クリス・レアが微笑む時
もう長いこと、カリフォルニアには行っていない。
最後にビーチを車で飛ばしたのはかれこれ、2001年の秋だった。それが最後の、その人との想い出になった。
音楽家なのに音楽嫌いだった当時の私。だけどそれでも常にカーラジオはOnになっていて、マイケル・ジャクソンやマドンナ、キース・スウェットからビル・エヴァンスのジャズを聴くのが好きだった私の趣味に合わせて、当時は結婚を意識して深く交流していた彼の車には沢山のCDやカセットテープが積まれていたなぁ‥としみじみ思い出すことも、もうなくなった。
それはきっと今この瞬間がとてつもなく幸せだから。
人が不幸を思い出すのはむしろ、より不幸な瞬間かもしれないと思う。幸せに包まれる時、私は不幸だった自分をわざわざ思い返すことはしない。それは余りに私のその時代が言葉には出来ないくらいの苦悩と不毛の連続だったから‥かもしれないけれど、今はもう、ただただ未来に続く真っ直ぐの一本のレールを直進すればどこか広い道に通じている筈だと、強く確信している。
ダミ声が好きではない私が唯一好んだ、クリス・レアと言う歌手の涸れた声質。声帯に無精髭でも生えてるみたいなこの声を聴く度に思い出す、遠い過去の父の顔とワインまみれの臭い吐息の湿度。
勿論今世の父ではなく、あくまで過去世に触れたこの臭い。だから私はずっと飲酒する男性を嫌悪し続けたのかもしれない。
だらしない、
怠けモノ、
なのに言うことだけは哲学者みたいで反論不可能な存在‥。
だけど過去世の父は子供たちには優しかったし、特に私はきっと溺愛されていた。
記憶では黄色いチェックのブラウスとウォッシュドブルーのジーンズを私は好んでよく着ていたのだけど、「君は女の子だからもっと花柄とか可愛いワンピースを着た方が可愛いよ」と言っては、私が余り好まない女の子っぽい服を買って来て無理矢理私に着せてくれた、そんな記憶の中の酒臭い父親の声とクリス・レアの声質が妙にダブって聴こえて来るから不思議だ。
最近日本の各地にも椰子の樹が増えて来たように思うが、当時は沖縄や熱海あたりでは見掛けるもののこうあちらこちらに在る樹ではなかったと思う。
椰子の樹を見掛ける度に思い出す、カリフォルニアで暮らした日々。
私の中で、記憶はけっして色褪せることはない。一度記憶したこと体験したことは、私の中では永遠である。時間は一本の線であり、それは平面図を上から見下ろすみたいに平等で、過去も未来も現在も同じように私の目には映り込み私はその上をただ真下に向かって歩いて生きている。
忘れられないことも忘れたいことも同様に私の視界に映り込み、それを拾ったりミュートしたりして私はマインドを調節しながら生きている。
当時の恋人がこの世を去ってから、もう10年以上が経過した。そして私は新たな人生の伴侶を得て生きている。だからと言って「当時」が私の中で色褪せることはなく、ただ‥ 「当時」との接し方が変わったと言う方が表記としては近いのかもしれない。
忘れたいことがある時は忘却の水を飲むしかない‥と言う話を以前「当時の彼」としたことがあったけれど、もうその必要もなさそうだ。
忘れたいほどの苦しみ以上の幸せを、今私は手中に収めたから。勿論紆余曲折日々色々なことがあるけれど、それも含めて今の、この幸福を存分に味わい尽くしたい。そこから生まれる音楽やエッセイや詩を、大切に空間に書き留めたいと真剣に思う。
だが、そんな私にクリス・レアが苦笑いしながら語り掛ける。
その幸せが永遠に続く‥なんてことがあると、ユーは本気で信じているのかい?
そして私はきっとこう答える‥。
勿論よ。傾きかけた船を何度も何度も立て直しながらここまで生きて来れた私なのだから、この先何があっても強気で前向きに生きて行く私の生き方に変更はないわ。