見出し画像

すべての道は仏教に通ず【#003 家族に乾杯】

家族に乾杯できる人ばかりではない


有名落語家が日本全国を歩き回り、いろいろな家族の生活を紹介するという長寿番組がありますが、みなさんご存知ですよね?

家族三世代、いや四世代が仲睦まじく暮らす様は、大変に微笑ましいほっこりとした気分にさせられます。

と同時に、日本はなんて平和な国なんだろうと再認識させられます。実に心温まる番組だ、というのが一般的な理解でしょう。

 しかしながらこの番組を見たくないという人も一定数いらっしゃるのではないかと思うのです。家族関係に悩んでいるような人はまさにそのような人であって、この番組ほど気分の悪いものはないと思うのです。

親とうまくいかない


 私が授業を受け持つ学生さんの中にも、親と信頼関係が結べていないような子は必ず存在しており、授業終了後などに相談を受けることがあります。相談に来るのはほぼ女学生で、父親とうまく関係が築けないというパターンが多いです。

どの家庭でも見られるような父娘の確執であるならば、さほど問題はないのでしょうが、中には余命幾ばくもない父親の葬儀に出席したくないがどうしたらいいのかという相談をしてくる子もいました。 結局その学生さんは、何とか自分の心と折り合いをつけて父親の葬儀に出席したようです。

でも、心と折り合いをつけたところで、、、おそらくその子は、、、父親の葬儀に出ても出なくても、、、一生苦しむことになるのではないかと思うのです。

葬儀に出なければいいじゃないかとおっしゃる方もいるでしょうが、おそらくその学生さんは、親の葬儀に出なかったら出なかったで、そういう自分を一生責めるんじゃないかと思うのです。そんな子でした。

誰だって自分を産んでくれた親をリスペクトしたいし、仲良くしたいはずなのに、それがままならないなんて。。。親が悪いのか子が悪いのか軽々に答えることはできませんが、自分の娘をそのような気持ちにさせることだけは避けたいです。私も子を持つ親として心からそう思いました。父親としてのあり方を常に意識するべきなのだろうなと思わせられる一件でした。

仏教の出番です


 こんな相談を受けた時、仏教は何をしてくれるのか。仏教に限った話ではありませんが、、、そういった人たちをこそ、宗教は救わなければならないのかもしれません。他人であれば話は早いのですが、これが家族・親戚となると、、、縁を切ることもできません。

家庭内の問題などは表面化しにくいことが多いし、きっと親戚も誰も頼りにならないでしょう。というかそもそも近くにいる親戚ですら、その家族間で何が起こっているのか正確につかめていないでしょう。

 一人取り残され行き場を失い苦しんでいる、その女子学生のような人が家族に乾杯できるわけがない。 もちろん番組を批判しているわけではありません。そうではなく、そのような家族間のトラブルで悩んでいる人たちを、宗教が救ってあげて欲しいということです。

とりわけ日本においては、仏教がその役目を担うべきでしょう。定期的にお寺で法事等の先祖供養を執り行っているような人たちは、きっと家族関係がうまくいっている人たちでしょう。あるいは、我慢してその場に列席できるくらいのトラブルで済んでいる人たちだろうと推測されます。

家族関係に悩んでいる人の中でも、その女子学生さんのように、問題点をしっかりと言葉で説明でき論理的に反論できる人ならまだいいのですが、その術がない人もいます。そのような人は、もっと苦しんでいることでしょう。

重症化するとその問題点すら気付かずに一人で思い悩み、そして自分が悪かったのだと責めるかもしれません。 そのような人たちこそ仏教に救ってもらいたいです。

きっと立ち直るには相当の時間を要するでしょう。いや一生苦しめられて人生終わってしまうかもしれません。そういう人に少しでも仏教が安らぎを与えられたとしたら、これ以上うれしいことはありません。

犀(サイ)の角(ツノ)のようにただ独り歩め


『スッタニパータ』というお経に「犀(さい)の角(つの)のようにただ独り歩め」という文章で締めくくられている一群のスートラ(歌)があります。40頌くらい続く歌です。ここで示されている内容は深いと思います。

あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況や朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め

妻子も、父母も、財宝も穀物も、親族やそのほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め

音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め

           (『ブッダのことば-スッタニパータ-』中村元訳)

 『スッタニパータ』は原始仏典と言われるもののうちで、おそらくもっとも古いものの一つと考えられています。私もどうしてよいか分からないような難題に突き当たった時は、このブッダのことばを読み返すようにしています。なかなかピタリの箇所がすぐに見つからないのですが、、、方向性を示してくれることがあります。

みなさんもぜひ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?