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誰か俺を不採用にしてくれ

今回の記事は初回ということで、これから自分がどんな目的で記事を書いていくのか、ということを書き殴りました。正直、かなり冗長です。

先人曰く。

自分の立ち位置を定めるためには、社会と自分の両方を知らなければならない。

つまり、
インターンに行け
自己分析をしろ

ありがとうございます。
先輩方がいなかったら、今頃八畳の快適アパート(家賃は親持ち)でYouTube観ながら寝てるだけでした。
就職できたら、2回目の給料でラーメン一杯、ビール一杯のワンセットくらいはお返しさせてください。

それはそれとして、インターンに行く気が全くしないのだ。
ラーメンとビールは自分で消費してる。
この記事も、八畳の快適アパート(ライフライン他諸々の雑費も親持ち)でYouTube流しながら寝転がって書いてる。
最悪。
どうにかしたいけど、俺がそれを許さない。
許してくれ。
嘘です許さないでください。見捨てないでください。

理由は明確で、そもそも知らないことに興味を持つことができないからだ。
放課後に教室でやってたセミナーで言ってた。本当にその通りだと思う。
こうも言っていた。だからまずは知ってみよう、自分の日常生活の枠組みを飛び出してみよう、と。

は?

だからそもそもその「知らないことを知ったら興味が湧いた」っていう経験そのものが未知なの。
知ってみたら面白くなるかもしれないからやってみよ、っていう神経回路がそもそもねーの。

これどうすんの?
あれあれ、詰んでるぞ?

こうなってる奴は趣味以外の話を一切しなくなるから共感し合うことは不可能。ソースは俺だけ。
何故なら該当者は一切その話をしないから。

え?マジでいないの?そういう人。
本当に俺だけ?

……いや、いいんですよいなくても。
今回得たいのは共感じゃない。
だからと言って欲しくないわけじゃないからじゃんじゃん共感もしてくれ。

やりたいのは自己分析です。

本当に自分が分からない。自分探しの旅に出たいけどどこに行きたいかも分からない。
自分を見つめ直すために人と話したいけど誰と話したいのかも分からない。
この状態だとマジで、自己分析の仕方が想像もつかない。

今こうやって徒然なるままに書きたいこと書いてて気づいたんですけど、俺、マジで信奉してるものがない
好きなアーティスト聞かれてもアニメ聞かれても映画聞かれても回答がふわつく。あれもこれもってなる。
「古今東西誰でもいい、一人だけサシでメシ行けるとしたら誰とがいい?」って聞かれて、本当に答えに窮して、最終的にネタっぽく「俺自身」って言っちゃったの、自分でも相当イタいって分かってるからな。
でも本当に分からない。三人とか五人に増やしてもパッと出てこない。

だから、人に話聞いてもらうってのも無理なんですよ。
だって、言ってくれること次第でその人自身を好きにも嫌いにもなっちゃうから。「貴方が言ってくれたことなら、俺信じます!」ってならないから。

それじゃ変わるのとか無理じゃん。
変われって言われたら「なんでそんなこと言うんですか嫌ーい!」ってなるんですよ最悪じゃん。

だから人間は「心から信頼してる人」とか「お金を払ってでも話を聞くべき資格」っていうのを作ったんだと思うんです。
そういう嘘をつかないと信じられるモノを拠り所にして、自分自身にメスを入れるんだと思うんです。

なんでそんなことできんの?
本当に分からない。

あ?
「あ〜わかる、私も本当に信じられるのは自分だけって思う!」?


……いやね、違うんだよキラキラ-アーティスティック-ガール。
別に自分を信じてるわけでもないんだ。

どこまでが“自分”なのか。
自分のどこまでが譲れて、どこからが譲れないのか。
まずそこから分からないんだよ。

そういうのを、嫌われないように、嫌わないように言える相手がパッと思いつかなかったので
(友人たちとの関係が浅いと思ってるわけじゃなくて、むしろ俺は不自然な体勢のまま近づきすぎたから、このままちゃんと向き合おうとすると身体のどっかが裂けそうなので)
記事にしようと思いました。

noteは自己肯定感と屁理屈の最終処理場、ってある人が言ってました。
だとしたら俺も灼いてくれマジで。
言い訳を自己分析にさせてくれ。
そんな風に思ったので、自分のダメなことをこんな風に好き放題書いていきたいと思います。

赤裸々に書くから構成がヘタなんだ、とか、そういうことではないです。
ただ、本当に推敲ができないだけ。
客観的に自分を見るっていうのが無理。

自分が見えてない人間の動きが概して滑稽なことには最近気づきました。
サークル活動の延長でごくたまにお芝居とかやってるんですけど、
その稽古の一環としてダンスしてみたら死ぬほどダサい画が撮れた。
やっぱり訓練は大切です。洗練させないと見せられるものにはならない。
でもこの記事ではやらないです。しなきゃって思えるまではしないです。

正直、そんな風に書いたものでも面白いと思ってもらいたい欲があるんだけど、流石にそこまで世の中が甘くないこと位は少しずつ分かってきました。

こういうの、ビジネスの世界では「壁打ち」とか言うらしいですね。
その壁が、今回の場合はここまで読んじゃったアナタ。
なんでこんな長ったらしくて読みづらい文章、ここまでスクロールしちゃったんですか?
恐らくここまで来られたのアナタ一人ですよ。いやホント。
ありがとうございます。
ついでに今の俺に立ちはだかる壁になってくれ。

「わかる」でもいいです。「ころす」でもいいです。
アナタが生きる世界にいてもいい存在か、面接官になって、評価してほしいです。


ちなみに俺は、文体がブレブレで気持ち悪いな、と思いました。

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