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19歳も大人の仲間入り〜社会人と学生との常識の違いにショックを受ける〜

政府広報サイトによると、2022年4月から18歳が成人になるそうですね。

私が通っているバンクーバーの語学学校の大学進学コースには、日本人で昨年高校を卒業したばかりの19歳数人と同じクラスになったことがありました。

フレッシュで可愛いなぁ、と油断していると、無邪気な残酷さを発揮する彼ら彼女たち。。。
「何歳ですか?」
と、19歳の彼女はひとまわり以上年上の私に平然と聞いてくる。
「カナダでは、年齢を聞くのは失礼なんだよ」と語学学校の担任が諫めてくれた。

私がクラスで出会った19歳の男子は、
「日本ではどこに住んでいたんですか?」
私は「横浜です」と答えた。

すると、彼は「横浜かぁ〜。。。お金持ちなんですね!自分は千葉ですから。。。」と、まるで親から植え付けられたのかな?と一瞬思ってしまうほど、、知らないうちに「他人との比較」、収入や職業の比較を暗にしているからこちらが面食らう。

こんなに若いうちから、人と比較してたら「人生こじらせ男子」にでもなってしまわないか?それが気になった。

何かある度に、彼は私に絡んできた。
「日本での学歴イコール親の年収の違い」と捉えている私にとっては、今は避けたい会話の一つでもあった。日本的な狭い考え方、人を決めつけるような会話や話題が嫌で、カナダまで来たのに……

そういうこともあって、私はクラスを変更した。

新しく変わったクラスの担任の先生がとても良かった。
カナダの慣習について、何かあるごとに詳しく教えてくれる。

「カナダでは年齢を人に聞くのは失礼なんだよ」
と言ってくれた先生がこの先生だ。

私が彼女と一緒にグループワークもしたくないし、話しかけられたくもない。そう思ってしまう決定的な出来事が起きた。その前から、どことなく我慢していた自分もいた。

彼女は、私が割と話しかけやすい人だと分かるとバンクーバーで「行っておいた方がいいところないですか?」とか「お弁当を持ってきていて、どこか食べるのに良いところないですか?」とか、「休みの日にエッセイに煮詰まったら気晴らしに出かけるのに良いところないですか?」とか……

そして、いつもと違うスーパーに行きたいけどどこがおすすめですか?などなど、顔を合わせれば聞いてくる。。私の家の近所の韓国スーパーに連れて行ってあげたこともある。

近所ではあるものの、自分の家の前をわざわざ通り過ぎて、彼女に「ここが私が今住んでいるところ」と説明しつつ、、、韓国スーパーに向かった。
そして、お店の前まで連れて行ってあげた。

私は、彼女と別れて来た道を引き返す。その時にも「ありがとう」という雰囲気、言葉は伝わってこなかった。

翌日、クラスで斜め前に座っている私に対して、昨日あのお店でどうだったかとか、どんな発見があったのかとか、、少しくらい会話しても良いんじゃないかと思う。それができるのが、社会人ってこと?なのかな……と思いつつ。。そして彼女は私にこう言った。

「あれからすぐに帰りました」

私はその言葉に絶句した。私に対しての配慮は一切込められていなかった。
彼女の希望通り、(自分の家の前を通りすぎて15分くらい歩いたところにある)スーパーに案内したのに、なんだそれは?と。

自分が相手にありがとうを期待しすぎていたのか?

いや、そうでもない。
私は、観光業を営んでいるわけでもないし、彼女に情報を教える便利屋でもない。そう思ってしまうのには訳がある。

彼女は決して、「ありがとう」を言わないのだ。。。。

心の中で思っているのかもしれない、恥ずかしくて言えないのかもしれない。でも、そんな人がバンクーバーまで来ようと思うだろうか?知らない土地で人とコミュニケーションを取らないといけない場所を選んでくるだろうか??

事件はこれだけではないのです。。。
「日本ってすごい国!他の国よりも」という自負が彼女の中にあるのだと思いますが……

クラスで、先生が「自分の国とカナダとで違う文化だなと感じることを話してください」と言った時、彼女は「日本すごいだろ」的なドヤ顔で辿々しい英語で話す。辿々しいからこそ、余計にドヤ顔が目立つ。。

聞くに耐えないと感じたので、帰りにやんわりと
「日本人だけだよねー。バラエティ番組で、外国人がみんな日本のことを興味持っていて、好きだと思っているというような自画自賛のテレビを放送するのは。日本の常識は海外のスタンダードと比べてかなり変わっているところもあるからねー」と言い放った。

他にも、何かとバンクーバーで買った日本のお菓子の写真とか、私に見せてくれる。彼女が食べているお菓子がどこのメーカーか当ててみたいなことを言ってくる。
私が答えを外すと、嬉しそうに「日本の○○です!」と教えてくれる。。。

Uzai
はい、うざいんですこの子。

私はあなたのために存在しているんじゃないっつーの!と言いたくなる。
彼女は自分の母親と相当仲良しらしい。
「母親と仲が良い……」これはひとつの経験値からくる警報でもある。
今まで母親と仲が良いという人と、仲良くできたことがない。
そのカテゴリーの人の多くは(私が出会った)私に依存的になるというか……私を自分の便利屋のようにするところがある。
「あぁ……19歳の子からも既に便利屋のようにされている」


そして、私は自分の心を守るため、クラスで彼女と離れて座ることに決めました。帰りも一緒に帰るのをやめました。
今までそういうことをしたら、相手がどんな気持ちになるかを考えてしまうから、自分が嫌な環境から離れることができなかったんですよね。私がまるで、彼女をいじめているような構図になるのがいやで……

でも、自分の心を守るために彼女とは関わらないと決めた。
失礼な対応をするということではなく、ただ関わらないということ。

私にも彼女のように依存的で弱さが前面に出ていた時があります。
まだ19歳で社会に出て、社会を知らずに恥もたくさんかいたし、年上の人に無知で失礼なことを言ってしまい、相手を怒らせてしまった時のことを思い出しました。その時はなぜ私がその人を怒らせてしまったのか、全くわからなかったのですが、今はそれが痛いほどよくわかります。

無知、未熟というのが若さでもあり、伸びしろでもある。
無知でいられる時の方が、選択肢がたくさんあったなぁという気がする。

人生経験を重ねるにつれて、無知であることは無邪気に人を傷つけてしまうことがあることも学び、それを自分への教訓として今日まで生きてきた。

人生経験が少なくても、子供の頃から人に感謝することの大切さを親から教えてもらう機会を与えられることは何と大切なことなのだろう。
彼女がたとえ無知だったとしても、感謝の心を垣間見ることができたのなら、関係は違ったものになったのかもしれない。

そんな彼女は、今日学校を欠席した。今まで数ヶ月一度も休んだことのない彼女が。私のせい?とも思って気が引けたけど、「やってもらうことが当然」という態度の彼女が、私にどんなに不快なことをしているのか気づいていない。私も私で、自分で感情の処理はして、彼女とは関わらないと決めた。彼女もどうするか自分で決めたら良いと思う。


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