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門司港黄昏散歩


 北九州市北端にある関門海峡の街「門司港レトロ」では、今月から来年3月まで「イルミネーション2023門司港レトロ浪漫灯彩ろまんとうさい」が開催されている。
日暮れと共に始まる歴史的建造物のライトアップと、港を囲む街路樹のイルミネーション。それらが港の海面に映り込んで揺れる無数の光模様が加わり、街の風景をよりいっそうドラマティックに彩る。

壇ノ浦の闘い、武蔵と小次郎の巌流島の決闘、下関戦争(1863∼4年、長州藩とイギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国との間に起きた武力衝突事件)など、門司の前に広がる海峡は、古くから時代の変遷をもたらす節目の舞台となってきた。

明治時代初期までは漁と塩づくりの小さな漁村だった門司。その後輸出港としての拠点となったことから、街は激動の歴史を辿るパノラミックな舞台へと移り変わっていく。

大戦中にはほとんどが爆撃によって焼失した門司の街だが、門司港は最終兵站へいたん基地という性格上、軍部が意図的に港湾荷役を捕虜にした為に爆撃を免れ、港を囲んだ建造物は奇跡的に残った。

昭和時代に関門鉄道トンネル、関門国道トンネル、関門橋、新幹線の海底トンネルなどが次々に開通。陸と海の二つの交通の要衝が交錯する「拠点」だった門司は、本州と九州をつなぐ「通過地点」となり、街は衰退の危機に直面する。

大戦の戦火を免れた歴史的建造物は、解体が予定されていた直前になって、新たな街づくりのために保存されることが決定。明治から大正にかけての日本の産業近代化の歴史を物語る貴重な国の重要文化財として認定される。

そして今、ライトアップされた美しい街並みは、多くの人を惹きつける観光名所となった。街を歩けば、国内外からの旅行者の姿がとても目立つ。あちらこちらで記念写真を撮る人たちから聞こえてくるのはアジアの言葉。現代的なレストランやカフェ、土産物店、ホテルが港を取り囲み、旅人の憩いのひとときを演出するお洒落空間となっている。

しかしながら、ここがテーマパークのような再現された街並みと明らかに異なるのは、この地が激動の時代を通り抜けてきた、正にその現場であるということだ。

街の姿を幻影のように映し出す光と影の波間を見つめれば、その時代を生き抜いてきた先達の、悲喜交々の余韻が今尚漂っているかのようにも見えてくる。
街の姿形は時代の変遷と共に移り変わっていった。がしかし、時代の流れに翻弄され、この街を通り抜けていった人々の膨大な量の想いは、建造物の壁や敷石や岸壁に深く浸み込み、歴史の重みとして蓄積され、後世の人々の感性の中に受け継がれてゆくのだろう。
ライトアップされているのは、むしろそのことなのかもしれない。
歴史のうねりが保存された街。
ここはまた、新たな歴史を刻みつつある現在進行形の街でもある。


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門司港の歴史

小さな村から国の特別輸出港へ

門司港は、もともと漁村と塩づくりの小さな村でした。1889(明治22)年、国の特別輸出港に指定されたことをきっかけに街は著しく変化してゆきます。石炭の中継貿易、また大陸貿易の基地として、日本の三大貿易港にまで飛躍したのです。
1891(明治24)年には、九州鉄道が門司港駅から高瀬(現在の玉名駅)まで開通しました。記念すべき開通の日の夜、門司港の空には遅くまで花火があがったそうです。
この時代には三井物産や大阪商船、日本郵船の出張所などが置かれ、さらに日本銀行をはじめとする銀行の支店が集中し、門司港は九州の金融中心地となりました。

異国情緒あふれる大正時代
1895(明治28)年、関門港の輸出額は神戸・横浜に次いで全国第三位となり、1916(大正5)年には、門司港の外国貿易の出入港船舶数は年間4974隻(大蔵省税関部調べ)で、全国一となりました。
異国の香りを漂わせた外国船が毎日波止場に入り、港は賑わいました。街には外国から入った珍しいもの、例えばハムやチーズ、チョコレート、洋酒などが並び、博多や小倉から買い物客が訪れていたほどです。料亭や花街が賑わい、映画館が立ち並び、街は人々で溢れ返りました。
門司港レトロのハイカラな街の風景は、この時代に醸成されたものが基盤になっているのです。

トンネル開通の光と影
そんな門司港に転機が訪れるのは、1942(昭和17)年の関門鉄道トンネルの開通でした。これを皮切りに、1958(昭和33)年に関門国道トンネル、1973(昭和48)年に関門橋、1975(昭和50)年に新幹線の海底トンネルが開通します。陸海の交通の要衝だった門司港は、交通網の発達により”通過地点”となってしまったのです。
さらに、太平洋戦争の終結により大陸貿易はさびれ、1987(昭和62)年、国鉄から民営化したJR九州の本社が福岡市へと移されると、鉄道の街としての誇りも失われてゆきました。

レトロ建築、解体の危機
レトロの近代建築群は、皮肉にも港の急速な衰退によりひっそりと残されていましたが、打ち続く不況の中、昭和60年代に入ると、ついに旧門司三井倶楽部(当時の門鉄会館)や旧大阪商船(当時の商船三井ビル)、旧門司税関(船だまりの埋立計画による)に解体の危機が迫りました。これら建造物に文化的価値は見出されていたものの、保存するだけの財政的な余裕がなかったのです。
そんな時、自治省が「ふるさとづくり特別対策事業」を創設します。東京の一極集中から生まれる地域間格差の広がりを是正するため、地域の知恵と発想を生かした取り組みを国が支援し「ふるさと」としての創生を後押しするためのものです。1987(昭和62)年のことでした。

門司港レトロの誕生
これにより、当時の末吉市長が中心となって歴史的建造物を生かしたまちづくりの構想が動き始めたのです。1年後には門司港レトロの基本計画は正式に承認され、整備を開始しました。そして、1995(平成7)年、「門司港レトロ」はついにグランドオープンを迎えました。
取り壊し目前となっていた歴史的建造物は、こうして現在に残すことができたのです。門司港レトロの風景は、栄華の記憶とともに、当時の街の息遣いを後世に残そうと動いた多くの人々の物語を今に伝えています。

門司港レトロHP


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北九州市門司区 門司港レトロ





















































































関門海峡の数々の伝説と海峡都市 関門の歴史





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