒くそう言って、彼方の高層ビル群を睨み上げた。

「あそこの子供は地上をしらないまま育つらしいぜ。そんなところじゃなんだって起きる。最悪を考えるべきだ」
「じゃあ急いで警察に通報しよう」
「高層街区じゃ警察は満足に動けない。任せきりにはできない」
「本音を言え春日居。高層街区に踏み込む口実が欲しいんじゃないのか」
「……冷たいな」

 彼女はこちらを振り返らないまま、声を落とした。

「首を突っ込むのが好きなのはお互い様だろ。マンションの時と同じじゃないか」
「……帰ろう。今日の仕事は終わり」

 依頼者の生活が脅かされているならつっこんだ調査もする。だが今回はビル屋上の調査を受けただけだ。ステーションはビルと別の持ち主がいるし、あのドローンだってコンテナ所有者のものじゃない。建物と関係ない落書きに関わる理由はないのだ。

 大小のドローンが空を過ぎっていく。何機かを見送った後、彼女は肩を落として振り向いた。茶色の瞳は伏せられ、こっちを見ていなかった。

「ヤモリー! ジニアス貸して!」

 事務所兼自宅のドアを閉めるなり、春日居が靴を脱ぎ飛ばしながら突っ込んできた。AR書類棚をかき分けて来ようとするのを制し、データを避難させる。その間に春日居は上着を床に放り捨て、こちらに拳をつきだしてきた。思わずため息がもれたが、拒否するともっと面倒だ。データ受け取りを認証。架空のホワイトボードが彼女の拳と写真を受けとめた。

 皇居をドーナツ状に囲むすり鉢状の高層街区図が広がる。その南西に赤いピンが待ち針のように茂った。

「なんだ。この数」
「ドローンだよ、落書きされた!」

 春日居がピンを弾くと十数枚の写真が並んだ。色とりどりのドローンが落書きを帯びて飛んでいる。ドローンの種別は様々で、落書きもそれぞれ形や書かれた場所が違っている。
 誰かがコメント共に撮影したドローンがある。白の機体に赤の三本線がよく目立つ。撮影者は「なんだこれ?」と一言。その次は黒いドローンに赤のバツ印。その次は緑に青丸。白に緑うずまき、黒に緑バツ、メタルブルーに青の花丸……。

「三色しかない?」
「いまのところは。マークはバラバラなのに色はきっちり三つ」
「SOS感は無いな」

 話しつつ端末からSNSを覗く。これだけの数が見つかるなら、誰かしらが話題にしていてもおかしくないはずだ。ひょっとすると何かの宣伝の一環かもしれない。

「あ、写真探そうとしても無駄だよ。もう消えてる。ここに持ってきたのも全部」
「……なんでだ?」
「ジニアスに聞いてみたけど」

 春日居はキャスターを鳴らして自分の椅子を引っ張ってくると、写真ボードに半ば埋まりながら腰かけた。

「フリー版じゃなんも教えてくれない。だから企業ライセンス版の手を貸してほしいわけ」

 頷いて応えるが、頭の中は疑問だらけだ。
 町を背景にした写真なんて誰のプライバシーが写り込んでもおかしくない。自動判定で消されることもある。だが、それで全部消えるだろうか?

「ジニアス。助けて欲しい」
『やぁ播磨さん』

 呼びかけに応え、業務支援人工知能ジニアスの象徴である青い盾型紋章が中空に姿を現した。ジニアスがスピーカーを震わせるのにあわせ、盾の中の天秤が揺れる。

「これなんだろ?」

 ジニアスへ春日居の写真を開放すると、青銀の受け皿はきりきりと小気味いい音を立てながら回転した。

『同様の問い合わせが数件ありました。残念ですが私にもわかりません』
「これに何かメッセージ性は?」
『見当たりません。らくがきかと』
「撮影場所はどうだ。何か法則性とか」
『たまたま見かけて撮影しただけかと思われます』

 いっさい法則性はないということか。春日居はジニアスの青天秤と一緒に写真を覗き込んで唸った。

「どれも似たような線、だよな。書いたヤツ同じだと思う?」
『なんともいえません』

 ふと、ジニアスの青と都心の地図が脳裏で重なった。書類棚データフォルダに首を突っ込み、かき分けていく。

「―――あった。ジニアス、この地図をかぶせてくれ」
『わかりました』

首都圏がぐちゃぐちゃとした青い線に塗りつぶされたような地図だ。天秤がそれを受け取り、そこから青い線の塊を取り出して赤いピンの位置に重ねる。青い塊がほぐれて矢印となり、春日居の用意した赤ピン全てと重なった。

「あそっか、賃貸情報!」
「ドローンの航路図だ。おおよその」

 配達ドローンの飛行音は意外とうるさい。耳の良い人とってバルコニーの方角並みに重要な情報だ。不動産仲介業者はそれを居住環境条件として把握している。

 春日居が地図の赤ピンに指を添え、青矢印を逆方向にたどりはじめた。折り重なった矢を手繰って進んでいくが、やがて矢印の複雑な分岐にぶつかって指を止めた。

『それならば』

 ジニアスが気を利かせ、赤ピンの全てから光のラインを走らせた。ドローンハイウェイをさかのぼる赤ラインは春日居が指を止めたのと同じように、交通の集合点で止まっていく。

 十数か所の赤ピンから発したラインが全て終端に至ると、四棟の高層ビルが浮かび上がった。

「ジニアス、この辺で撮られた写真はない?」
『残念ですが見当たりません』
「らくがき犯が念入りに消して回ってるのかも」
「確証が欲しいな」
「なんなら張り込んで待つさ。落書きの瞬間をつかめるかもよ」

 春日居が声を弾ませながら手を叩いた。

「なんにせよ、こっからは人力だな」
『では、私はここまでで?』
「十分だ。ありがとう。何かわかったら教えるよ」
『楽しみにしております』

 盾の紋章はくるりと回って弾け、青いしぶきを散らして消えた。春日居はそのしぶきには目もくれず、街区地図から3D外観を抱え上げ、床に落とした。

 事務所の床から天井まで、四つの高層ビルが立ち上がる。地表から低層部商業エリア、中層部商業エリアが積み重なる。ビルに空いた穴からショッピングモールや病院、学校などが顔をのぞかせ、そこから隣のビルに向かって橋がわたっている。ビルは同じ構造を繰り返しながら高くなっていき、徐々に商業施設が少なくなり、最上層では住宅のみとなった。

「で、どうする?」
「張り込みは現実的じゃない。お上と道具に頼るのがいいと思う」

 『無人航空機の飛行許可承認願い』と書かれた書類を投げ渡す。

「その四棟のあたりで空撮する。これだけ落書きドローンがいるなら、映り込むかもしれない」
「事務所名義で飛ばすの? 大丈夫?」
「外壁調査といえば問題ないさ。ぼくの先生も、勝手にスキャンした住宅モデルをコレクションしてたし」
「ひくわー」

 春日居が椅子へ逆向きに座り、背もたれに身を乗り出して笑った。

「しかしなんか、乗り気になったな」
「え?」
「この間はつれなかったのに。どうしたわけ?」

 確かにそうだ。仕事で得た情報を入り口に余計なことをするべきじゃない。その思いは変わっていない。だがそれを辿った結果、ほんとうにあの高層街区にたどり着いてしまった。

「この前は一機だけだったけど、確証が取れそうだから」

 奇貨居くべしと先生も言っていた。個人的に確認したいこともある。

「実は一度も行ったことないんだ。ご近所なのに。ご縁をねじこむには良い機会だ」
「なーる。営業ってわけ?」
「現金だろ?」
「いや、小心だよ」

 強風を覚悟してエレベーターを出たが、意外に穏やかな風が流れていた。それにのって子供たちの歓声が四層吹き抜け空間に木霊する。
空洞内に張り出すバルコニーで談笑していた婦人方がこちらに気づき、鋭い視線を送ってきた。スーツ姿の春日居が笑顔を作って来訪者用AR肩証を指すと、微笑んで背を向けた。
 吹き抜け空間から外に向けて橋が伸びている。ビル間連絡通路と言うにはあまりにも広い大通りは空を横切り、数十メートル先の別のビルに空いた大穴へ飲み込まれていた。連絡通路上の校庭では子供たちがボールを蹴って人工芝の上を走ったり、花壇の植物を観察している。向こうの空洞内は土壁を思わせる茶色で、メタルカーテンウォール外壁の輝きとずいぶん落差がある。こちら側の学校空洞は擬木仕上で、伝統木造建築の雰囲気を目指しているらしかった。だが少し目をそらせば上層の連絡通路の下を這うモノレールやバルコニーの発着場を行き来するドローンが群れ飛んでいるのが見えた。

「お待たせしました。どうぞ」

 本森モトモリ教頭が両手で眼鏡のずれを直し、連絡通路の脇へと誘う。向かう先は高層ビル外周テラス。学校用のドローン搬入口だ。

 外周テラスは連絡通路と違って狭く、暗い。幅二mの空間は落下防止壁に囲まれており、空と外光を遮っている。発着場は最奥にあった。灰色の床に白い太字の丸、その内側にDの字が書かれている。春日居がしゃがみ込んでそれをにらみ、口元を緩めた。

「塗料が少し残ってますね」

 彼女の視界カメラ映像を借りると発着場の陰画映像が表示される。真っ黒に表示された白線の上に、白く鮮やかな飛沫がうっすらと散っていた。映像をコピーし、落下防止壁へ投影して教頭へ示す。彼女はそれをちらりと見たが、すぐに顔をそむけてしまった。

「色番号登録も拝見しましたが、こちらでお使いの物に違いないかと」
「ええ、そうですね」
「ではやはり、子供たちのいたずらであると」
「ええ、ええ、まぁ」

 歯切れの悪い言葉を繰り返すばかり。電話でもずっとこの調子だった。

「電話でもお伝えしました通り、先日弊社のドローンが調査中の給電でこちらを利用させていただきました」

 壁面にデータを追加する。白壁にDの字が映った。端末を叩いて再生をはじめるとDはさらに大きくなっていく。ドローンがこの発着場へ降下しているところだ。
 下から上へと通り過ぎ行く窓の一つに何人かの子供が見えた。実に楽しそうな顔でこちらを見つめている。その手元を忙しく動かしながら。
 ドローンが着地し、同時にカメラが正面を向く。視界内には人の姿はおろか監視カメラも見当たらない。給電装置だけが厳かに床から顔を出し、機体下部へ向けてソケットを差し込む。
 柱の裏から影が躍り出た。濃いグレーのキャップにマスク、反射グラスで顔面を覆った子供だった。その子は素早くドローンへ駆け寄ると機体の側面に消える。フライトジャケットのすそが視野の端でちらちらとうごめいたかと思うと、来た時よりもさらに早く駆け出して物陰に消えた。

「この後の写真がこちら」

 帰還したドローンと、しかめつらの春日居が並んで写っている。機体の側面にはいくつもの緑色のバツ印が描かれていた。

 ジニアスはこの塗料を防犯カラーボールに使用される電子追跡塗料だと判定した。塗料を被った対象が警察管区内にいる場合に監視カメラやドローンで追跡できるようにするもので、主に銀行などに配備されている。
 だがPTA等の要請で学校へ配備されることもあるらしく、落書き犯達はこれを学校から盗み出し、ドローンに塗り付けてまわっているようだ。

 教頭はこの画像も横目で見るだけだった。しわの出はじめた目じりがぴくぴくとうごめくのを見つめていると、彼女はそっと口を開いた。

「私共の管理不行き届きをお詫びします。備品の収納体制を見直し、二度とこのようなことがないよう努めたいと思います」

 春日居が溜息と共に立ち上がった。

「先生方を責めたいわけではありません。なぜ子供たちがこんないたずらをしているのか。それを知りたいだけで」
「私共の至らなさが原因です。どんなお子さんでも道端に宝石が落ちていたら拾ってしまう。それが人情でしょう」

 いたずらの原因は子供たちにない。盗みを働くような体制を敷いた学校が原因だから、子供たちについて詮索するな、ということか。

「幸いにもこの防犯塗料は人肌や繊維以外には定着しにくいものです。御社のドローンも通常の洗浄をしていただければ跡は残らないかと思います」

 修理費用も必要ない。だから咎めてくれるな、とも。

 後ろで春日居が鋭く息を吐きながら踏み出す。

「この件以外でも」

 それに向かって教頭は申し訳なさそうに言葉を差し込んだ。

「私共は平素より生徒たちと良好な関係を築くべく努力しております。それが至らず、今回のようなことが起きたこと。お恥ずかしい限りです」

 一瞬ためらった春日居の手を彼女は素早く取り上げ、両の手でそっと包む。

「備品の管理をさらに徹底いたします。ですからどうか、ご理解いただきたく思います」

 エレベーター前のベンチに腰掛けると、春日居は投げやりに声を上げた。

「これ、どうする?」
「消そう。保存してたら訴えられかねない」
「はー……」

 口をとがらせながら写真データをめくっていく。スーツ姿にあわせて姿勢は正しているが、いますぐベンチに寝ころびかねないほど腐っていた。

「あー。やっぱ高層ってクソだわ」
「聞かれるぞ」

 高層街区上部には富裕層が住まう。その子女を預かる場としてこの学校はいろいろと頭を痛めているのだろう。教頭の物腰はそれを察するには十分だった。腹立たしいのは間違いないが、来た甲斐はあった。

「とにかく顔はつないだ。いつか仕事になればいいさ」
「小せえよセンセ。害がなかろうと追及する権利はある」
「逆に飛行計画書の内容に突っ込まれたらどうする。ぼくらがここを撮影する必然性はないんだぞ」
「くそッ」

 終業のチャイムが鳴った。長く間延びした音を聞いていると、少しして子供たちがぱらぱらと昇降口から現れた。決まり事なのか、何名かずつの塊になってエレベーターやエスカレーターへと吸い込まれていく。

「ちょっと。あれ」

 渋面を放り捨て、春日居がその中の一団を指さした。

 帽子が飛びあがる。宇宙開発公社のワッペンをあしらったキャップだ。ダークグレーのそれが宙を舞い、少年の手に納まった。オリーブグリーンのフライトジャケットを翻し、頭一つ背の小さい子供らをつれて歩いている。

「……行ってみようか」
「だね」

 ビルの洞に子供たちの歓声が木霊する。それを見守り、監視する教師たちの視線を感じる。子供たちが向かうエレベーターに近づけば止めに入ってくるだろう。外来者用エレベータへ向かいつつ、キャップの少年の行く手へ足を向ける。

 少年と目が合った。笑顔で友人たちとの会話は続けながら、視線だけがせわしなくぼくと春日居を往復する。

『カメラだ』

 春日居のチャットが眼鏡の隅に流れ、カメラのアイコンを示した。

『ガッコに警戒されず、お子様の気を引ける』

 頷きながらバッグから外壁調査用カメラを取り出した。銃器か何かのように黒く物々しい機械を手に適当な被写体を探す。下校中の子供たちの目の色が明らかに変わった。

 学校の窓に険しい顔をした教頭の姿が見えた。そちらへ向けて会釈し、まずは空洞の天井を一枚。続けてビル間連絡通路の全景を二枚。ガシャリガシャリと撮影音が響き渡る。

「こんなところかな」
「はいセンセ」

 わざとらしいやりとりをしながら少年達に近づいていく。キャップの少年はさっきまでとは違う熱っぽい視線でカメラを見ていた。
一団へ向けて笑いかけカメラを差し出してみると、何人かが駆け寄ってきた。

「こんにちわ!」
「こんちわー!」
「やあ、こんにちわ」
「何やってんの?」
「建物の調査だよ。どこか壊れてないか、これで見て回ってるんだ」
「でけー」
「こんなの要るの?」
「眼鏡じゃ不足なこともあるからね。持ってみる?」

 キャップの少年もゆっくりとその輪に加わる。カメラを差し出すと、恐る恐る手を伸ばして受け取った。

「おじさん達は建物の調査であちこち回ってるんだ」

 その顔の前へ3Dプロジェクターを手に写真を広げる。春日居が傍らに立って職員室からの視界を遮った。

「その時、あちこちで落書きされたドローンを見かけたんだ。何か知らない?」

 少年は落書きドローンの写真をざっと眺めると、春日居を見た。

「おねえさん、警察?」
「違うよ。私はセンセの助手なの」
「ホントに? うそつくとためにならないよ」
「なによそれ。本当だよ。私達はこの落書きの意味を知りたいだけなんだ」

 周りの少年たちは黙ってやりとりを見つめている。みんな手をこすったり頭をかいたりと落ち着きがない。その一方で、少年は笑っていた。

「おじさんはこの落書き、なんだと思う?」

 こちらの胸元にも届かない背丈で、ぼくたちを見下しているような目つきで。

「そうだねぇ……。ドローンの行く先を調べるためのマーキングかな?」
「なんでそんなことすんの?」

 カメラを差し出しながら少年はにやけ顔を隠さない。人を馬鹿にしたような笑顔。でも楽しくて仕方ない、子供らしい笑顔。腹立たしいはずなのに、釣られて頬が緩んだ。

「うーん。知りたいから、とか」
「知ってどうすんの?」
「どうもしないんじゃない。知りたいだけだから」

 カメラを受け取る。その重量から解放された少年は腰に手を当てて盛大にため息をつくと、歯を見せて笑った。

「教えてやるよ。ついてきな」

 周りの子供たちが戸惑いながらそれを追う。少年は手招きしながら居住者用エレベーターへ向かっていった。

 高層街区文教区角は図書館階の一角。空調の音だけが響く廊下で子供たちは足を止めた。キャップの少年の前には『保護者会分科会』の文字が明滅するドアがある。子供たちはその引戸を開けた。十二畳ほどの室内は無人で、大きな窓の外で壁のようなビル群が立ちはだかっていた。ビルの隙間から空がちらりと覗いている。
 子供たち全員がテーブルを囲むのを確認すると、少年はコートから浅黄色の端末を取り出した。

「正解は、これだ」

 端末からテーブルへ、このビル中心の都心地図が滑り出した。

「おれ達は緑組。あと赤、青の二組ある」

 少年の合図で緑、赤、青の三色がビルから広がる。色は重なり、押し合い、遠くへ広がろうとするアメーバのようだった。

「……陣取りゲームか?」

 子供たちがそれぞれ頷いていく。キャップの少年がそれを見渡して腕組みした。

「ルールはかんたん。シーズン中にこの辺に来るドローンをマーキングして、その反応がどこまで届くかを競う。塗料玉からトレーサー塗料を取り出す。それをドローンに塗りつける。で、監視システムとかでそれを追跡して反応が途切れた位置を記録する。それぞれ作業をみんなで分担してるんだ。得意なやつを得意な場所に。それがこのチームだ」

 少年は席の子供たちの肩を叩いてまわり、紹介してくれた。子供たちはみな心底楽しそうに笑った。

「すごいなほんと。君らがはじめたの?」
「別のチームの上級生。でも今はおれ達がいちばん強い。今シーズン六戦中三勝してる」
「たいしたもんだ」

 春日居の予想は杞憂に終わった。いたずらにしては規模が大きいが、事件ではなかったのだ。そう考えながら振り返ると、事態を動かした張本人は塗料分解チームに詰め寄っていた。春日居の勢いに圧されながらも、子供たちはまんざらでもなさそうだ。

「お姉さん、ほどほどにね」
「っとと。失礼」
「なぁおじさん。おれ達のドローン、どこで見つけたの?」
「たぶん君らのじゃない。赤組だ」

 小学校前で見せた写真の一枚を取り出し、会議テーブル組み込みのモニターへ落とす。その途端、わっと子供たちが集まって覗き込んだ。

「これどこ?」
「おれたちのビルは?」

 その様子を見るうちに、ふつふつと胸の奥からいたずら心が湧き上がってきた。手元の端末を操作して画像を動画にすげかえる。高速で画面が巻き戻り、林立ビルを背景にドローンが降りてくる場面がはじまった。それを迎え入れるハト小屋が静かに稼働する。子供たちは一瞬驚いたが、すぐに動画に見入った。

「おじさんこれ調べてたの?」

 しかし彼らが見ているのはドローンでもハト小屋でもない。画面端で見切れている古ぼけた中層ビル群だった。

「そうだよ」
「こんなぼろいのばっかじゃないでしょ?」
「これは新しいほうさ。もっとぼろいのもある」
「え。やべえ。住めんの?」
「大丈夫だよ」

 当たり障りのない動画をいくつか取り出して追加する。カーテンドームの外に広がる空と新・旧市街混ざり合った都市の姿。屋上から見下ろした大通りでは看板や商店、車の色彩が行き交っている。どうということはないその光景ひとつひとつを指さしながら、子供たちははしゃいだ。

「この写真、そんな面白い?」
「面白いっていうか、ちゃんと行きたいよね」
「うん。せっかく領地にしてもさ、いっぺんも行ったこと無いし」

 皆、あいまいに笑って首を振る。

「下なんてたまに旅行で行くだけだし。行っても遠くだし」
「親があんまり行きたがらないんだよね」
「行きたくないの?」
「どうやって行くんだよ。学校も親も止めてくんのに」
「エレベーターがあるじゃないか」
「パスが通んないもん」

 驚いた。春日居の与太話は本当だったのだ。この子達はたぶん十歳になったくらいか、それよりも下だ。そんな年頃の子たちが、自分の暮らすビルの足元を知らずに暮らしている。日々の足は親の制限のかかった住民カードで利用するエレベーターかモノレールだけ。それが高層街区なのだ。

 そんな彼らが、地上を舞台にした陣取り合戦を繰り広げている。自分では行けないところへ飛んで行く往還機に印を刻んで。

 ではこの子たち自身が実際に地上に降り、街を歩いたとき、どんな顔をするのだろう?

「長期休み中の自由課題って、まだやってる?」
「やりたいやつはやってるよ」

 その顔が、どうしても見たくなった。

「じゃあさ。ぼくの会社に見学に来ないか」

 子供たちが一斉にぼくを見上げた。

「学校に言っても駄目だろうけど、君たちが選べばどうかな」

 春日居が歯を見せて頷いた。

「ウチの店も立候補しよう。中古だけど、いろんな機械がどっさりあるよ」
「おねえさん、先生の助手じゃないの?」
「別の顔もあるの。かっこいいでしょ?」
「なんかええかっこしい」
「……面白いこと言うなぁ坊や」

 少年はキャップのつばをいじり、チームメイトを見回した。
みな目を輝かせている。外壁調査用カメラを見ていた時よりも、陣取りゲームの話よりも。

「いいな。それ」

 少年は再びこちらを見上げるとキャップから手を離し、まっすぐに差し出してきた。

「名刺ちょうだいよおじさん。親に見せるから」
「……おじさん、親御さんに訴えられない?」
「今日撮ってた写真もいくつかちょうだい。それで説得する」

 人を馬鹿にしたような、でも楽しくて仕方ないと言いたげな笑顔で。

「うちの親、保護者会の会長だからさ」

■近未来のハト小屋 おわり

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