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滝伝説から学ぶこと

 北九州市の東部の山奥に、菅生(すがお)の滝と呼ばれる30メートルほどの滝がある。市内では最大の落差であり、夏は暑さをしのぐために訪れる人も多い。この「菅生」という地名は「素顔」に由来する、という話が菅生の滝伝説の中に記されている。


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 菅生の滝伝説
 むかし、遠賀の香月の里に、歌姫という心のやさしい、たいそう美しい姫がいました。歌姫は香月の里長の一人娘で、里の者はみな歌姫の美しさと心やさしさを褒めたたえていました。

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 中でも熊彦という若者は心から慕っていましたが、身分が低く、かわいそうに声をかけることもできずにおりました。

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 暗い冬の夜も去り、明るい春の空が見え始めたある夜のこと。
どうしても一目歌姫に会いたいと思い、熊彦は恐ろしさも忘れ、歌姫の屋敷の塀を乗り越えて、広い中庭の隅に忍んでおりました。

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 おぼろ月に誘われて、庭の梅も香りだし、薄桃色の花びらも、夜目にもくっきりと浮かんでいました。
 そのおりから部屋を抜け出た歌姫が、梅の花の香りに惹かれたものか、長い黒髪を背で束ね、手に短冊と筆を持ち、熊彦の忍んでいる梅の木のそばまでやってきました。

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 しかし歌姫はどうやら筆も進むようでもなく、しばらくしてのち奥座敷へと戻ってしまいました。 
 ほっと一息ついた熊彦の目に、先ほど歌姫が手にしていた短冊が、梅の小枝に揺れているのが見えました。
 熊彦は走りよって短冊に自分の思いのままに一首したため、小枝につるしました。

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 「ます鏡 清き月夜に 照る梅を
   醜手(しこ)わが恥ぢて 手折りかねつも」

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 翌日、梅の小枝の歌を読んだ歌姫は驚き、心を打たれ、書いた人がわからぬまま、和歌の男を慕うようになりました。

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 歌姫さまが和歌の男を探し求めているという噂を耳にした、歌姫のことを慕う、蔦麻呂という長者の一人息子が自分が歌の主だと名乗り出ました。ほどなく香月の里あげての、大きな結婚祝いの式が開かれました。

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 熊彦はおどろいて、お祝いの席に向かって遠くから、
歌を詠んだのはこの熊彦じゃあ、と叫びました。

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 それを聞いた蔦麻呂は声を荒げて罵って、家来の者に、すまきにして滝へほうり込めと言い、熊彦は滝つぼに投げ込まれて、命を落としてしまいました。

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 その日から歌姫は毎日熱にうなされるようになりました。熱で体が火のようにほてって苦しみました。

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 ある日のこと、歌姫は夢を見ました。山中の滝つぼに身をしずめて、体を冷そうとすると、突然白い蛇が巻き付いてきて、気分が良くなったと思うと夢から醒めました。

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 歌姫はどうしてもその滝に行きたくなりましたが、蔦麻呂の家族に止められてしまいます。
 ただ毎晩夢にうなされる歌姫を思い蔦麻呂の家族は古老に相談しました。「姫は白蛇に見初められたのだろう、滝へ行くことは仕方ないが、白蛇に歌姫と悟られぬよう、顔に黒い墨を塗っていきなさい。」
蔦麻呂の家族はしぶしぶ歌姫が滝へ行くことを了承しました。

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 歌姫が一人の老女を連れて参道を歩いてゆくと、間違いなく夢に見た滝が現れました。滝つぼのそばに近づくと、すごい勢いで落ちてくる水しぶきで、顔に塗られた黒い墨が拭い去られ、素顔になってしまいました。
 しぶきがかかればかかるほど、不思議なことに歌姫の顔はつややかに美しくなっていきました。

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 歌姫が手で滝つぼの水をすくおうとすると、滝つぼの底深くに隠れていた白蛇が姿を現し、歌姫の手を取って、滝の底へと沈んでいきました。

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 それからというもの、化粧をした女が滝に近づくと、みるみるうちにおしろいがはげ落ちて素顔になると言われ、素顔(菅生)の滝と呼ばれるようになりました。

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 もしかしたら伝説の話のとおりに、本当に白蛇がいたのかもしれない。
或いは白い水しぶきをあげる激しい滝の姿を、白蛇と見立てたのかもしれない。

 歌姫も、本当に白蛇に巻きつかれたのかもしれないし、たまたま急に白蛇が現れ驚いて、足を滑らせて滝つぼに落ちたのかもしれない。

 しかしながら、この伝説は歌姫の死を題材にした、里長の一人娘から、一人の開眼した女性へと生まれ変わる変容の物語でもあると思う。

 そのおりから部屋を抜け出た歌姫が、梅の花の香りに惹かれたものか、長い黒髪を背で束ね、手に短冊と筆を持ち、熊彦の忍んでいる梅の木のそばまでやってきました。

 おそらく歌姫は、平穏な屋敷での暮らしに、あまり希望を持てない退屈さを感じていたのではないだろうか。

 ところがその熊彦という若者が詠んだ歌を見て、突然それまでの暮らしにはなかった、心のともし火のような希望を見出した。このような正直で美しい心を持つ男がこの世にいることに驚き、そして強く慕うようになる。

 翌日、梅の小枝の歌を読んだ歌姫は驚き、心を打たれ、書いた人がわからぬまま、和歌の男を慕うようになりました。

 しかし名乗り出た男は、邪心に燃える蔦麻呂だった。
 歌姫は騙されて結婚したことを知り、絶望のどん底に突き落とされてしまう。

 その日から歌姫は熱にうなされるようになりました。熱で体が火のようにほてって苦しみました。

 毎日のように熱にうなされ苦しんだ。
 それは心身の浄化とも言える。
 偽りの結婚が引き金となって、それまでの過去もすべて振り返ったに違いない。そして熱にうなされる中で、古い何かが終わり、何か新しいことが自分の中で起こっていることに気づいた。

 ある日のこと、歌姫は夢を見ました。山中の滝つぼに身をしずめて、体を冷そうとすると、突然白い蛇が巻き付いてきて、気分が良くなったと思うと夢から醒めました。

 夢の中で白蛇と出会い、癒される。
それは白蛇という神聖さの象徴との出会いであり、そこで変容が起こったことを意味している。
過去の古い自分という夢から目覚めたのだ。

 滝つぼのそばに近づくと、すごい勢いで落ちてくる水しぶきで、顔に塗られた黒い墨が拭い去られ、素顔になってしまいました。

 屋敷での優雅な暮らし。しかし退屈な日々。
突然それまでの平穏さを打ち砕くような偽りの結婚、そして絶望。
それらすべて世俗的なことはもうすっかりどうでもよくなってしまった。

 森の奥にある滝は、俗世を離れた、聖なる場所の象徴だ。
そして水しぶきは聖水となって、歌姫の本性をあらわにする。

 しかしこの伝説の最も美しいのは次の部分だと思う。

 しぶきがかかればかかるほど、不思議なことに歌姫の顔はつややかに美しくなっていきました。

 顔に塗られた黒墨とは、自分の本性を隠す仮面を意味している。
 しぶきという聖水が仮面を洗い落してゆく。
 歌姫はそこで自分自身の本当の姿を知った。
 仮面が落ちれば落ちるほど、つややかに美しくなってゆく。
 滝という命の根源性のような水に、素顔の自分が映っていた。

 あの短冊の歌を詠んだ時に心に沸き起こった愛が、本当の自分の姿だと知った。
 生と死を超えた真実をその水鏡の中に見出したのだ。

 素顔であれば真実の自分が見えてくる。
 だから素顔のままで生きなさい。

 それがこの伝説のエッセンスであり、歌姫からのメッセージではないかと思う。


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 参考文献
『福岡のむかし話』
福岡県民話研究会編 ㈱日本標準刊


【ドローン空撮】北九州市小倉南区 菅生の滝
KDP北九州ドローン推進協議会


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