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【短編小説】名前
人間はどう生きるのか自分自身で決められる。
勉強していい大学に行くのも自由。
勉強せずにフラフラするのも自由。
法律さえ守っていれば誰にも咎められる筋合いはない。
しかし、産まれた時点で自由にできないものが一つだけある。
それは、名前だ。
名前は産まれた時点で既に決められている。
自分に決定権がない唯一の不自由だ。
もちろん改名をしたり、芸名を名乗ることもできる。しかし、中学生の僕にそんなことはできない。
親から与えられた(苗字は先祖からだけど)この名前で生きるしかないのだ。
そんな僕の名前は「宮澤正之(みやざわまさゆき)」。なんの変哲もない名前だけど、全然嫌いじゃなかった。引っ込み思案な性格だから、変わった名前でイジられてしまうこともないし全然よかった。
しかし、中学二年生になってからは違う。
ある2人の生徒によって僕は名前を失った。
1人目は、クラスの中心人物。そいつの名前は「宮澤涼(みやざわりょう)」。彼は、明るく爽やかな性格でクラス全員から「宮澤」と呼ばれている。
2人目は、クラスのいじられ役。そいつの名前は「田中正之(たなかまさゆき)」。彼はとにかくみんなから好かれていて、よくある苗字なこともあり下の名前で「正之」と呼ばれている。
つまりクラスで「宮澤」と聞こえても、「正之」と呼ばれても僕のことじゃないのだ。
名前をつけた親を恨んだことはない。
なぜなら「宮澤」ランキング、「正之」ランキングそれぞれで僕が負けてしまったことが悪いからだ。
ただ、このランキングは残酷だ。
一度負けてしまうと二度とその名前で呼ばれることはなくなってしまうから。
こうして僕はクラスメイトからあだ名で呼ばれることとなったのだ。
きっと中学を卒業するまで僕は苗字でも名前でも呼んでもらえることはないだろう。この事実を目の当たりにすると、両親に申し訳ない気持ちにもなる。
そういうわけで僕にはあだ名があり、みんなからはあだ名で呼ばれている。誰がつけてくれたのかも覚えてないけれど、いつしかみんながそのあだ名で僕を呼んでいた。
そのあだ名とは「さかなクン」だ。
由来は定かじゃないけれど、おそらく僕がお魚さん達を愛しているからだと思う。確かにこの魚への愛は、この熱量はクラスの誰にも負けないだろう。
しかし、教室という小さな水槽の中では負けないだけで、卒業して大海原に出たとき僕は人からどう呼ばれるのだろう。
きっと地平線の向こうには、僕よりも魚を愛している人がいて、もっと「さかなクン」"らしい"人がいるのだろう。
そんなとき僕が「宮澤」と呼ばれるのだろうか。「正之」と呼ばれるのだろうか。僕はなんて呼ばれたいのだろうか。想像したってわからないけれど、どんな風に呼ばれても受け入れたいと思う。
だって、人と人の出会いは"一魚一会"なのだから。
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