怒り方がわからない
「瞬間湯沸かし器みたい」と言われる人がいるけれど、私はその逆だ。
腑に落ちない理不尽なあれこれに対して、かっとした感情は沸くけれど、それを瞬時に相手にぶつけることが難しい。
怒りに燃えている自分と同時に、それを俯瞰する自分がいて、
「その怒りは正しい?言って後悔しない?」と自分に問いかけてくる。
すると、沸騰寸前のお湯はしゅんしゅんと勢いを失くし、ぬるくなってしまう。
沸騰のタイミングを逸した感情は、澱みとなって、心に残り続ける。
事態が収集したあとに、周囲に「こういうことで頭に来たんだけど、怒るのは当然だよね?」と話してみることもある。
自分が怒りだと思っているものは、ただの言いがかりや幼稚な文句なのでは。
正しい怒りではないのでは。
とにかく自信がない。
周りから、その怒りが真っ当だったと支持されたところで、既に怒りをぶつける相手も状況も消え去っているのだけど。
そもそも本当に怒っていたら、自分で自分を客観視して「いやちょっと待てよ」なんて、呑気なことを考えている余裕はないのかもしれない。
自分こそが怒りの当事者なのだから、そこに客観性は生じないはずで。
だから私はほんものの怒りをまだ知らない。
単にそれだけのことなのかもしれない。
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