死にかけたのでバリアフリーの申請してみた(申請編)
1.申請に踏み切るまで
2022年10月、1Aの始め辺りから幼少期からため込んできたドロドロとしたものがついに噴き出たのか、本格的に鬱病になって動けなくなってしまった。サークルの人間関係が上手く行っていたので、自分では精神的に安定してると思っていたのだが、「今までと比べればマシ」程度のものであり、身体に合わない大学生活から無意識に負担が溜まっていたらしい。幸か不幸か、自分が所属しているサークルには精神病の罹患者が多く、相談は気軽にできる一方、皆かなりの重傷だったので「彼らに比べれば自分なんて…」と悪い方向で自己評価を向上させてしまったのが悪かった。早く病院で相談するべきだった。気づけば反芻志向に陥って幼少期のトラウマを反復し、子供を見ると殴りたくなり、長い文章は読めず、通行人全員が自分の悪口を叩いているという妄想を抱く近所に一人いるヤバい人に成り果てていた。試しにサークルのK先輩(大学10年在籍、残り大学在学年限|《タイムリミット》2年)に相談してみた所、「本当にヤバくなるとコンビニ行って何買うかで30分ぐらい迷うから」と言われても困るアドバイスをくれた。彼は鬱病でお風呂に入れないので頭にフケが浮いていた。
これも幸か不幸か分からないのだが、友人の一人が発達障害の教育を専門にしていた(本人も見るからに当事者なのだが)。「こんなに分かりやすいADHDいない」と鼻息荒く私に迫ってくる姿は、モルモットに対する研究者のそれだった。彼もお風呂に入っていないのかフケが浮いていた。彼が会うたびにバリアフリー支援の申請を勧めてきたが、「まだギリギリお風呂入れるしなあ」と鬱病のくせに謎の能天気さで申請を先延ばしにしていた。まさにADHDの先延ばし癖である。救えないね。謎の11月ぐらいになり寒くなるとさらに悪化し、湯が冷めてキンキンになるまで湯船から出れない状態になり、流石に不味いと思い始める。A2からはFLOWが始まり、対面での授業が増えてしまった。元よりある社交不安の気が増幅し始め、12月には飲んだくれた状態で出席するようになる。東大生だけあってみんなキチ○イには耐性があるのか、クラスメイトは私の酒気帯び出席を生暖かい目で見守ってくれていたように思える。正直な所、「ヤバい人」がその場にいる時に生じる空気感が私は好きだったので、クラスメイトには迷惑をかけたがそれはそれで楽しかった。幼少より葬式場に入った瞬間に爆笑してしまう癖があり、笑いを噛み殺しながらお経を聞いていたことを考えると、笑ってはいけない微妙な緊張感のようなものが好きらしい。しかし、12月に入るといい加減人としてどうかと思い始めた。ついに食事も入浴も面倒になってきたのである。「自分の頭にもフケが浮くのか」という恐怖心から、ついに折れて12月の末にバリアフリーの申請に踏み切ることになる。
2.いざ申請へ
気が狂って12月の末に申請に行ってしまったのだが、本来早ければ早い程いい。ホンモノ感はギリで行った方が伝わるかもね。理由はいくつかある。まず年末年始は職員が皆忙しい。そして、もう一つは、申請に必要な書類を集めるのに時間がかかるのだが、職員が成績をつけ始めるセメスター末までに申請が間に合わない可能性があるのだ。窓口に行って申請すると、しばらくして面接があり、そこで必要な書類を指定される。そこで必要な書類を集め提出し、審査を通るという一連の過程を考えると、申請を行ってから一か月程はかかると考えた方がよい。
申請しようと思った時は完全に頭がやられており、HPの文章がろくに読めなかったので何も考えずに8号館のバリアフリー支援室に突入した(ちなみに銀杏並木から支援室へ向かう坂は勾配が急で、車椅子だと入りづらく、毛ほどもバリアフリーでない)。本来、バリアフリー制度の申請に行く際は教務課の窓口に行って申請するため、ここを訪れる必要性はないし、必要性がないというか職員の作業場なので来られるとたぶん大変困る。そんなことも知らないで突入したため、最初に私が部屋に入ると職員の目が点になった。
「バ、バ、バ、バリアフリーの申請に伺ったんですが…」と目が完全に死んだ男が呂律の回らないまま訴えかけてきたので、恐らく支援の対象であろうことは理解して貰えたのだろうが、いきなりここに来るほどのホンモノの対応はしたことがないのかあからさまに困惑していた。「どのような用件で来られたのですか?」と手前にいた事務の女性に問いかけられると、「俺、障害あるんで」と謎に爽やかに解答してしまった。もう何往復か言葉のやり取りを事務の女性としていたのだが、こちらの脳みそが完全に溶けているためか会話が成立しない。埒が明かないと思ったのか、後ろからいかにも心理職といった雰囲気の女性が出てきて対応してくれた。必要もないのに優しく私の現状を聞いてくれた上で、「実は申請には教務課に行く必要があるんですよ」と心優しく申請方法まで教えてくれた。5分程話して気が済んだので、私は支援室を跡にした。あれ以来行っていない。
その後、言われた通り教務課へ行った。窓を叩くと向こうからいかにも優しそうな男性がやってきて、「どういった現状ですか?」ときいてきてくれた。鬱に苦しんでいることを述べると、私の学生証を持って行ってコピーを取られた。「後日面接を行いますので、日程の候補をお送りします」とだけ言われてその日は終了。この間5分もかからなかったと思う。
面接とバリアフリー制度の実践については後日また投稿します。ではでは
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