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10万円貸して。と学校の友達に言われたら?【子どもとの対話】

夜な夜な子どもと話す、よもやま話。
建前なんて教えたくないし、語りたくもない。
ガチで、自分の思いをしっかり持って育ってほしいから
子どもを生んでから、
私もガチで生きることにした。

ガチに会話して、
ガチな生きざまを見せることは
子どもが思春期になって、
じわじわと効いてきているように思う。


クラスで起きている事件


今日も、子どもとの話。

学校で、お金の貸し借り事件が起きた。
学校って、事件の宝庫だなと思う。

なにかがあるたび、
ふうん。あの人達。で終わらないムスメ。
中学女子の素朴な、だけど答えるには頭を使う
そんな【人生の疑問】をよなよな話す。親子の会話


今日はこれだった。


お友達にお金を借してと言われて
貸したけど、返してくれない。

半分返してくれたけど
半分は返せないと言われた。
そんなとき、どう思う?
(これはクラスで今問題になっている話)

もし、これを読んでいるあなたが聞かれたら、
なんて答えますか?


私はお金かよー。。。
と思いました。


追加の情報。

貸し借りの額10万円
返してっていったら、5万円を返してくれて
残りの5万は返せないといわれた。


親に相談したといったけど
きっと相談していない。
借りた子は、他の子からも借りている。
(額が少ない子には返している)


繰り返しになりますが
もし、これを読んでいるあなたが聞かれたら、
なんて答えますか?


10万円ってあたりで、
オヤ側のスイッチがはいってしまいそうである。

ななな、なんやてー!!!!!
みたいな😊


10万円って、子どもが貸し借りする額かい!!!

真っ先に浮かぶのはそんな言葉。


いじめか?
カツアゲか?
なんか事件か?
みたいな。



そこから冷静になってみて、
もしも、一般常識で答えるなら=たいていの人は
「そもそもなんで貸し借りがあるのだ(貸し借りが悪い)」
「借りたお金は返す(返さないのは悪い)」
「貸すなら、借用書を書くか、返してもらわなくてもいい前提で貸す」
「返してもらえなかったら、泣き寝入りはしない」


みたいなところが
論点になるかなー・・・と思う。


加えて、もしこれが
わが子が当事者だったら、
どれだけ感情的にならずに言えるか。とか
どこを一番大事と言うのか?が問われるなと思う。



でもさ、善悪じゃないんだよね。


つい、いい悪いで良いそうになってしまうし
いい悪いで子どもに言うべきことはたくさんあるように思う。
でも、子どもと話すときに大事なことは
ぜんぜん違うな、と思った。



なぜなら、いきなりお金が動くわけがない。
なにかの背景がある。
貸し借りが悪いとか、額が大きいとか、学校で。。。という善悪は
子どもだってわかっている。
それを押してなお、貸し借りが発生してしまう背景。


あるいは、その善悪がわかっていないなら
わかっていなことの、背景。


それを無視しては、やっぱり四の五の言えない。
そう思う。



お金が絡む絡まないに関わらず、
私はこどもと話すとき。あるいは大人と話すときでも
背景なしに、善悪をいうのは、ほとんど暴力だと思っている。
そして、それは別にオヤじゃなくてもやってくれる。


だから少し考えて、こういった

「お母さんだったら、まずHUGするな」
それが発覚して話すまで、あるいは話していても
とってもどきどきするよね。
どきどきと言うか、びくびくかもしれない


そして
返す返さないを問うのは、
先生などに任せたってやってくれる。
親がしたいのは、ただ話を聞く。だなと思う。


先生に話せなかったこと、
本当はどんなことを思っているのか。
善悪なジャッジの間からは、
こぼれてしまいそうな話を聞きたい。


もし善悪の優先順にをつけるとしたら?


ちなみに、もし、善悪に優先順位をつけて話すとしたら
私だったら、優先順位はこうだ。

そもそも、返ってこなくても貸したいかどうか。

あるいは返してもらえなくてもOKな額か
あげたと思っても、踏ん切りのつく額を貸す。


そこに不安があるなら、
借用書を書いてもらう。




返してもらえなかったら、
大人だったら弁護士を立てるなり、
子どもなら先生に言うなり
うやむやにはしない。
ウヤムヤにするのは、相手にも自分にも失礼だ。

と思うと話した。



断れないから貸す。は無しだ。
(ちなみに、昔ビジネスパートナーに
そういう状態でお金を貸して、
非常に嫌な思いをしたことがあるので
その経験から。でもある)


実は、この話には、後日談があって、
後日、このムスメとの話を
カウンセリングの師匠としたら、
もっと奥の深い視点があって、
私は唸ってしまった。

それは・・・


 

ビジネスと、人の付き合いの
落ちのつけかたは違うんだよ。


 
師匠からの言葉

たとえば、借用書を書く。というのは、
ビジネスの世界ではそうだけど、子どもにはまだはやいんじゃないか?


そして、そういうときのこどもには何が必要だとおもう?
(→これはHUGだな。と思っている。実際そうだといわれた)


子どもの世界の貸し借りと
ビジネスの世界のやり取りのちがいは
ビジネスが介入していないということ。


人として、貸し借りのある2人の
共有できるエッセンスは
友情である。

そういう視点から見たときに
あきらめないで請求する。は自分の立場だけにいる。
友情、はその人自身の力をサポートしてあげられるかどうか
つーことじゃないのか。

なんてことを師匠からいわれた。


ここまで話すと別の問題が浮上する。
相手を信用できるのか?
みたいなもの。



返してもらえなくても踏ん切りのつく額を貸す
というのにも、信用はあると思うけど
諦めるのと、許すには、信用の度合いが違うと思う。


・・・なんて話

ちょっと長くなるので、この話はまた別にしたいと思う。



もめ事って、できるだけドライに善悪で語りたくなるけど
人を育てているときには、
ドライではない奥行きがあるんだよな。
 
 
 
できればそれを、そのままちゃんと
子どもと話しながら育ちたい。
答えがないことでも、答えがないことを良しとして
考えたことが未来になると思う。

いただいたサポートは、子育てのDVから回復する支援をしている団体に寄付します。ありがとうございます。