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『ボヘミアン・ラプソディ』の素晴らしき 着ぐるみ演技

ボクが初めて聴いた洋楽は、家で母がよくかけてた2枚のLPレコード、ピンク・フロイドの『狂気』とクイーンの『オペラ座の夜』・・・こう書くとどんな母親だとかと思われそうですが、ごくごく平凡な家庭の主婦でした(笑) そんな思い出の『オペラ座の夜』の中で小学生のボクにとってもダントツに衝撃的だった曲・・・それが『ボヘミアン・ラプソディ』でした。

見ましたよ映画『ボヘミアン・ラプソディ』!やっぱり泣いちゃいますよね。

ボクはラスト近くの『ボヘミアン〜』からの『レディオ・ガガ』のイントロのところで泣いちゃいました(笑)なんでだろ。 あのピュンピュンいうシンセ音とシンセベースがクイーンの新しい時代の象徴みたいに聴こえて、フレディがピアノから立ち上がってそのリズムにあわせて踊り出す・・・ああ!・・・とにかく泣いちゃいました。

演技。よかったですねー。どの俳優がよかったとかじゃなくてみんな。なんだかフレディ、ロジャー、ブライアン、ジョンの若い頃に会ったような気になりました。
この映画における演技法について、ちょっと面白かったので語らせてください。

まず、みんなコスプレが完璧なので(笑)衣装・髪型・メイク・持ち道具・・・もうこれは『オズの魔法使い』のライオンや案山子やブリキ男を着ちゃってるみたいなものなので、俳優たちはそこに重ねて本人の顔真似や声真似を!・・・やるかと思いきや、ほとんどやりませんでしたねー!

その代わりに髪の毛の奥に隠れたキラッキラした小さな目の生々しい反応、感情のディテールを演じていて、カメラもそれを積極的に的確に捕らえてました。いや〜最高☆
これね、2018年型の『オズの魔法使い』だと思いました(笑)迷子のフレディがライオンと案山子とブリキ男と一緒にホームに帰るまでのおとぎ話。

コスチュームと髪型とメイクでキャラを完成させているので、俳優はじつは演技で人物像を説明する必要がないんですよ。

あとは数か月かけて楽器のあつかいや特徴的な動作をマスターして、いざ撮影が始まったら俳優は感情とコミュニケーションに集中すればいい。

その結果・・・若きロジャーとブライアンのなんと可愛らしかったこと! あれは説明的なキャラ演技では到底辿り着けないイキイキした全身の動き。身体ごとバンドメンバーと音楽とコミュニケーションして、感情が自然と爆発したから発揮される豊かなディテール。
どの人物も目がポカーンと見開けるくらいリラックスして、そのキラキラした目で世界を受けとめてる。受信機能全開で演じているので周囲で起こる物事や言葉に最大限にイキイキと反応できる。素晴らしい演技でした。

実在の人物モノの映画の演技って、3タイプあると思うんですよね。

①外面をガチで表情や声色まで真似て完コピするタイプ(『Ray/レイ』『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』『ジェームス・ブラウン ~最高の魂(ソウル)を持つ男~』『ストレイト・アウタ・コンプトン』など)。

②極端なキャラをつけてファンタジー風味にしてしまうタイプ(『グレイテスト・ショーマン』『アマデウス』『ソーシャル・ネットワーク』など)。

③俳優の強烈な個性で押し切ってしまうタイプ(『ウルフ・オブ・ウォールストリート』『ラスト・エンペラー』『ダラス・バイヤーズクラブ』など)。

音楽伝記モノは圧倒的に①が多い気がしますね。
②と③は元の人物が映像としてあまり知られていない場合に最適ですよね。②は俳優が変わっても同じ演技をして、③は俳優が変わるとおそらくキャラが変わります。

①の完コピタイプはここ数年の流行りですが、面白いんですが演技が説明的になりがちなんですよね。そりゃそうですよね、顔真似・声真似しながらナチュラルな演技なんて無理ですからw。

すべてが見せる用の表情になるので、その演技自体がどんなに素晴しくても感情のディテールが少なめになってしまうのは仕方ないですよね。でもディテールが少なくなるとひとりで悩むシーンとかがとんでもなく退屈になるんですよ。観客は同じキメ顔を長々と見せられることになるので(笑)

で、それらの欠点を克服するために現れた新しいタイプの演技法④が『ボヘミアン・ラプソディ』でも演じられてるものです。キャラは見た目で説明しきってしまい、俳優は表情を作らずに感情とコミュニケーションに専念するのでディテールは豊か。ボクはこれを「21世紀の着ぐるみ演技法」と呼んでいますw。

フレディっぽい見た目とか、ゲイっぽさとか、ロックミュージシャンぽさとかはもう衣装と髪型とメイクにまかせっきりです。 もちろんフレディらしい動作をマスターするのですが、それはダンスの振り付けや殺陣をマスターするみたいに撮影の数か月前から訓練する形で身体に染み込ましてしまう。それらをアルゴリズム化してしまってさして意識せずとも自然にその動作が出るように血肉化する。登場人物たちが無意識にやっていたことは俳優も無意識にできるように身体に叩き込んでおくわけです。

つまりフレディという着ぐるみを着込んでしまうわけです。・・・さあこれで撮影の本番中に俳優が集中すべきことはコミュニケーションとリアクションをイキイキさせる!だけです。

みんな目をキラッキラさせて世界を見てましたよねー。フレディの目で、ロジャーのブライアンのジョンの目で世界を見てたんだと思います。

フレディ役のラミ・マレックはインタビューで役づくりに関してこう語っています。

「口ひげをつけたらもうそれでそっくりです(笑)」 「動きを真似るんではなく、彼と同じように自然に動けるようにしないといけなかったんです。」 「フレディの動きを真似しようとするのではなく、フレディの動きの進化を理解しようとしました。そうした訓練は1年間毎日続き、自宅でもやっていました。」

あとひとつ、この「21世紀の着ぐるみ演技」の重要ポイントは、フレディや登場人物たちにもそれぞれに別の何者かを演じている時間がある・・・ということを理解することです。そしてその時間は俳優たちも同じように、フレディたちが演じようとしていたその何者かを演じる。

たとえばステージ。彼らはロックを体現しようとしていますよね。ならば俳優たちも同じようにロックを体現しようとすればよい。それは動作を真似るのとは違います。

そしてたとえばレコード会社とのミーティング、パーティでのふるまい、好きな異性の前でのふるまい・・・そういう時間は誰でもちょっと演じてしまうものですよね。ならば俳優も実際の人物と同じように演じてしまえばよいのです。それは動作を真似るのとは違ってもっとイキイキしたものになります。心がともなっているからです。

そして変幻自在になれます。現実の人間のように、いろんな顔を持ちながら一人の人間でいられるのです。

ボクが普段やってる演技ワークショップでも、俳優たちの悩み相談になるとたいていこの話題が出ます。「自分のまま演じるのがいいのか、それとも役の人物のふりをするべきなのか」その2018年型の答えのひとつがコレなのかもしれませんね。

そのように演じられた映画『ボヘミアン・ラプソディ』、俳優や監督が脚光を浴びるのではなく、観終わった後にはフレディの姿が、ロジャーとブライアンとジョンたちの姿が我々の心に残っている。
フレディたちをもっと好きになれる・・・最高の映画でした☆

小林でび <でびノート☆彡>

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