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だいすきなので

九州場所を、現地で滞在しながら見ていた最中に、突然、読んだ記事の中で、その名前が現れて、わたしは、旅先でないた。(あっここから文中敬称略です)

見えないところで支え合って並んでいる。殊に、この記事が出てから、場所のおわりまで、その念をつよく持っていた。来場所も、高砂部屋の関取はふたりいる。十両にふたり、になる。このまま、最初に決まったままの内容で、日々推移するのであれば、それは、来場所いっぱい、ということになってしまう。土俵入りで並ぶようなこともないままに。

九州場所の終盤に、急に、「朝乃山の出場停止、期間(名古屋場所から6場所、つまり復帰は2022年名古屋)がどうにかならないものだろうか」という声が、様々なところから出はじめた。そのことの是非についてどうこう書くつもりはない。書こうと思ったことはあるが、書こうと思えば思うほど、ループする。そりゃ、見たい。そりゃ、見たい。見たい。見たいが…そのとき、約束されたとおりに動かなくて、そのことについて、その当時決められたことに従っての今であると。どうしても、どこかで、カラダが固まってしまう感覚は、ある。

中日に、みかんの記事を見たときに、思ったことを、ずっと、場所のおわりまで、ひきずっている。部屋の方々が、それぞれに、どんなふうに、この時期を過ごしているのかということについて、引き続き、何度も何度も考える。あの日=5月場所の11日目が終わってから、ずっと。

そうしたら、せめて、絵の中でだけでも、残しておきたいと思うようになったのだ。一枚の絵の中に、大銀杏を結って締め込みを締めた姿で。

それぞれが取りたい上手の手を、外側に合わせるようにして並べることにした。ふたりは見つめ合うような角度にして、気がつくとマスキングインクで丸をいっぱい描いていた。

脳裏にあって姿も若干カメラで収めていた朝乃山の記憶は3月で留まっている(5月のことは、記憶にあるようで無い。既になにかが違ってしまっていたのかもしれない)。一方、てらs…朝乃若は半年以上経ったところでそこに立っている。妙なタイムラグは描き手の中にあり、されど同じ場所でみかんを剥いているひとびとでもある。

タイトルは、朝乃若が勝ち越しを決めた日の記事にあった、コメントからお借りしたことばに、いろいろな意味合いを添えて、拡げた。

だいすきなので、のあとに続く言葉は、絵の具に乗せて紙の上に拡げた。その日を迎えるまでに、また季節がふたつくらい巡るのだということを思うと、何かが零れそうなので、さっさと絵の全面にスプレーを塗った。

この絵に描いたことが、(人数は増えるのかもしれない)新年明けましても実現しないのだということを思うと、それでもただただ待つのだけれど、どうにも遠いところを見てしまいがちになる。

【2022/4/4追記加筆】この絵について、4/14-19の期間中、ギャラリー国立でのチャリティー展に展示していただけることになりました。長らく我が家の部屋個展のエースでしたが、しばし素敵に展示していただけることになりました。無理のない範囲でごらんいただけたら、とてもうれしいです。期間中在廊できないのは残念ではありますが、何卒よろしくお願いいたします。

「だいすきなので」

美しい人展
・テーマ:美しさ。それは容姿だけに非ず。
 生きるということ、人間の命の輝きを謳います。
 大切な何かを見つけることができる「美しい人展」

https://www.gallery-kunitachi.com/post/ukraine

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