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『言葉にできない』ー JUJU その他の面々 [音楽評論]

本当に言葉に出来ない程、誤魔化しの効かない音楽がこの世には沢山ある。この記事で取り上げたこの作品言葉にできない(作詞/作曲: 小田和正)もそんな一曲と言えるだろう。

既に作者本人である小田和正氏が2019年?にセルフカバーしているが、やはりそれでも原曲のメタリックなメロディーラインはゆらゆらと陽炎のように揺らめきながら崩壊し始めている。
だがやはりここは作者本人とあって、程好い崩れ感を大きく損なわないよう上手く誤魔化せていると言えるかもしれない。


だが肝心な「違う、きっと違う‥」の辺りから「一人では生きて行けなくて‥」の辺りはサクサクと慌てて歌い過ぎて行くので、何だか夜道で誰かに後を追けられている女性が小走りに追手から逃げているように聞こえてしまい、聴いていてどうにも落ち着かない。
歌が上手くならないまま年老いたシャンソン歌手の余興に当てられたみたいに、心拍数だけが上がって上がって私の方が息が切れそうだ。


原曲度外視でこれは良い!と思ったのが、EXILEAtsushiさんの同曲のカバーだった。
この歌手、顔やいで立ちに若干崩れ感、汚れ感はあるが、この作品『言葉にできない』の解釈は至ってシンプルでナイーブで清潔感に溢れており、無駄なアドリブや歌手が誇張したがる「クセ」を最小限に抑え込んだ表現がとても好印象だった。


色々調べて行くと、なんと最近はお昼のワイドショーではお馴染み(私は余り好きじゃない、この人‥)のAHN MIKA(アン・ミカ)がカバーしているではないですか。

偽善臭がプンプンしているかと思いきや、意外にそうではなかったのが驚きだった(笑)。
でもあの独特な「嫌味」なコブシは健在。本当にアン・ミカのこの嫌味感はもう一生このまま、治らなそうですけど。


そしてこれはもう音楽のルール自体を完全無視して平然と歌い切っているのが、クリス・ハートさん(笑)。一体この歌手のルーツはどこにあるのか、ここまで何でも歌ってしまう歌手ともなると何が何だか判然としない。

小田和正の持つメタリックなメロディーラインのエッセンスを、何だかどこか分からない国とか世界観に完全に持ち去っている。
クリスマスの教会で、美しく青い目をした青年に誘拐された子供が初めて覚えた英語の曲みたいに、別の楽曲と言ってもいい程むしろ完成されているから『言葉にできない』と言うより言葉が出ない


そして何よりアン・ミカよりもムカっ腹が立って気持ち悪かったのがこの人、JUJUの解釈。
そもそもJUJUの発声は声量の無い人が「いかにも歌える人」に見せ掛ける為の嫌味な細工が施されたものであり、声帯で一旦発声した声を声帯から浮かすように力を抜いた瞬間に振り幅の深いビブラートを掛けることで、往年のジャズ歌手みたいに聴かせるとても狡い手法を用いている。

しかもレコーディング版では冒頭の、かなり長いタイムをアカペラで堂々攻めて来る。大した度胸だ。
エンジニアの人選にもお金を掛けているのか、私が先に指摘した「狡い発声」は上手に誤魔化されていて、どこか儚げなJUJUの色合いを全面に出しているが、ミックスはけっして良いとは言えない。
この作品の持つ独特の「濡れ感」が失われており、パッサパサの髪をさらにパスパスにドライヤーで乾かし過ぎてチリッチリになった、大昔の人形の髪みたいで薄気味悪い。

JUJUの、ヴォーカルの音と音の継ぎ目に発声時に新たに生まれる「要らない音」がクッションとして挟まっているから、それが本来のメロディーラインを見事に叩き壊してしまっている。
おそらくこれは日本人がブラック系にメロディーを寄せて再構成する時、「それっぽく聴かせる」時に使う発声の手法で、余り上手ではないのにそれらしく聴かせようとする歌手の中では比較的当たり前に用いられている発声の技法の一つと言えるだろう。

小田和正 作詞・作曲『言葉にできない』の解釈の中で最も場末のスナック的で不快感満載のJUJUの音源をレコーディング版とLive版(途中で他の歌に変わってしまうので一部のみ)の両方を、この記事の最後に掲載しておく。

ようこそ、言葉にできない夜の新宿、スナックの世界へ!



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