山下達郎とシティー・ポップ [前編]
2022年6月22日、かねてから大々的に告知されていた山下達郎のニューアルバム『SOFTLY』がリリースされた。
通常版は特典なしで3,300円から、特典付きになるとさらに価格が跳ね上がる。
勿論この人は昭和スタイルの販売ルートのみのアーティストなので、サブスクでのリリースは当然なし。なので当初私はこのアルバムを購入する予定だったが、紆余曲折を経て購入を取り止めた。
正直物理CDが手元にあっても邪魔になるだけで、当然のこと音楽として聴けるクオリティーではなかったので、このような結果に相成ったわけだ。
某動画配信チャンネルから(ほぼ)フルアルバムと言えるよう編集されたものが出ていたので、そちらを先ず聴いてみた。
恐らくラジオ等でオンエアされたものからのピックアップも含まれるであろう構成になっており、曲によってはMC(トーク)が楽曲のイントロに被ったままの状態にはなっていたが、中身が分かれば良いのでそのまま流して聴いて行く‥。
山下達郎と言えば真っ先に思い浮かぶのが「シティー・ポップ」と言う言葉だろう。勿論彼が老いた今もリスナーは、必ずそのエッセンスを期待する。私もそうだった。
だが実際に上の(ほぼ)フルアルバムが収録された動画を捲ってみると、正直内容は散々なものだった。
最近若手の韓国のYouTuberの中にも山下達郎そっくりで尚且つシティー・ポップのテイストを正確に、忠実に‥ と言うより原作以上のクオリティーでコピー(カバー)するアーティストも出現している。
このYouTuber、Tae Yoon Kimさんの山下達郎のカバー動画の注目すべき点は、ヴォーカルではなくバックバンドの再演のクオリティーだ。ほぼ全てのパートがTaeさんの手動で録音されているが、それが原作のクオリティーを軽々と超えている点は見逃せない。
ここで少しだけ話題を脱線。
「シティー・ポップ」の定義について、私はこう考える。
私が思う「シティー・ポップ」とは概ねこんな感じであるが、この解釈については別の様々な解釈があっても良いと思っている。
そして若かりし頃の山下達郎のサウンド感が、上の全ての条件にマッチしていた。
さて話を山下達郎の新譜「Softly」に戻してみると、先に書いた全ての条件を見事に逸した、何ともドン臭いアルバム(表現含む)で本当にガッカリした。
私の音程の受信感度が狂っていなければ先ず、彼の音程が酷く劣化したと言うのが強い印象だ。そもそも曲の作りが機械的なので非人間的と言うか、絶妙に正確な音程を保持していないと歌えない楽曲が大半だが、その音程がこれ又絶妙にズレている。
さらにリズムが不正確で本来のアタック箇所にヴォーカルがアタっていない為に、後ノリでヴォーカルが若干遅れて聴こえて来る。そのせいで、どうしても演歌のコブシを効かせて歌っているようにしか聴こえない。
ノリノリだった「あの頃」の山下達郎の代表曲『Ride On Time』に見られるような、キラキラしたシティー・ポップの‥ これさえあれば何が来ても怖くないと思わせるような輝きも希望も一切見られない彼の新譜『Softly』の、楽曲の全てのメロディーメイクはただただ悲惨としか言いようがなく、長い時間聴いてはいられない。
まるで回顧主義の老人の独り言みたいで、先に「シティー・ポップ」を求めてこの人の曲を聴こうとしていただけに失望感がハンパない。
かなしいかな、人は誰しも年を取って行く。老いは多少なりとも表現の劣化へと直結するのだが、それをカバーする方法として人生の経験値や人間性、そしてインテリジェンスの成熟等が挙げられる。
そのどれ一つとして達郎の場合は機能しておらず、何かと「恋愛」とか恋愛の思い出を振り絞るようにして歌詞にしているから、聴いていて無理な重圧がどうしても後頭部を直撃して来る。
それを本人もおそらく気付いているのか、喉に異常なまでの力(力こぶし)が入っている。その影響で全ての発音の一瞬前に「‥ンガガガ‥」みたいな助走が掛かってしまい、音程もテンポもリズムも全てがタイミングと正確性を逸している。
勿論楽曲的にも「シティー・ポップ」感は殆ど失われおり、色褪せたセピアカラーの1980年代のフィルム写真を見ているような喪失感に苛まれる。
シティーもポップも失われ、さらには発声の全てに力コブシが練り込まれたこれらの音楽は、最早聴くに値しない。なので私はこのアルバムの一曲すら、フルサイズで聴くことが出来なかった。
残念なことに今、世界的に日本の「シティー・ポップ」系のカバーが急増している(笑)。特に山下達郎の奥方の竹内まりやが1984年にリリースした『Plastic Love』が今、最注目されいるタイミング。
恐らく夫・達郎はその流れを踏んで今、ここだ!‥ やっと来たビッグウェイヴに自分も乗ろうと試みた筈だ。だが、それは失敗に終わったのではないだろうか。
山下達郎と竹内まりやの結婚は当時音楽業界を賑わせ、それを機に妻・竹内まりやは一線を退いた。あくまで夫をたてる為に表舞台から妻・まりやは姿を消し、アイドル歌手に楽曲を提供する文字通り「作曲家」に転じたわけだが、それがある種の威厳や風格を長年に渡って培わせて来たように私は感じている。
ここに来て山下達郎は、妻・竹内まりやに首‥ いや、体一個二個分先を越された形になったようだ。
山下達郎のニューアルバム『Softly』のラスト曲に収録されている『REBORN』は、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の挿入歌として既に女優の門脇麦が熱唱しているが、これが凄かった。
逆に原作者・山下達郎の原曲を聴いた時に、その余りの表現力の無さに愕然とした。むしろ門脇麦が歌唱した方の動画を視た時の感動が余りに大き過ぎたのか、何より「何も足さず何も引かず」の門脇麦の素直な表現が不幸にも、原曲(山下達郎)の不安定なメロディーラインに安定感を与えてしまった感は否めない。
この記事の最後に、圧巻の門脇麦の『REBORN』を掲載し、この記事を〆たい。
※尚この記事にはまだ続きがあるので、次記事へと続く‥。