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洋書で英語:カズオ・イシグロ「Klara and the Sun(クララとお日さま)」

ノーベル賞作家カズオ・イシグロ作品

映画「Remains of the Day(日の名残り)」は、凛とした英国情緒漂う秀作だった。文字通り、その名残りに酔いしれた後、その原作者がまさかの日系と知って驚嘆したのが、カズオ・イシグロという作家を知った最初だった。

彼は英国人なので、ビックリする必要もないのだけれど、長崎県出身の人。日本人として勝手に親近感を持ち、「日本人が英語で、古き良き英国紳士の生き方をこんなに美しく描くなんて」と、自分のザ・日本人メンタルを基準に考えてしまったのだ。

その後読んだのが、臓器提供のために創造された子供達をモチーフにしたはかない小説「Never Let Me Go(私を離さないで)」。
独特の冷たい灰色の近未来感を堪能した。

そして、私の中でカズオ・イシグロは、他とは別格の作家になっていったのだ。
(……って、世界的ベストセラー作家に何言うとる、私?)

ノーベル賞受賞後初の作品となった「Klara and the Sun(クララとお日さま)」には、この「Never Let Me Go(私を離さないで)」の世界観が引き継がれている。
通ずるのは、自己犠牲を運命づけられて生きる者の ”unconditional surrender=無条件降伏”とその中でのあがきだ。自らの運命にわずかに「抵抗」し、一線を越えることで生きる意味を見出す物語。

原書で読む「Klara and the Sun」

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私はこの本を英語の原書で読んだので、この書評を書くにあたり、翻訳版についても少し調べた。現実に存在しない概念やモノを描いているので、簡単に言うと「訳しにくい話」だと思う。この表現はどう訳されているだろう?と気になる点がいくつかあった。

確認してちょっと不安になった。
翻訳が親切すぎる気がしたのだ。原書はそれほどわかりやすくない。なので、「原書と翻訳では、受ける印象が違うかもしれないな」と思った。

クララは店頭で売られているAI。店ではGirl AF Klaraと商品名がついている。”AF”は、Artificial Friendの略だと思うが言及はない。翻訳版では「人工親友」と訳されているようだ。生産された商品であるAFにも個性があるようで、能天気なGirl AF RosaやシニカルなBoy AF Rexなど、いろんな「子」が店頭に並んでいる。

中でも、Girl AF, Klaraは類まれな観察眼をもち、ショーウインドーの外の情景や人間ドラマの数々を認識し、解釈し、分析して人間の心のひだまで読み取る能力を身に付けている。素直に学習するようにプログラミングが作用しているのか、店頭に並んでいるときに店長から教えられたことを、クララは信じ忠実に守ろうとする。

「自分を選んでくれた子供にとってよき親友いることが、AFの幸せであり生きる道」だと。

そしてクララは、自分を選んでくれたジョジーという少女に特別な友情を抱き、献身的に仕えることになる。「Klara and the Sun(クララとお日さま)」は、そんな限りなく人間らしいAFクララの、ジョジーへの自己犠牲ともいえる献身の一生を描く物語だ。

(以下、少しネタバレあり)
クララが存在する世界は、NYなどのアメリカの都市や近郊を思わせるが、場所は不明。近未来であるようなその世界には、何やら恐ろしい「操作」が存在していることが示唆されている。

ジョジーは「lifted」された子供だが、彼女の幼なじみのリックは「not lifted」だ。この何やら不穏な「lifted=操作」により、リック少年は将来の進路を制限され、過酷な人生を歩まされているような示唆が続く。貧しいと「lifted」されないようで、あたかも「非差別階級」のような描写だ。いいなずけのようなジョジ―とリックの間に、この事実は重くのしかかっている。

この「lifted」という操作、翻訳版では「向上処置」と訳されているようで、その訳は、ちょっと反則的に分かり易すぎるんじゃないかという気がした。遺伝子操作か……とその日本語を見てやっと理解できたので、原文では、もっと頭の中がモヤモヤする仕掛けになっているのだと思う。説明を一切排除し、そこを感覚的に読み取らせる意図があると感じるので、そこにこの翻訳は説明的過ぎるように思う。
(とはいえ、翻訳版を読んだわけではないので、意見する資格なし)

ジョジーの姉は幼くして病死しており、ジョジー自身も同じように病弱で、死の影が常にまとわりついている。なぜ姉妹が揃って命に係わるほど病弱なのか不思議だったが、これもどうも遺伝子操作の影響のように今思えてきた。(読み取り切れてない?)

クララは、どうにかしてジョジーの体調を回復させようと、自らを犠牲にすることもいとわない覚悟でいる。「ジョジ―のAF」としての自分の存在は、そのためにあるのだとすら考えている。そして苦心して、お日さまに「ジョジーを助けてほしい」と懇願する。

太陽光で作動するAFにとっては、太陽は命の源。なので、クララは「お日さま」を崇拝しているのだ。しかしである。非常に高度な知能を持つAFが、深刻な病気の回復を、科学でなく「お日さま」の光に委ねようとするだろうか。そこに、何ともアンバランスに子供っぽい印象を受けた。

ちなみに英語では、太陽は、「he」という人称で表現されている。これが翻訳版では「お日さま」と訳されているのだろう。太陽光は、「Sun's(his) nourishment=太陽の滋養」だ。

また、工事現場で黒煙を巻き散らす「クーディングス」という謎のマシンもストーリーの核として登場する。なかなか不気味で醜悪な存在感を出しているのだが、結局何を示唆しているのか、最後までよくわからなかった。

「It’s a terrible machine(恐ろしいマシンなの)」と、あたかも語彙の乏しい子供のような表現をクララは繰り返すのみだが、やがて身を賭してまでそのマシンを破壊しようとする。一台壊したところでどうにもならんだろ?と正直思ったのだが、このあたり、「太陽を崇めるAIが、身を賭してまで毒を排除しようとする」ところが、著者の意図するこの物語の最も重要な暗示なのかもしれない。

AIが人の感情を汲み取れるまでに文明が発展しても、人は太陽がないと生きられない。太陽の恵みを台無しにするような大気の汚染は、人を滅ぼすのだと。そこに立ち返れという警告なのかもしれない。

やがて、ジョジーの母親がクララを「購入」した真意が明らかになる。この時に初めて、「ジョジーの歩き方をまねてみて」「ジョジーになり切ってみて」と、母親が不可思議なテストをクララに課した理由がわかる。

I want you to continue Josie.

あなたにジョジーを継続してほしい。

おとぎ話のようでいて、背筋が凍るような、あまりに切ないお話だった。クララとジョジー、そしてリックがどうなるのかは、伏せておくが、読後に静かでほろ苦い余韻を残す不思議な魅力にあふれるお話だった。

読者はクララの生涯に思いを馳せる。そして、恐らく自分の生涯にも投影して思いを馳せることと思う。

Klara and the Sunは英語もやさしい

「Remains of the Day(日の名残り)」は、執事スティーブンスの語りだったので、英語は格調高くクラシック。悪く言えば小難しく一筋縄ではいかないもので、英語で読むには苦労した。

一変して「Klara and the Sun(クララとお日様)」は、むしろ子供向けのようなやさしい表現が多い。ストーリー展開は、児童書のように感じるほどだ。しかし、そこに込められたメッセージは人間普遍のテーマ、幸福とは?人生とは?……なのだ。数々の秘められた暗示を読み取る難しさは、もう英語も日本語も同じだと思う。

私は二回読んだが、まだ全然分かった気がしない。もっと何かが隠されている気がする。そんな風に読者を思わせる物語だと思った。ここで自分の感想をまとめたうえで、もう一回Audibleで英語朗読を聴こうと思っている。

Klara and the Sunは、実は「母親の物語」

「Klara and the Sun(クララとお日さま)」は、AFクララと少女ジョジ―、そして幼馴染みの少年リックの物語だけれど、視点を変えると、それぞれの親達の葛藤を描く、「子を思う親の物語」でもあるのだ。母親として我が子に何をしてやれるのか、どこまでできたのか、全力を注いだのか、そして、その存在を失ったら生きていけるのか...…。

ジョジーの母然り、リックの母然り。
そして、クララの「母」であるAF販売店の店長然りである。

母親業というのは、答の出ない疑問への正解探しの長い旅。子を思うが故、焦りの連続で、どう頑張ったって、その先において幾ばくかの後悔を嚙みしめるもの。外からどう見えていようと、子供がどう感じようと、その母親の想いは、本人にしかわからないことだ。

もしかしたらこれは、子育てを終えた母親に最も刺さるおとぎ話なのかもしれない。でも、子供は親が思うほど弱くない。それどころか親が思う以上の強さを秘めているものだとも分かり、ふわっと救われる。

小説の冒頭に、献辞がある。

In memory of  my mother, Shizuko Ishiguro, 1926-2019.
(母、シズコ・イシグロ(1926-2019)を偲んで)

イシグロ氏のお母上は2019年に亡くなられたわけだ。彼のノーベル文学賞受賞は2017年。こんなに偉大なご子息の功績をその目に刻むことがおできになった。間に合ったんだ……と思うと、なんだかほっとした。

彼女の子育てには、後悔などあろうはずがない……。しかし、これもまた本人のみぞ知る。

*「Never Let Me Go」はAudibleが無いのですが、AudioCDはあるはずです。

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