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「高校生シリコンバレー派遣留学プログラム~ワールド寺子屋~」                 Day2:サンフランシスコ観光、ホームパーティ

2024年3月16日~25日は10年後か、20年後か、はたまた50年後かに私の人生の転換点として認識されることだろう。私は早稲田大学とNPO法人EdFutureが企画、運営する「高校生シリコンバレー派遣留学プログラム~ワールド寺子屋~」に参加した。これは私が初めて異国の地を踏み、風を感じ、変容していく過程を記した随想録である。自己の観察は殊に重要であるが、概して他者からの視点とは大きく異なるものである。故に、いずれ訪れる人生の節目で、岩に断たれる水となることを厭わない、そんな心構えの一助になればわざわざ振り返った意味もあるというものだ。プログラムの主旨については以下のサイトを参考にされたい(前回の記事より引用)。


Let's go to San Francisco!

  アメリカ人は寝るのが早ければ起きるのも遅い(これは日本の感覚ではある)。彼らは午後11時には寝床に入ったが起きたのは午前8時頃だった。時差ぼけのせいか午前3時頃に一度目が覚めたが、十分な睡眠をとることができた。朝食はチーズクロワッサンと揚げたベーコンにアサイーボウル。アサイーボウルとは要はフルーツの盛り合わせでこの日はブルーベリーとイチゴであった。対してベーコンは油の暴力を感じる。重いものとさっぱりしたものの両方を食べるのが不思議な気分であった。緑茶が美味。

 その後午前9時ごろにパロ・アルトを出発。霧の町、サンフランシスコへ向かった。ホストマザーの車はドアが上下に開閉し、操作に少々慣れが必要。さらに言えば何度運転席側を開けたことだろうか。道のりはとても美しい。ホストファミリーがアメリカで最も美しいと称する高速道路は日本のように壁で景色がさえぎられることもなく、起伏のある緑の大地が広がり、カリフォルニア州の花であるポピーが彩りを加えている。ポピーを摘むことは禁止されている。やはり開放感があり、自身をさらけ出してもなんの影響もないといったような安心感がある。景観が人間性に影響を与えている可能性を感じる道のりである。アメリカでは平均してスピードが速く、割り込みが多い。サンフランシスコ周辺の街並みは想像されるアメリカの家よりも日本の家に近く、密集していて高さがある。
 最初にバディのいとこの家にお邪魔した。いとこはいわゆる純ジャパのアメリカ育ち。この家系は皆和菓子が好きらしい。味覚は遺伝なのだろうか。それとも幼少期の食物によるのだろうか。

カリフォルニア科学アカデミー

 15歳のいとことともにカリフォルニア科学アカデミーへ。総合型の博物館で、水族館、博物館、科学館などといったふうに分かれていることが多い日本ではあまり見かけない形式だ。エントランスではティラノサウルスの骨格のレプリカに迎えられる。鉱石、動物の剥製、魚類、プラネタリウム、アルビノのワニなどさまざまなコーナーがあるが一番の目玉は実際の温度・湿度で再現された熱帯雨ドームである。二重の扉を抜けると数多の蝶が舞い、鳥のさえずりが聞こえる蒸し暑い空間に入る。鳥類、虫、爬虫類、両生類、植物に加え真ん中の池ではアマゾン川流域の巨大魚を確認した。
 地下に降りると魚類のコーナーが広がる。この博物館は2008年にリニューアルオープンされており、ホストマザー曰く、霊長類のコーナーだけは変わっておらず、懐かしいのだとか。この博物館にはエコシステムや紹介の仕方などに様々な工夫が施されている。ここでは書ききれないので「座布団10枚」とだけ言っておこう。

フィッシャーマンズワーフでの昼食

 カリフォルニア科学アカデミーから車で約20分、北部の海岸に面するフィッシャーマンズワーフを訪れた。フィッシャーマンズワーフでは彼の有名なアルカトラズ島を視認。脱獄犯が出たとはとても信じがたい。波は穏やかであるが緑青色である。海を望む「Fog Harbor Fish House」というシーフードレストランで15:30にランチをいただく。ここまでまともな時間にご飯を食べた記憶がない。現地在住で動画投稿サイト「Youtube」でサンフランシスコ周辺の観光案内動画を掲載しているManabuさんにおすすめされた、サワードゥブレッドにクラムチャウダーが入っているものを注文。ここでのグルメには驚きが満載であった。いくつか紹介する。まず、サラダを注文したホストファザーのもとに来たのは4分の1にカットされたレタスにソースがかかったもの。フォークとナイフで切って食べる。次にサワードゥブレッドについて。そもそもサワードゥブレッドとはイーストではなく、自然発酵された酵母を使用して作られたパンである。頬張ると、「なんだこれ」という感覚に陥る。私は名前からえぐみがあるなどという先入観を抱いていたのだが、そのようなことは全くない。何とも形容しがたいのだがあえて言うのならば、甘さに変わりつつある酸味である。このレストランはどの料理も非常に美味である。Hungryではあったが食べきれず、ホストも全員が何かしら残している。無料で紙箱がもらえ、持ち帰った。

ゴールデンゲートブリッジ

 サンフランシスコと言えばこの場所、ゴールデンゲートブリッジである。赤、青、緑の組み合わせは色の三原則から見ても当然であるが、とても美しい組み合わせである。海の真ん中に橋脚がないことで長さが際立っている。この橋が世界恐慌時に、政府の援助なしで作られたというから驚きである。短時間の滞在。10日間の留学はとても濃密なスケジュールだ。

ホームパーティー

 パロ・アルトに戻ると他の参加者のバディの家に向かう。そのバディの子のバースデイパーティーだ。アメリカではホームパーティーは頻繁に行われる。写真を見ていただければわかるがパーティーに適している。パーティーの日、その家の両親は全力でもてなしをする。父親は6時間以上特別なオーブンで焼いた肉を、母親はお菓子やケーキ、サラダなどを準備していた。惜しむらくはフィッシャーマンズワーフで15:30にたらふく食べたおかげでごちそうを前にあまり食べられなかったことである。永遠にミニトマトをつまんでいた。バディのいとこ然り、バースデーボーイの妹然り、自分より年下の女の子はしゃべるスピードが速く、聞き取るのに少々難があった。食べ終えた後は午後9時まで火を囲んで談笑したり、ゲームをしたり。トランプを使って、嘘を見抜くというプロセスがあるゲームをしたのだが、これは日本ではできないだろうと感じた。ハッピーバースデーの歌が日本と同じで(日本が同じ)不思議な気分であった。
 その後はホストマザーの運転で帰宅し、シャワーを浴びてホストは就寝。私も作業の後、午前1時頃には眠りについた。

See you later!






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