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白の回廊

おそらく何もない空間。目を閉じた途端にポン!と放り出されたみたいに、僕はその部屋に招かれた。
太陽光のような静かな光が燦々と降り注ぎ、肉眼では無限の空間を捉えているはずなのに、第三の目の中に女性の姿が映り込んでいた。

年齢不詳、もしくは性別も怪しいその女性のような人影がしきりに、不思議な香りのする煙の中でカードを切って行く。一枚一枚のカードはメタリックかガラス質の板のようにきらきらと光って、女性の手元を見つめようとする者の視界を鮮やかに遮ろうとする。
さながら手品の仕掛けを隠そうとする時の、人の心のようだと思った。

よく見ると女性の手元のカードはトランプでもタロットカードでもなく、オラクルカードのような曖昧に未来を予言し人を安心させる事を意図するような、美しい絵柄が描かれている。
太陽や水、海、森、みずうみ、雲、そこに妖精や天使の絵が描かれており、幾つかの象徴的な数字が空間に映し出されるみたいにふわっと浮かんでた。

女性とも男性ともつかない、だけど女性のような彼女はけっして顔を上げようとしない。だけどさっきから僕の姿を体のどこかにある別の目で捉えているみたいに、二度… 手招きをした。
気づかれているならば、行くしかない。僕は十五歩歩いて、女性の前に立つ。


「あなたが知りたいのは、10年後のあなた自身の事ですね…。」

声ともテレパシーともつかない不思議な音声が脳に木霊すと、イエスともノーとも言ってないのに彼女はひゅるひゅるとカードを切り始めていた。だが、5回目で彼女の手が止まり、一言彼女がこう言った。
「10年後を占う必要はなさそうです。…と言うのも…。。。」

僕は察知した。そう、10年後の僕はもう、記憶にあるような生きた世界にはいないのだ。

「言わんとしてる事は何となく分かります。で、僕はどのようにその世界での僕を終えて行くのでしょうか?」

長い沈黙が流れ、彼女は何も答えぬままにカードを木箱の中にそっと仕舞い込んだ。そしてその木箱に火を着けるとカードも木箱も全てを燃やして、消し去った。
「これであなたの運命はきっと変わるでしょう。さっきの答えはあなたの10年後そのものと言うわけではなく、あなたの心をカードが読んだのかもしれません。」…


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言われた通りだと思った。何もかもが嫌になり、あとどれだけの時間、この苦痛に僕は耐えなければいけないのか…と、日々自問自答を続けていた。
愛する女性と別れ愛犬に先立たれ、好きだった仕事には見放され家を手放した。守るものが全て消え去ると、そこに孤独と失意だけが残った。やっと身一つになれたのだからもっと人生を謳歌するはずだったが、僕は毎日毎晩無言の壁を相手に独り言をつぶやくようになった。

それまでは煩わしくとも誰かが傍にいて、愚痴っぽい僕の話を黙って聞いててくれたのに、今の自分は終わることのない無音に抱かれ、まるで無声映画の主人公のように薄ら笑いを時折浮かべながら、本当は泣くのをこらえて生きていた。

占い師のような彼女がようやく顔を上げると、それは顔でも皮膚でもない、ただの空洞だった。そう… ここには最初から何もないのだ。延々と白い光だけが続く回廊の中に、僕と僕の心の中身だけがぽつんと置かれたようなそんな空間が広がっている。

だが確かに声がして、その声も脳の中のどこかから鳴り響く亡霊のつぶやきの如く、かすかにかすかに語りかけて来る。


そして思った。元いた世界にもう一度戻らなければと。

僕は数を数え始めた。ここに来る時に10数えて扉を開けたのだから、帰りも同じだけ数えれば元の世界に戻れるはず。
1、2、3、4、……
5から後の事はもう記憶にない。そして今僕は、どこをどう彷徨っているのかさえ分からないまま、白から白へ、壁伝いに違う部屋を行ったり来たりしている。

時折見える部屋のカレンダーは既に、2026年の12月を指している。おそらく僕はもう二度と、帰ろうとしていた場所には戻れないだろう。だが、確かに心だけはまだ生きている。


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