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八勢眼鏡橋と日向往還の石畳

今日訪れた史跡は、熊本県御船町の山中にある八勢眼鏡橋(県指定重要文化財)。この眼鏡橋は日向往還上にあり、八勢川にかかる橋ですが、以前は木の橋だったため、増水すると橋が流され、みんな困っていたため、安政2年(1855年)に御船町の材木商が私財を投じて架橋した石橋だそうです。山深い場所にある為、周りに近代的な人工物がなく、昔と変わらぬ風景です。自然とよくマッチしていますね⛰

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写真ではわかりにくいのですが、この橋は下記の図のように、3つの橋が一体化した珍しい石橋です。当時の石工さん達、凄いです✨

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分かりやすい様に写真で見ていきましょう♪用水路は現役で、今回は稲刈りも終わって水も流れてなかったのですが、せっかくなので、稲刈り前の水が流れている写真でご紹介します。

まず、水路橋のアップ

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水路橋の上から撮った、大橋と小橋、2連のアーチ

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小橋のアップ。可愛らしい橋ですね。用水路の水は昔から周辺の棚田を潤しているんでしょうね。

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眼鏡橋(大橋)全景と、橋の上から八勢川を臨んだ写真。高い💦

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橋を渡った向こう側には日向往還の宮崎延岡方面に続く美しい石畳の道が数百メートル続いています。この道も、石橋と同時期に作られたそうです。早速見に行く前に、軽く日向往還の説明をしますね。日向往還とは、肥後の国(熊本県)と日向の国(宮崎県)を結ぶ九州を横断する旧藩時代の古道です。西南戦争の時は、敗走する薩摩軍がこの日向往還を通ったそうです。この橋を西郷隆盛も通ったかもしれませんね!因みに、参勤交代に使われた官の道を「街道」と呼び、商人や町人が通った民の道を「往還」と呼ぶようです。では、石畳みまで行ってみましょう!

てくてく橋を渡ります🏃‍♀️

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山道に続く石畳の前にやってきました。左手には石碑があります。暫く登ってみます。ドキドキ

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昔のままの風景です。向かって左手は断崖絶壁、右手は渓流が流れています。風情がありますね〜

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左手の断崖絶壁には、岩を切り出した跡。石橋に使ったんでしょうね。

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石工さんの工具の跡らしきものも⛏

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石畳の道から眼鏡橋を臨む(右の橋は現在の車道です。景観的に邪魔ですね💦)

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因みに、眼鏡橋の入り口の集落の名前は茶屋本といいます。昔はきっと、これから橋を渡って山道に入る商人さん達が休憩するお茶屋さんや宿があったんでしょうね。近くには池田屋で新撰組と戦って敗れた勤王の志士、宮部鼎蔵の生家跡もあります。また、戦前の俳人種田山頭火は、日向往還を旅する途中、「分け入っても分け入っても青い山」という代表句の一つを詠んだとされています。街道沿いには様々な歴史があって、ロマンを感じますね✨

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最後までお読み頂き、ありがとうございました😊


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