電子に漂う私の遺書

今日は精神科に行った。

「精神科に行った」と言うと、なんだかつらい事でもあったのではないかと思われてしまいそうだ。実際そうではあるが、私はこの一歩を踏み出せたことが幸福だと思う。

光があってやっと影が見えるように、辛いという気持ちが認識できるのは、ある程度光の部分に自身が立つことができている証拠である。

私は母から虐待を受けていた。暴力も多少はあったが、精神的な攻撃の方が多い。目に見えないがために、自身のトラウマを軽視されることも多く、私自身も実際に虐待を受けなくなってから、己の中にある傷がかさぶたになり始め、絆創膏を貼るべきなのか解らなくなってきていた。

予めオンラインで問診票を提出していたため、先生方は概ねの事情は把握してくださっていたのだろう。扉を開け、自己紹介が済んだ後最初にかけられた言葉は「今までよく頑張ってきたね」だった。耐えられず、泣いてしまった。

「最も悩んでいる事はなにか」と問われ、「被害妄想です」と答えた。私は過度に人を疑う。「違うよ」と否定されても、「嘘も方便だ」と曲解してしまう。

「親にいつか殺される」と、そう疑いながら電波を最大限に張り、ありとあらゆるifを考えながら幼少期を過ごした私に「被害妄想」という悪癖がついたのは、そう理解に苦しまない事実であろうと思う。しかし、それが他人との関係に何度も支障をきたしている事実もある。それが辛くて仕方なかった。

「仕方ない」と思いたい気持ちと、「仕方なくない」という現実が、私の中でずっと大きな声で対話をしていて、いつもいつも疲れていた。今も疲れている。

私はいつ死ぬかわからない。いつかくる私の死が、他力によるものか、自力によるものなのかもわからない。だからこそ、電子に私の遺書を漂わせておこう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?