ブログ検察側の罪人

主演とは?助演とは?

観てきました『検察側の罪人』

90年代風味爆発のパワフルな映画でしたね~。映画冒頭からラストまでドキドキするジェットコースター・ムービーでした。

最初に映画全体の演技面の感想をザックリ言ってしまうと・・・

どの俳優さんも気持ちよさそうに歌舞いてましたね。『レオン』のゲイリー・オールドマンの演技とか90年代に大流行したスタイリッシュもしくはエキセントリックなキャラクター演技を彷彿させました。

それと早口。映画前半『シンゴジラ』顔負けの早口で説明台詞がまくしたてられます。ボクはその速さついてゆくのに必死だったんですがw、これで90年代風スタイリッシュ/エキセントリック演技特有のテンポの悪さを封じていたのかもしれない、と思いました。

そして・・・いや~思いのほかバトルしてましたねえ。

W主演だとか、いや違う木村拓哉主演だとか、いろいろ揉めてたらしいですがw。

映画冒頭からボクの頭は大混乱でした。まあ早口でマシンガンの如く繰り出される説明台詞にアップアップしてたってのもあるんですが・・・映画の中に主人公の演技をしている俳優が2人いるんですよ!

木村拓哉(以下キムタク)と二宮和也(以下ニノ)、観客が乗るべきライドが2台あるようなものですよね。いや、そういうの気にせずに客観的に観れる人は大丈夫だったのかもしれませんが、ボクはどっちの人物に乗って映画を観進めればいいのか迷って混乱しました。

まあ映画でも舞台でもそうなのですが、主演俳優のするべき演技と助演俳優のするべき演技には違いがあります。

主演俳優には観客と手をつないでストーリーの中を連れまわすような演技が必要とされます。たとえ役が内向的な人物であっても、主演俳優が観客とカメラにだけはその人物の秘めた感情を明かす演技することによって、観客はその主人公の視点から映画の世界を体験してゆくことができます。

それに対して助演俳優はもっとミステリアスな存在であっても大丈夫です。助演俳優はストーリーに謎と波乱を提供します。そのためには観客とカメラに対してある程度感情を逆に秘める必要があるんです。

これを『機動戦士ガンダム』に例えると主演はアムロ、助演はシャアですね。

アムロは観客と一緒にストーリーを泳いでゆきますが、シャアは違いますよね。シャアが次に何をするかは観客にはわからないし、実際何かをした時でも何故それをしたのかがなかなか理解できなかったりします。

アムロは全ての感情を表情に出してしまうので観客はアムロのことを理解できるのですが、シャアは仮面を被っているので表情がよくわからないんですよ。目が見えないので不敵な笑みの意味がわからない(笑)。でもそれでいいんです。そのミステリアスさに観客は次の展開を期待して引き込まれてゆくんです。

シャアがアムロみたいに感じていることや思っていることを全て観客に開示していたら『機動戦士ガンダム』はどうなっていたでしょう。最初からザビ家に対する憎しみを随所随所で表明していたら・・・それはようするにシャアはアムロの敵じゃなくて味方だってことになっちゃいますよねw。それではアムロとシャアの戦いがまったく盛り上がらない。

シャアがガルマを見殺しにした時も我々観客は「シャアはザビ家打倒を考えているんだな」とは思わずに「シャアって私欲の為なら友人も殺すような恐ろしいヤツだな」と思いましたよね。シャアの感情や事情が詳細に開示されていないからこそ、そんな恐ろしい男がホワイトベースに襲いかかってくるのだ!と観客はドキドキできるわけです。

なのでシャアの演技はあれがベストだと思うんですよ。観客が理解できそうで理解できない絶妙な表現。ミスリードを含むミステリアスさを保ちながら左遷され世界を放浪し、ララァと出会い執着し、キシリアに接近し、そして最終回でシャアは自分の全ての事情と感情を明かして死んでゆきます。まあ劇場版で死んでないことにされてしまいましたがw。

長々とガンダムの話をしてしまいましたがw、ボクが思うに脚本上の『検察側の罪人』ってこのアムロ/シャアの構造に近いんじゃないのかと思うんですよ。

ニノがアムロ、キムタクがシャアです。

映画はニノが新人検事になるところから始まります。なぜか。それは観客がニノというライドに乗ってこの映画の「検事の世界」を地獄巡りするためです。そしてニノが出会うのは教官であるキムタクです。キムタクはキラキラ輝いていてミステリアス・・・ニノはキムタクに憧れます。つまり観客もキムタクに憧れるんです。

以上、脚本構造上のこの映画の主人公はどう見てもニノなんですよね。ニノがアムロ、キムタクはシャアなんです。

だからラストはキムタクが自分の事情をすべて開示して消えてゆくわけです。これって超ワクワクする布陣じゃないですか?

ニノがアムロで、キムタクがシャアの『機動戦士ガンダム』!

ニノがルークで、キムタクがアナキン(ダース・ヴェイダー)の『スターウォーズ』!

ニノが不動明で、キムタクが飛鳥了の『デビルマン』www!

・・・どれも見たい!!!(笑)

ところが撮り上がった映画『検察側の罪人』はシャア/アムロの構造にはなってなかったんですねー。W主演状態になってました。

ニノはアムロです・・・なのにキムタクもシャアのマスク無しの素顔で登場して主演俳優の演技をしている、おもいきり内面を明かす芝居をしてるんですよ・・・つまりこれはW主演というか・・・Wアムロ状態ですw。

それが演出意図なのか、映画会社や所属事務所の意向なのか、それともキムタクの演技プランなのか・・・それは全くわかりませんが、とにかく出来上がった映画はそうなってます。

キムタクが開示するので、観客はキムタクの気持ちと事情が分かっちゃってるんですよ。その結果、作中のニノよりも観客の方が事情が詳しくわかってしまっている。そのせいで中盤からニノが観客の分身として機能しなくなってゆくんですね・・・。

結果ほとんどすべての情報を知ってしまった観客は後半、ライドに乗らない俯瞰した状態でキムタクとニノがそれぞれに悪戦苦闘しているのを傍観することになります。

あと最後にもう一点。

シャアはもっとアムロの事がすごく気になっているし、ダース・ヴェイダーも若造のルークをすごく気にしているし、飛鳥了も不動明を強烈に気にしてます。 キムタクファンのボクとして残念だったのは、キムタクのニノに対する作中のケアが薄かったことです。超あっさりだった。

だってキムタクと言えばかつて女子に対するケアの細やかさで一世を風靡した俳優ですよね。『ラブ・ジェネレーション』『ビューティフル・ライフ』『HERO』・・・ヒロインや女子たちの心をゆり動かすケアが素敵で個性的でした。

そして今回の『検察側の罪人』のヒロインは吉高ではなくニノだったと思うんです。だってキムタクに心を奪われるのは吉高ではなくニノなわけだからw。

伝家の宝刀でもって、もっと具体的にニノの心を揺り動かす瞬間が見たかったです。

主演の演技とか助演の演技とか、演技って複雑ですよね。

そしてさらにその周辺の役の演技がありますよね。彼らには作品世界を構築する実直な演技を求められます。そう、普段は地味に世界に同化しながら、でもスポットが当たったらその瞬間には「実直で地味な人間にも鮮烈で活き活きとしたディテールがある」ことを見せる・・・そんな演技ができる俳優は最高ですねー。

演技って、役を読み込んだり役になりきるだけでなく、シーンの中でその演技がどのように機能するかを考えて、そして観客にどのタイミングで何を見せて、何を感じさせるかを加減する必要があるんですね。

いや~難しい、そしてとてつもなく面白いです。

小林でび

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