仕事は楽しい必要がある?

「最近の若い世代の多くは会社に擬似イエ(家)を求めている」
それは、会社の外に家族やコミュニティといったホームベースを持たなくなったからだ。
さらにそれは、コミュニティよりも楽な「機能性」を重視する様になったから。
この様な特徴を持っている現在の若い世代(宮台氏は「劣化した若者」と呼んでいる)を雇用し、生産性を求めるための戦略として、最近のベンチャー企業などでは働くことを「愉しく」するための仕組みやカルチャー作りなどを重視しているのだ。

動画の論旨の一部は、上にまとめた様なものだった。
もやっとした違和感があるので、自分の職場に当てはめて整理してみて、違和感の正体を考える。

仕事に愉しさを作ることは甘えなのか?

自分の職場でも、私自身の信念として、仕事は愉しめる様にすべきだと強く感じてきた。今でもそう信じている。そもそもの違和感は、私の信念と、宮台氏や安藤氏の言う「仕事に楽しさを求めること自体にものすごく違和感がある」という意見が相反する様に感じたことだ。これを機に、自分の信念自体が有意義なのかどうかを評価してみたくなった。

じゃあなんで自分は仕事を愉しめる様にすべきだと信じてきたのか、を考え直してみよう。

私が仕事に愉しさが必要と信じてきた理由

正確に言うと私が強く信じているのは、「ソフトウェア開発をするにあたり、開発しているエンジニア達がその創造物を作ることに対して快感を感じている場合に本当に良いものができる。逆に愉しんでいない場合には良いものができる可能性は非常に低い。だから、エンジニア達が愉しめる様にしなければ成功しないのだ」と言うこと。

何故か。
体験的にそうだから、なのだが、それはいい加減なので別の角度で分析する。

膨大なパワーと集中力が必要

ソフトウェアを開発する際に、定義する一つ一つの要件・ユーザのニーズに対する理解・書くプログラム・UI、などなど全てのアウトプットは、考えても考えてもキリがないほどに、全方位的かつあらゆる詳細に関して緻密に考え抜く必要がある。一度改善してもそれが正解とは限らず、こだわったらまさにキリがない。当然、膨大な労力と集中力、そして目的達成に対する「こだわり」を必要とする。

マニュアルでは制御できない

サービスは、基本的に依然と全く同一のものを作ると言うことがない。毎回オリジナルである。(もちろん、優れた部品等は再利用をすることによって開発の効率化や品質の向上と安定化は必要)
よって、前のやりかたをプロセス化して踏襲し、繰り返せば完璧な開発ができるものではない。注視するポイントや誤るポイントに傾向や類似性はあるが、マニュアル化することによって大量に生産することができない。大体、マニュアル化したところで細かすぎて、マニュアルを適用すべき全ての場面で、各チームメンバーがもれなくマニュアルを適用し、適用の仕方も同質にすることは単純に不可能だ。

そうなってくると、結局個人の性質や努力に、アウトプットの質が決定的(場合によっては致命的)に依存することになる。私自身は、この仕事は個人の能力や性質への依存性を本質的に排除することができないと考えている。

クォリティ=属人性+?

では、どうしたら開発チームが求めている以上のクォリティを出せる様になるのか?その答えが「愉しさ」なのだと思っている。

例えば、ユーザの欲求・要求・課題についての理解の正確度を高めることは一つの最重要ポイントだが、そのためにはユーザとのコミュニケーションによる聞き出し、聞き出した内容の言語化とその再確認、ユーザが意識的に理解・認知していないかもしれないインサイトの探索、等を何度も繰り返しながら進めることが大切だ。何回繰り返せば本当の答えに辿り着くのかには一定のルールは存在せず、関係当事者がこれで十分と信じられるまで繰り返す。

この例をとれば、「ユーザの欲求・要求・課題について解像度高く理解し切ること」自体に対して当事者がこだわることで求める品質が産み出される。そして、こだわるというのは、個人の感情や欲求から発生する行動であって、誰かに矯正されたりマニュアルに従うことで発生はしない。

「こだわり」の正体

「こだわり」は個人のものであるから、品質がその「こだわり」に依存する限り「品質は属人的である」ということだ。ならば「こだわり」を個人の中に作り出す手段を見つけるしかない。

こだわることの本質は、何かを自分が好きな様にするということ。好きな状態になること、または、好きな状態を作り出す行為そのものが、楽しいのだ。その「個人が好きな状態」と「施主が求める状態」が一致すれば、チームが求めるアウトプットを出す行為が愉しいものになる。

「こだわり」を人為的に作り出す

個人の趣向はバラバラで、他のもの(チームや個人)と自然的に一致していることを期待するのは無理がある。そうであれば、擬似的にでも良いから一致させてしまえばよい。単純な例で言えば、それぞれの個人が求めるものを、施主が求める状態が達成されることを条件としてそれぞれの個人に与えるインセンティブを提供することで、目標とする状態を擬似的に一致させることが可能だ。それがお金、俗に言うボーナスであることもあれば、仕事場をまるで家族の様に個人にとってのホームベースになり得る状態にすることだったりする。

長くなったが、そんな理由で、チームのアウトプットを高めるために私が常に重要視しているのが、個人とチームの目標を合致させるための鍵と方法を探し出すことなのだ。

結論:仕事を楽しくすることは、必要

考えてみた結果、よって私の仕事にはやっぱり必要だ、と言う結論。あくまでも、良いサービスやシステムを作り出すための手段だ。これは「最近の若人」と仕事をする場合にのみ必要なのではない。仕事など辛くて当たり前だと考えていて、それでも自らを律して受け取っている報酬のために身を粉にして働くことができる、という昔気質風な人と仕事をする場合でも一緒だ。こだわりポイントをコントロールすることが重要なのであって、義務感の強さが役に立つとは限らないから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?