ダイヤモンド社“書籍”編集長の意外すぎる新人時代!『攻殻機動隊』で進路確定…入社1年目は印刷所で爆睡?!
自然と浮かんできた「編集者」という選択肢
ーーどうして編集者になろうと思ったんですか?
社会学をやろうと思って大学に行ったんですよ。それで、社会学自体はすごくおもしろかったから、大学院でもやろうかなとか思ってたんです。でも、ひとつのことをずっとやり続ける粘り腰みたいなものも自分にはないと分かってきて。働くなら何の仕事があるかなとなったときに、一択で浮かんできたのが「編集者」だったんですよね。
いつからかは覚えてませんが、たぶん10代で編集者という仕事の存在を知ったときから、なんとなく「なってみたいな」というか、職業にするならこれかなとは思っていて。就活でも自然と出版社しか受けなかった記憶があります。
ーー運命の職業みたいですね! 高校から大学へ行くときに社会学をやろうと思ったのはきっかけがあったんですか?
『攻殻機動隊』という漫画を読みまして。「自分の人生を変えた本」は結構あるんですけど、思春期ぐらいのときに価値観を今の仕事に近づけてくれたり、社会学という学問の存在を教えてくれたのがこの作品なんです。
ーー『攻殻機動隊』ですか? なんか意外です!
え、意外なのか。インターネットの概念と社会を融合させた世界観のサイバーSFで、本当にいろいろな影響を受けましたね。たとえば、作者の士郎正宗さんが『攻殻機動隊』を描くのにアーサー・ケストラーという思想家の『機械の中の幽霊』という本を参考にしているということで、読んでみたらめっちゃおもろい。それで、士郎正宗さんが紹介してる他の本もいろいろ読んだら「社会ってすげー!」となって、社会学をやろうと思ったんです。自分で言ってても相当に中二だな。
ーーそんな『攻殻機動隊』とはどうやって出会ったんですか?
きっかけは覚えてないんです。
ーー覚えてないんですね(笑)。
普通にヤングマガジンの連載を読んで知ったか、話題になってて買ったとかかな。でも映画化より前から読んでて、当時からすごい人気だったと思います。
『攻殻機動隊』の影響はほんとうに大きくて、いまテクノロジーの本を好んで作ってるのは、この作品でテクノロジーのインパクトの大きさを刷り込まれてるからかもしれません。その意味では、やはり自分の根っこの一部みたいな感じなのかな。
ーー『攻殻機動隊』を読めば横田さんの根幹がわかりますか?
う~ん、根幹を構成しているものは、もっといろいろあると思いたい(笑)。群馬の田舎で育ったのも大きいかな。小学生のとき、めっちゃ図書室で本を借りる男の子、学年に1人はいませんでした? 私がまさにそれで。登下校がセスナ機が着陸できそうな田んぼ道で、安全だし退屈だしで、毎日図書室で本を借りて読みながら歩いてました。
で、自宅から周りを見ると東京方面以外はみんな山に囲まれてるんですが、中学くらいから事あるごとに「あ~、あっち側に行きたいな」と思ってましたね。
ーー『進撃の巨人』でいう「海が見たい」みたいな感じですか?
そうそう! ネットがないころの田舎の子供の閉塞感って、分かってもらうのが難しいんですけど、その説明の仕方はいいですね。
実は一度、ダイヤモンド社に落ちていた?!
編集者になったきっかけの話でしたよね。逆に皆さんはいつ頃意識したんですか?
ーー就職活動のときかもしれないです。横田さんはとても早かったんですね。
そうかもしれない。就活では、何か調べたりするのも面白いからいいな、と新聞記者も考えたんですが、OB訪問に行くと「徹夜して当たり前」みたいな話があって。睡眠時間が5時間を切るとすぐに口内炎ができる自分には絶対無理で、やっぱり編集者しかないなと。それでいろいろな人に話を聞いて、ビジネス・経済系か、漫画の編集をしたいなと思うようになりました。
ーーそれはなんでですか?
話を聞いてみて、その2つのジャンルが一番、編集者の存在を感じたからですね。ただ、やはり大学院も受けようかなと迷ってたら就活に出遅れてしまって、日経BPとか東洋経済の募集は終わってしまっていたんです。ちなみにダイヤモンド社は間に合って受けたんですが、落ちてます。
ーーえー!(一同驚愕) ほんとうですか?
ほんとほんと。漫画を出している出版社も受けたんだけど、採用が終わっていたり落ちたりで、なんとかビジネス系の日本実業出版社に受かってセーフ…! みたいな就活でした。ちょうど就職氷河期ど真ん中だったから、どこにも受からなかったらどうするか、不安だったのを覚えてます。
それで日本実業出版社に入って、最初の3年くらいは「企業実務」という雑誌の編集部だったんですよ。皆さんみたいに職種別採用じゃなかったから、「編集部に配属します」と言われたときはすごく嬉しかったですね。
「企業実務」の編集部では、中小企業向けの総務・経理・人事向けの記事を作成していました。それを3年くらいやって2004年から書籍編集部に異動になったので、書籍を作るようになって今年で20年なんです。
ーーわあ! おめでとうございます! 成人ですね!
長いよね。まあ、そんな感じで編集者になったという話でした。
最初の会社のおかげで、実務書に目覚める
ーーその後、編集者としての得意ジャンルってどう開拓したんですか?
私の得意ジャンルは実務書なんですが、これは初めに与えられた環境がめちゃくちゃでかいです。「企業実務」という雑誌の編集部に配属されたじゃないですか。だから、法律とか会計・税金について必然的に勉強するんですよね。
加えて、日本実業出版社は、ビジネス書の歴史の中で実務書というジャンルを作ったと言えるような会社だったので、「実務書を編集できると偉い」みたいなカルチャーだったんです。その流れに素直に乗って、書籍編集者になって最初に製作した本も企画した本も実務書でしたね。
担当書で初めて大きなヒットになったのは、『フリーランスを代表して申告と節税について教わってきました。』という本で、これも実務書ですね。この本は今もかなり売れてるんじゃないかな。
2011年にダイヤモンド社に転職してきてからは、同じ実務書のジャンルでも、コーポレートファイナンスや金融、スタートアップなどのジャンルに主軸を移すようになりました。それに加えて、テクノロジー本や翻訳書、自己啓発書も手がけるようになっています。
ーー実務書ジャンルからどんどん広がっていったんですね。
そうですね。ただ、原点として、これからも実務書をしっかりと作っていきたいですね。あとでまた話せればと思いますが、「実務書にはめちゃくちゃ社会を変える力がある」ので。
「減価償却」の連載で、爆睡のち感激
ーー新人時代、思い出に残っているエピソードがあれば教えてください!
その質問をもらって、一番最初に浮かんだ記憶があるんですよ。
大学では社会学をやってたから、会計も税金も勉強してないし、企業の実務についても当然詳しくないんですよね。そんな状態で「企業実務」の編集部に配属されて、最初の頃に担当したのが減価償却についての連載でした。
読者である経理部の人にとっては非常に重要な制度だから、減価償却だけをテーマに1年間12回の連載をやろうという企画だったんです。その企画を「横田君よろしくね、原稿を思うように整理してみて」と任されました。「ありがとうございます!」と編集しようとしたんですけど、もうほんとうにわからないしつまらないわけ。
ーーえ、つまらなかったんですか!?
そりゃもう。しかも当時の「企業実務」は、出張校正といって、校了前に印刷所の一室に編集部のメンバーが集まってひたすら校正刷りを読み続けるという製作の仕方だったんですけど、たぶん酸素も薄いからか頻繁に寝てしまって。「難しいな……グー」みたいな。
先輩たちが優しいから起こしてくれるんですけど、「減価償却マジわからん」という感じでひたすらつらかったです。
ーーいまの横田さんからは全然想像つかないですね……。
でも、さすがに半年くらい経つとなんとなくわかってきて、あるとき突然、「減価償却って、すげえ!」って思えた瞬間が来たんです。「価値の変化や時間の経過をルールと数字で表現できてる!」と。その時に、「自分もこのジャンルの編集者でやって行けるかも」と思えたことをよく覚えてます。
ーー腑に落ちたきっかけみたいなものはあるんですか? 睡眠学習みたいな感じでした?
睡眠学習……なわけないでしょ! きっかけはないですね、ひたすら原稿を読んでただけです。
ーーインタビューの中編では、横田さんの行動を変えた本などについて、後編では、ベストセラーを生み出すコツなどを聞いています! ぜひご一読ください!