『クイーンズ・ギャンビット』の「意図して」「意図せず」2つの感情表現。
いや〜どうしたらこんなにも表現を小さくできるのでしょうか!
Netflixの世界大ヒットドラマ『クイーンズ・ギャンビット』は全7話。チェスの天才少女の物語なんですが、脚本も撮影も演出も最高!そして演技が・・・凄すぎる。主人公ベスを演じるアニャ・テイラー=ジョイが超魅力的なんですよ。目が離せなかった!
ボクみたいにチェスのルールを知らない人間でも物語に乗れるように、このドラマは登場人物たちの心情を克明に描いてゆくんですが・・・台詞が少ないんですよね。ベスは基本無口で「オーケー」とかでたいていの会話を終わらせちゃう感じなんです。ではどうやって心情を語るのか、それはもう表情しかないんですよ。ところがベスってこれがまた無表情キャラで(笑)。ポーカーフェイスというか・・・でも伝わるってくるんです。ベスの心情が深く、しっかりと。
素晴らしい演技なんです。アニャが演じているのは「目のちょっとした緊張や緩和」とか、「ちょっとした目線の移動」とか、「微細な表情の変化」とか、信じられないくらい小さな、微細な芝居なんですよね。ところがそんな小さな小さな演技の一つ一つがいちいちガツンガツンと観客の心に響いて・・・最初から最後までドキドキさせられっ放しでした。
今回はこの『クイーンズ・ギャンビット』の、小さな小さな表情の芝居だけで壮大なドラマを描いてゆく、その演技の構造について解説したいと思います。
「感情」を演じるのではなく「感情の変化」を演じる。
まあ主演のアニャ・テイラー=ジョイは目が超大きいので、彼女の目の芝居の画面専有率は普通の俳優の倍くらいあるのですが(笑)、セリフが無い瞬間でも、(いやセリフが無い瞬間ではなおさら)、彼女がふと目を伏せたり、ふと何かを見たり、ふと目の周りの筋肉が緊張したり緩和したりすることで、彼女の心の中でどんな感情がわき起こっているのか、そして彼女のその目線の先でどんなことが起きているのか、それらが全て観客に伝わってしまうんです。
なぜそんなことが可能なのでしょう? それはこのドラマの俳優たちが「感情」を演じているのではなく、「感情の変化」を演じているからです。心情の変化のまさにその瞬間を大切に演じているんです。
現実の世界でもそうなんですが、人が人の感情の「状態」をパッと見て理解することって意外と難しいんですよね。だからこそ嬉しい・悲しい・怒りなどの感情は大袈裟に演じられてしまうことが多いのですが・・・それが人物の感情の「状態」でなく、人物の感情の「変化」なら観客もパッと見て理解することができます。
なので演技を小さく小さく、つまりリアルなサイズで演じることが可能になるんですね。
そんな俳優たちの小さな小さな芝居を、素晴らしい照明の効果と、的確な撮影の画角とカメラワークでクローズアップして、小気味良い編集のテンポで観客の心に焼き付けてゆく・・・『クイーンズ・ギャンビット』の「小さいけど破壊力抜群な芝居」ってそんなキャストスタッフの見事な連係プレイの上に成り立っているのです。
「意図して」「意図せず」2系統ある感情表現。
『クイーンズ・ギャンビット』の演技についてもう一点。
よく「日本人は感情表現に乏しい」「日本人に比べて欧米人は感情表現が大きい」などと言われますよね。でも本当にそうなんでしょうか?
ボクは我々が日常で目にする人間の感情表現には2系統あると思っていて、この2つを俳優は分けて考え、演じるべきだと思っています。
ひとつは「コミュニケーションのための感情表現」で、これは相手に自分がどう感じているかを伝えるために意図的に見せる大きな表情や仕草。
そしてもうひとつは「心の動きとしての感情表現」で、これは相手に見せるつもりもなく、何かに反応して不意に表情や仕草に現れてしまった意図的ではない小さな感情の動きです。
この①つめの「コミュニケーションのための感情表現」のサイズが欧米人は大きいんです、日本人に比べて。
それは文化の違いで、日本ではこのコミュニケーション表現が大きいとちょっと詐欺師的な「胡散くさい人」と評価され、逆に欧米では大きくしっかり表現しないと「何を考えているのかわからない人」と評価されてしまうからです。
では②つめの「心の動きとしての感情表現」はどうでしょうか?・・・これが日本人も欧米人も大して変わらないんです。どちらも小さい。
本当に心が動いた時、人はふと真顔になる。
よくテレビ東京の『Youは何しに日本へ?』とかで、欧米人が感情を大きく大きく表現しながらコミュニケーションしている最中、不意に何かサプライズ的なびっくりするような事が起きた時・・・彼らふと真顔になったりしますよね(笑)。
意図的に作って見せている表情より、意図せず出てしまった表情の方が小さいんですよ、実際には。そしてこの②の「心の動きとしての感情表現」に関しては欧米人も日本人も同じサイズなんです。
で『クイーンズ・ギャンビット』の俳優たちはもちろん①の「コミュニケーションのための感情表現」も演じているのですが、この『クイーンズ・ギャンビット』の物語を引っ張っているのは②の「心の動きとしての感情表現」の方なんです。
この「意図して」「意図せず」の2つの感情表現が混ざり合って現実世界の人間の感情は表現されています。俳優はこのことに自覚的に演じるとよいと思います。
②は要するに「心の動き」って反応ですから、意図的に演じる事はできません。本当に反応するしかないんです。このドラマ全7話を見ていると、全てのショットの反応が上手く演じられているわけではありませんが、主演のアニャ・テイラー=ジョイの打率はかなりのものです。
反応を反応としてきちんと演じることができた時、その表現はホンモノに見えて観客の心に迫ってきます。これがこのドラマがチェスに興味ないはずの世界中の人々に届いて大ヒットした理由の一つではあるでしょう。このドラマのせいでチェス盤が売れに売れて、チェス人口がすごく増えたらしいです。影響力ハンパないですよねw。
小さな小さな表情が作品のテーマを雄弁に物語る。
いや〜この『クイーンズ・ギャンビット』、あまりにも好きだったんでもう5周くらい観たんですがw、ラストの公園でのベスと老人たちのシーンは毎回落涙してしまうんですよね。特に最後のベスのアップのショット・・・これも完全に小さな目線の移動の芝居ですよね。
試合中カメラが人物の真正面に入りがちだったこの『クイーンズ・ギャンビット』、人物の目線は常にカメラレンズのちょい上ぎみだったんですが、このラストショットではベスがふとカメラレンズのど真ん中を見ます。
これホント小さな小さな目線の移動ですが、これによってベスと観客の目が合ってしまうんですね。ドキッとします。だって、今までベスの人生を見てきた我々観客が、ベスによって見られてしまうんですから。そしてベスはこちらを覗き込んで小さく微笑む・・・ここで毎回涙腺が決壊するんですよねー。この笑顔の芝居で全7話に起きたことのすべてが回収されてしまうんですよね。この瞬間にボクが毎回受け取ってしまうメッセージは以下です。
「さて私の人生の物語はここで終わりです。自己肯定感を失った私の苦悩の人生の物語・・・でもこれってあなた自身の人生の物語でもありませんか? わかる。辛いでしょう。でもホラ、私がこうやって自己肯定を獲得したみたいに、あなただって自己肯定感を取り戻せますよ、きっと。」
そう、ボクはこの映画はチェスの物語でも孤児の物語でもなく、女性の自立の物語でもなく、才能の中に潜む悪魔の物語でもなく、ドラッグやアルコール中毒の物語でもなく・・・自己肯定感を保てなくなった人間に関する物語だと思うのです。
親に捨てられて自己肯定感を保てなくなった少女が、チェスを通じて人と心を交わすようになり、自己肯定感を取り戻す物語・・・いや〜これって非常に現代的で切実なテーマだと思います。
そして今回この現代的なテーマを見事に演じてみせたアニャ・テイラー=ジョイ。彼女から学ぶべきことはまだまだたくさんありそうですね。
あ~もう文字数が尽きてしまいました。他にも養母アルマ役のマリエル・ヘラーの素晴らしい演技についてとか、あと負けてゆく男たちの演技が素晴らしかったこととか、カメラワークと演技の連動のこととかいろいろ書きたかったのだけど・・・もう一回くらい『クイーンズ・ギャンビット』について書きたいですね。まさしく2020年代の演技!だったので。
『クイーンズ・ギャンビット』はNetflixで見れます。超オススメです。
小林でび <でびノート☆彡>
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