自己肯定より、自己受容を。
“自己肯定感”という言葉はいつからあるのだろう?自分が子供の時は無かった気がする。
「自己肯定感が強いね!」と人に言われると、プラスにもマイナスにも受け取れる。私は自己肯定感が強い自覚は全く無いのだが、たまにそのように言われる。
知人とそのような事を話していて、“自己受容”という言葉を教えてもらったので、調べてみた。↓
なるほど。こちらのほうがしっくり来る。自分というものを分かっているから、未来が決められる。
以前のnoteにハイキュー!!(集英社)というマンガのキャラクターについて書いた。彼も自己肯定感が高いのではなく、自己受容をしている。
ハイキュー!!のキャラクターで他にも星海という選手がいる。彼も作中で、
「俺は 俺が弱いということを とうの昔に知っている」
というセリフを残している。
自分の理想がある。その理想は簡単に崩れる。誰しも経験したことがあるはずだ。その理想に向かい続ける事が出来ればいいのだが、どうしても「現状では」出来ないこともある。
それは能力だったり、身体的な問題であったり、環境であったり様々だ。自己受容とは、その出来ない事実を受け入れることなのだ。
私はそれが得意だ。子供の頃から「お前は馬鹿だ」と周りから育てられた。自己肯定感なんか上がった事がほとんど無い。
自分が馬鹿だという事実だけは理解できたし、実感もあった。出来ない事ばかりで、挑戦する根性とかもなかった。
そこからがんばるのだが結果なんてすぐには出ない。時間がかかると成長している実感が無い。心が折れそうになる。「もういいや…」と諦めたくなる。
そんな事を思う中、小学校3年生時に担任の先生が“大器晩成”という言葉を教えてくれた。
「今はダメだと思っていても人の成長には差があるのよ。大丈夫。努力を続けていたら、必ず成長するから。」
年配の女性の優しい先生だった。今思えば、その言葉に救われた。
「なるほど。自分は人よりも成長に時間がかかるんだな。」と素直に思えた。私はその言葉を信じた。
そうしたらいつの間にか、自己受容が出来ていた。自己肯定感は強くないが、自己受容はできている40歳になっていたのだ。
自己肯定感って必要なのだろうか?自分は未だに、馬鹿で愚かな人間だという自覚が有る。だから肯定感に満たされることはない。でも別に困っていない。
自己受容できているから、継続して何かをやるのは得意だ。だってまだ成長しきれていないから。自分は大器晩成だから、まだまだ人より時間がかかるのだ。
担任の先生、あの時はありがとうございます。あの言葉がなかったら、僕はきっと腐っていました。あなたのおかげであの頃より、少しは出来ることが増えました。
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