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必要とされること

私がフリーランスの道を選んだ理由の一つとして、歯科衛生士が思った以上に現場に必要とされている現実があり、力になりたいと思ったからという気持ちがある。
それは私の根本にも近い気持ちであり、仕事以外にも私自身の生き方の軸となっている。
だから何かに置いて「必要」としてくれる場面で呼ばれた場合はほぼ断らない。

ただ最近は特にこの気持ちに振り回されているように感じる。
それに自分の本当の気持ちを殺しているのではないかとさえ感じる場面もある。

人に「必要」とされている状況はとても気持ちよく、幸福感を得られるし、何より人のせいに出来る。
上手くいかないことがあっても、それでもあなたがそんな私を望んだんだよ、と心の中で言い聞かせると少し罪悪感が薄れる。
嫌な感情だ。

そもそもそれって私のインナーチャイルドを満足させることが目的なのかもしれない。

でもそれはかなり本来の自分の感情を無下にしていることに繋がるし、結果的に自己否定や自己肯定感を下げる結果に繋がっているように感じる。
そんなことが続けば自分の抑制された感情の行き先が無くなり許容量を超えると溢れ出す。
自分では制御できないくらいに定期的に暴れまわる。

一時そんな状態が嫌で、すべてを一旦考え直した時期があった。
本当の自分の感情に素直に行動しようと思った。
はじめは違和感と罪悪感と焦燥感でいっぱいになり、毎日泣いた。
孤独と不安と不満で、知らないうちに涙が出てくる。
でもしばらく自分の感情と闘いながら、色々な人の話を聞いた。
中身の薄い世間話だけど。

そんな時、ふと感じたことがある。
感情の落ち着きがある人は自分の感情に素直なんだと。
自分の予定や自分の気持ちに素直で、その素直さを誰の目も気にせず実行していた。
当たり前なんだけど、私には恐ろしく新鮮だった。
私にはそれは「わがまま」に見えていたから。
逆なんだなと気づいた。

周りがそうしているのを知っていたけれど、当時の私は優先順位が逆だったから不思議でたまらなかった。
でも周りと同じように行動してみるとわかった。

すごく楽。

だから最近の私の働き方は大変わがままになった。
自分に無理はしない。
必要とされている状況があっても必要とされている力を発揮できないと感じた場合は断ることにしている。
期待してくれている相手に失礼だと思うから。

逆の立場でも同じように考えることが出来るようになった。
必要以上に期待しない。
とっても単純で分かりきっている事なんだけど、どうしても感情が出て期待する。
すると期待に応えてもらえないと感情の行き場がなくなりあふれてくる。

まだしっかり受け止めたり、受け流したり、気にしないなんて高度なスキルは習得できてないけど、自分なりに少しずつ自分にわがままになっていきたいと思う。

そういえば診療でも過度にスタッフに期待しすぎて患者さんを入れてしまう場合があるけれど、それも過剰な期待なんだろうな。
必要としてくれるあまり、そんな行動に出てしまうんだろうけど、過度な期待はお互いの関係を揺らがせるきっかけになってしまうと私は感じる。

何事も腹8分目で納めることが大切なのかもしれない。
昔の人は良いこと言う。

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