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平和の使者は何処にか

(文4800字)


 数日前、佐賀の海を初めて見た。
果てしなく広がる大海原。
繰り返し打ち寄せる波。
遥か彼方から吹いてくる透明な風。
これまでに見たどの海ともまた違う雄大さと平安さ。
真夜中に雲間から覗く星空も神秘的だった。
宇宙の色がものすごく黒い。
UFOが見れるかなと思ったが、やはり今回も現れなかった。



 先日、みぞおち空間さんがUFOに関する話題を記事にされていた。
みぞおちさんは誰に対しても、また風景でも動物でも植物でも分け隔てなく、いつもオープンなハートで接する方。
それはUFOに対しても同じだった。

 
数十年前に私も目撃したことがある。
後ほどそのことについても書いてみたい。





 ところで最近のニュースに、「アメリカ議会で7月26日、UFO=未確認飛行物体に関する公聴会が開かれ、アメリカ軍の元パイロットらが任務中に遭遇したUFOについて証言した。」というものがあった。

空軍だけでなく、旅客機のパイロットたちは皆、頻繁にUFOを目撃しているという。その中には軍が機体の保管もしているとの証言も。実際はUFOのみならず、宇宙や地球外生命に関する膨大なデータを保有しているに違いない。



 第二次大戦中にはナチスドイツがUFOを開発し、また戦後アメリカでもUFOが製造されていたらしい。第二次世界大戦の終戦前後、ナチスの残党はUボートで南米に逃亡し、1980年代後半に至るまでモサドによる逮捕劇が続いた。その一方でナチスの科学者たちの一部はアメリカに亡命という名目で連行され、兵器製造やUFO開発に携わった。それが真実ならば、目撃されたUFOすべてが必ずしも宇宙から飛来したものではないということになる。

長年UFOの目撃談は世界中に数多く存在する。第三次世界大戦の危機が迫ると騒がれているこの時期に、公聴会が開かれたのは何故だろう。これから先、宇宙から飛来するUFOを頻繁に目撃することになるという注意喚起か。それとも地球産UFOの飛行が増えることを想定したカモフラージュなのか。



 私の周囲にも国内でUFOを目撃した人がいる。子供の頃、母が東京郊外の自宅近くの路上を夜歩いていた時に、頭上を大きな光る円盤が高速で通過していく光景を見てびっくり仰天した、という話を何度も聞かされた。

またある友人は富士山近く御殿場附近で巨大な葉巻型UFOを目撃し、その母船に丸い小型UFOがたくさん出入りしている光景をしばらくの間眺めていたと語った。

著名人の中では、「奇跡のリンゴ」で有名になったリンゴ農家木村氏の宇宙人に誘拐された話はとてもリアルで興味深い。




 しかし中には明らかな誤解に基づく目撃談もある。以前、奈良県天川村にある天河神社近くの民宿に宿泊した際、たまたま「UFOを見る会」という数人の人達が同泊していた。夜間にUFO観察会なるものを開催するというので、同行させてもらった。天河神社附近は標高が高く空気が澄み、星空観察に適した場所だが、UFOの目撃や神秘現象が多いことでも有名だった。

村はずれの明りのない所まで歩いてゆき、彼らは雲に覆われた夜空を見上げながらUFOに来てくれと願う。やがて頭上を次々流れていく雲間から、キラキラした星がいくつも現れた。彼らはそれをUFOと呼んでいた。


 

 地球外から来たものか、地球産なのかという議論はさておき、私自身は30数年前に3回ほど見たことがある。初めて見たのはインドのプーナという街に暮らしていた時のこと。当時住んでいたアパートにはエアコンがなく、 夜遅くになってベランダに出て、涼しげな夜風に吹かれるというのが毎晩の憩いのひとときだった。

ベランダの正面方向、およそ5キロ先に国内線空港とインド空軍基地併用の滑走路があった。周囲は草むらに覆われ、夜は真っ暗闇。ここでは国内線の離発着が終わる夜9時過ぎになると、時々戦闘機の離着陸訓練が行われていた。

爆音を轟かせながら、4機5機と間隔を開けずに離陸していく。まだ滑走路が終わりきっていない所で、「ハイレートクライム」と呼ばれる直角に近い角度にいきなり向きを変えて急上昇し始め、数秒もたたないうちに雲の中へ消えていく。




ところが、その夜見たのは戦闘機ではなく、滑走路附近にふわっと空中に浮かんでいる一点の光だった。高度はおよそ50~60メートル位。初めそれは小型ヘリコプターがホバリングの訓練でもしているのかと思った。

音もなく静止していた。不思議に思い、しばらく凝視していると、突然一秒間に数回という速さでジグザグに激しく動き、いきなりパッと消えて、次の瞬間には数百メートル離れた別の上空に現れるといった異常な動きが数回繰り返されたのだ。

ジグザグに動いて瞬間移動するUFOの話は、それ以前にも聞いたことがあった。しかし実際に目の当たりにすると、非現実的かつ不自然な動きに感覚と思考がついてゆけず、頭がフリーズしてしまう。これはやはりUFOに違いないと頭の中で整理できるまでには、しばらく時間がかかることになる。




 2回目はあまりにも至近距離だった。それは東京世田谷区の住宅街にある友人宅の2階の窓から見たものだ。春のうららかな朝10時頃、南向きの窓辺に腰かけ、友人と二人で外の景色をぼんやり眺めながら雑談していた。

突然、友人が「あれ、何だろう?」と指をさした。
その方向に目をやると、視界左側からこちらに向かって、住宅街の真上を銀色に輝く立体的な楕円球型の物体が、ゆっくり近づいてくるのが見えた。

一瞬アドバルーンが風に流されているのかと思ったが、当時は無風で、しかも物体は一直線上に動いて、まったく揺れてもいなかった。アドバルーンなら大抵赤と白色をした丸くて大きな風船がゆらゆらと動いているはずだった。



前後左右シンメトリカルなデザインで、窓や突起物、或いは文字のようなものは一切なく、均一でツルンとした滑らかな銀色の「金属」に覆われていた。アルミより明るい色だが、鏡面ではない。しかし地上で見ることができるいかなる金属とも違う密度が非常に高い質感で、太陽光を綺麗に反射していた。

飛行高度およそ20~25メートル、窓からの距離約100メートル。物体の大きさは全長4~5メートル、幅2~3メートル位。時速40~50キロメートル位。
卵型の軽自動車が住宅街の真上にある透明なチューブの中をゆっくり走っているというようなイメージだ。

物体はそのままの姿勢と速度を維持したまま、視界の右方向へと飛んでいき、やがて視界の端から消えていった。




 3回目は、ある朝11時頃、羽田空港から札幌に向けて離陸した直後の旅客機内から見たもの。

空港から北側に位置する都心方向に向けて離陸し、高度を徐々に上げていく最中、左手前方北西方向に、輝く夕陽のようなオレンジ色の、ラグビーボールに似た楕円形の物体が浮遊しているのが見えた。
周囲の座席に座っている人は誰も気づいていない様子だった。窓ガラスに機内の照明が映り込むということもなかった。




当時の羽田発の離陸ルートと、付近の地図とを見比べると、その物体が浮いていた場所は、東京都大田区城南島上空、高度約500メートル。若い頃、航空写真撮影の会社に勤めていたことがあり、セスナから地上を撮影する指定高度がおよそ500メートルだったので、体感的にその位だと分かる。

飛行機からの距離はおよそ150~200メートル。もし直線的に進んでいたとしたら、あわやニアミスだっただろう。飛行機が旋回を始めたのは衝突を回避するための動きではないかと思うほどの近さだった。東京湾の上空で千葉方面に旋回し、見えなくなるまでの間、約20秒間ほどじっと見続けた。

大きさは直径15~20メートル、高さ5~10メートル位。やはり窓のようなものや突起物、文字はなかった。
色と形状は、その後に読んだオスカー・マゴッチ氏の著書「宇宙船操縦記」の中で記述されたUFOとまったく同一のものだったので驚いた。
この本にはマゴッチ氏が自らUFOに乗り込んで深宇宙まで旅する記録が克明に書かれている。あまりにもリアル過ぎて、とてもフィクションには思えない。また深宇宙世界の美しい描写には深い感動を覚えた。自分が見たUFOと同じものかもしれないと思うと、かなり親近感を感じる内容だった。


 世田谷で見た銀色に輝く物体と、このオレンジ色の物体とはやや異なった楕円形状だったが、どちらもとても穏やかな存在感を放っていた。

目撃した当時は呆気に取られて何も思いつかなかったが、今出会ったなら、心の中でこう叫ぶだろう。

「お~いそこの宇宙人!
あんたらそこで何しよん?
わざわざ遠いところからやってきて
何でただ見てるだけなん⁈
この危機的状況の地球を救うために
ちょっとは手助けしてくれてもいいんちゃうの!?」



    しかし、彼らはいっこうに私たちの前に姿を現わそうとはしない。彼らは地球人に関心は大いにあるが、関与はしないというスタンスのようだ。
本気で地球と人類を救いたいと思うなら、地球人自ら一人一人が立ち上がれ、とでも言わんばかりの沈黙ぶりである。



 地球に飛来する知的生命体がいったい何を考えているのか、何故関与してこないのか?

このことについては、noteの中に答えが見つかった。
noterのかりんさん御自身の翻訳による絶版本「アミ小さな宇宙人」の中に詳しく書かれていた。

ここにはさらに宇宙人アミが暮らす惑星の生活の様子も克明に描かれているので、とても興味深い。
この翻訳は他のいかなるチャネリング本よりも分かりやすく、良心的な話に満ちている。


このかりんさんの翻訳を読むと、一つの惑星に生まれ、その経験の中から大切なことは何かを学び知ることが、生まれてきた大きな理由の一つであることがよく理解できる。
また彼らは地球人類が危機的状況にあることを、そして地球の現状が宇宙にもネガティヴな影響を与えていることも知っている。人類をモニタリングするために来ているのだと思う。



 地球上には、人々の切実なる平和への願いに一切聞く耳を持たず、自分の恐怖心と生存本能と支配欲に絡め取られ、正気を失っている権力者がいる。
この狂人の周囲を取り囲むように、敵対勢力との対立をさらに深め、人々の恐怖心を煽り、兵器を売って莫大な富を得る者が政策を立案する立場にいる。何をか言わんやである。

今、第三次世界大戦と核戦争勃発の危機が時々刻々と迫ると騒がれている最中、恐怖心を煽るこうした術中にハマるのではなく、平和を願うこと、平和を祈ることは、とても大切なことに違いない。



その一方で、占星術においては2023年は過去200年続いてきた「地の時代」が終焉、「風の時代」にシフトしたと言われている。この中で私たちの意識はどのように変化していくのだろうか。

産業革命から始まった「地の時代」=物質至上主義的な世界が終わり、「風の時代」=目には見えない世界を見つめる時代となった。これからはより自分自身の内面が浮き彫りになるという。

平和を願うこと、平和を祈ること、これは「地の時代」における物質世界の平安に重点を置いた意識の持ち方だったのではないだろうか。外側の世界が豊かで平和になれば幸福になれると誰もが信じて生きてきた。
しかし「風の時代」の中では一転、内面に重点を置いた意識の持ち方が問われることになる。意識の中にあるものが外の世界に現れるからだ。

意識すべきは、存在の中心において「平和を決意すること」ではないか。

平和の使者は宇宙からはやってこない。
私たち自身の中にいる。
宇宙人たちが地球に関与しようとはせず、沈黙を貫き通しているのは、そのことを知っているからではないかと思う。




北九州市小倉北区鴎外橋



FRANZ WAXMAN Carmen Fantasie
FRITZ KREISLER La Gitana pour violon et piano
HIMARI



ありがとうございます



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