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フェミニズムとデザイン【2】 from "Design Struggles"

前の記事:フェミニズムとデザイン【1】

家父長制の中でつくられたもの:女性とデザインの研究(あるいは再研究)について

著者のシェリル・バックリー(Cheryl Buckley)はデザイン史家であり、現在はブライトン大学名誉教授である。本論文は、バックリーによる1986年の論文『Made in Patriarchy:女性とデザインに関するフェミニスト的分析に向けて』[9]の議論を振り返り、当時の命題が今日でも有効であるかどうかを問うものだ。

当時の論文には4つの重要な命題があった。第一に女性は多くのデザインに関わっているが無視されてきたこと、第二に家父長制は特定の社会的、経済的、政治的状況、さらに地理的、歴史的状況によって再形成・再構成されており、デザインにおいても女性は「女性的」「自然」「装飾的」「本能的」とみなされてきたこと、第三にデザイン、デザイナー、そしてデザインの意味が家父長制と結びついており、デザイナーは「作家」、つまり全能の、神のような、英雄的存在の先駆的な個人(必然的に男性)として描かれてきたこと、第四に特に西洋ではデザインを進歩(技術的、社会的、美的)において重要な要素とする考え方、「良い」デザインの基準、そしてこの二つに関連してモダニズムへの傾倒など、他の強力なイデオロギーの影響が根強く残っていたことである。

これらの命題は今日でも有効なのか、あるいは私たちの関心ごとやニーズは変化したのか。フェミニズムにおける重要な議論、デザインの定義や特権化、ローカルな視点、女性に対する歴史的解釈から考察している。この中で、バックリーが重要な概念として言及している、歴史学者ジョン・ブリュワーの理論を紹介しておきたい。ブリュワーは、歴史が鳥瞰的な単一の視点から描かれることでその視点に合致しない物語を排除してきたこと、歴史的分析の視点、スケール、ポイントを変え、小規模な歴史のバリエーションを作ることによってのみ、構造と主体の関係を正しく理解できると論じている[10]。これは、サラ・アーメドの「人間が依然として男性として定義されている世界において、私たちは女性のために、女性として戦わなければならないのです」という主張と重なる[11]。つまり、鳥瞰的な単一の視点は「人間が依然として男性として定義されている世界」であり、異なる視点で語ることで女性の存在を見出せるということだ。バックリーはアーメドの言葉を引用しつつ、冒頭で示した命題は今日でも有効であることを示唆している。

デザイン教育の未来:フェミニストのモードとポリティクスに関する考察

著者のラミア・マゼ(Ramia Mazé)はロンドン芸術大学で社会イノベーションと持続可能性のためのデザインの教授を務めており、世界的に影響のあるジャーナル『Design Issues』 の編集者でもある。本論文では、歴史的にデザイン教育を支配してきたものとは異なる、平等で持続可能性なパラダイムを検討している。問題提起には批判的理論が有効であり、日常生活を検証し、特定の規範、支配、排除がどのように構築され、(再)生成されるかを問うことがその役割だと主張する。

中でもフェミニズム理論は、人間の条件、社会関係、社会的ヒエラルキーを構成する複数の、交差する変数を問うための強力なツールであるという。例として、デザイン分野に大きな影響を与えているバウハウスでは当時女性に対する構造的な不平等が存在したこと、現在でもデザイン史に多様な背景を持つデザイナーが存在しないことでデザイン学校へ出願することを躊躇する人々がいること、教育機関は依然として白人が多く、中流階級や上流階級が多いこと、それによってデザイン教育機関が確立した規範や価値観が自己増殖していること、より高い組織レベルや上級のキャリアステージにおける不平等が続いていることに言及している。

こういった状況に対する批判的実践として、カナダのオンタリオ美術大学の取り組みを紹介している。教員公募で学問、デザイン、研究といった伝統的に排他的なカテゴリーに対して、創造の大学、視覚文化、先住民の知恵システムなどの言葉を用いており、尊重されたデザインを原則とし、大学のミッション、成績評価などの基準にも明記しているという。マゼ自身も研究において、誰を引用し、参照するかについて細心の注意を払っている。ジェンダーや文化的なバランスについてより意識的な選択をするために、スプレッドシートに引用の候補をリストアップするのだ(デザイン分野で権威があるとされる論文の著者の多くは白人男性である)。

論文の後半では、学術分野に焦点を当て、女性研究者の批判的実践を通した研究、共同研究における知識生産に関する社会的・関係的概念、フェミニストの視点からデザインを論じた論文、対等な立場での論文査読の具体例を挙げている。一例を紹介しよう。通常学会に投稿される論文は、誰が執筆したのかを明らかにせずに査読される。しかし狭いコミュニティにおいては誰が執筆したものか見当がつき、バイアスが生じる可能性もある。そこで、マゼらは全員が論文を持ち寄り対等な立場でピアレビューする場を設けた。テーブルを囲んで対面でレビューすることで対話的で相互に尊重し合う空間となり、関係性の中で継続的な自己変容と相互学習が行われたという。教育に関する規範や方法論をフェミニズムの視点で見直すことで、より多様な人々にとって有益な場に変容する可能性を示唆している。

マゼは最後に次のように述べている。明白な差別が減少している現在、いつどこで抑圧されているかを認識するのは困難である。だからこそ、声を出すことが必要であり、批判的な問いを立て、省察し、意図的に行動することで根強い家父長的構造を変える可能性がある。そしてそれが達成されたとき、フェミニストの未来が来るのだと。<続く

次の記事;フェミニズムとデザイン【3】

参考文献

[9] C. Buckley, Made in Patriarchy: Toward a Feminist Analysis of Women and Design Des. Issues vol. 3, no. 2 (1986) doi: 10.2307/1511480
[10] J. Brewer, Microhistory and the histories of everyday life Cult. Soc. Hist. vol. 7, no. 1 (2010) doi: 10.2752/147800410X477359


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