カナダのカレッジを卒業したのに就職をしなかった話①
2020年のコロナ禍にカナダに渡航し、2021年の5月にカナダの公立カレッジに入学した。その2年後、2023年3月に卒業した。
過去のnoteを読んで頂くと、私が子供の頃から辛い人生を歩み、本来の自分自身がわからなくなり、人生に絶望し、カナダ行きを決意したかを感じ取ってもらえると思う。
話を本題に戻すと、私はカナダで就職することを選ばなかった。
それには理由がある。
それを話す前に、カナダに渡った理由を簡潔にお話しすると、日本の社会に自分の居場所を見出せない私は、どうしても海外に身を置きたかった。ドイツに住んでいた時のような精神的な充実感を求めて。
そんな理由からだ。
でも、カレッジで経験したグループワークという代物に私は全くもって拒否反応が酷かった。このグループワークに、ひたすら翻弄され続けた。学校のない土日でさえ、グループのメンバーからひっきりなしにメッセージが来る。what's appというLINEと同じようなアプリがあって、グループのメンバーの思い立ったタイミングで、土日だろうと構わずディスカッションがこのアプリ上でなされる。
それに、日本人のように幼少期から調和を重視した価値観というものは彼らの中にはない。だから、他人がどう思うかとか、良くも悪くもそういう配慮はなく、突然会話を始める輩がいるから、心の準備が追いつかない。
まして、英語が堪能とは決して言えないレベルの私は、課題の内容を把握することで精一杯だった。。。
この2年間、気が休まらなかった。
2年間を終える最後の学期の途中に二週間のスタディブレイクがあって、その時日本に一時帰国した。
そこで、2年ぶりに受けた健康診断に呆然とした。
病気が見つかった。
ガンかもしれない。。。精密検査が必要。
カナダに帰って来てから、健康診断の結果をオンラインで受け取った私は、正直、学校の授業どころではなかった。
そして、よくよく結果を見れば、腎臓がかなり悪くなっている。。。
「あぁ……だから、こんなに体の浮腫がひどかったんだ。眠気とだるさが酷くて、起き上がれない。。」
何度、そう思ったことか。それは、腎臓が悪くなっていたからだったことを後から悟った。
そして、卵巣にも嚢胞が見つかり、精密検査で良性なのか悪性なのかを検査する必要があった。
結局、体の4箇所の臓器が悲鳴をあげていた。
それだけ、カレッジがハード過ぎたのだ。。。
30代半ばくらいまでなら、何とか身体の適応能力や体力的にもどうにかなっていたかもしれない。私がカナダに渡航したのは、40歳過ぎてから。。。
若い子たちに混じってのカレッジ、特にグループワークはきつかった。
若さゆえの浅薄さ、自由さ、機敏さ、などなどに到底ついていくことができなかった。
人生の経験を積むというのは、こういうことなのね。。。と理解した。
40年の人生で得た知見、知識というのは、20代、30代にとっては、理解し難いものがあり、心配し過ぎにしか映らないらしい。。。
ということで、それを学んだ私はグループワークではひたすら大人しくしていた。必要最小限度の発言にし。重鎮のように振る舞った😂(笑)
1度に体の4箇所に異常が見つかったのは、これまでにないことだった。私は何を自分に無理をさせているのだろう??
自分の本音を無視した生き方をずっと続けていたからだろうか?
病気を通して訴えかけている私の本音とは?本当はどう生きたいの?
体にある意味爆弾を抱えていて、いつガン化するかもわからない体を酷使して、会社勤めすることを考えると、体から力が抜けていく感じがした。身体が動かない。そんな感覚になった。
「あぁ……私は会社で働きたくない。。。」
それが答えだった。朝起きるのが子供の頃から苦手で、学校や仕事のために朝起きることが何よりもつらかった。
15時を回ってくると、体が起きてきてようやく活動できる、そんな感じだった。(15時だと、学生時代は下校の時間。。。😅)
おそらく両想いだと推測している恋愛の相手と突然音信不通になり、そのことで受けた精神的ストレスは計り知れなかった。その上、カレッジの課題がめちゃくちゃ大変で、気が休まる暇がなく、常に緊張状態だった。
カナダまで行ったのに、現地就職をしない道を選ぶなんて……と情けなくもなるのだけれど、私はずっと自分を打ち叩いて何かを達成することを強いてきた。自分を休ませること、緊張から解いてあげることをしてこなかった。
病気は、本来の自分らしい生き方に戻ることを言葉を介さずに訴えかけているように思う。
人生の流れに抗うのではなく、身を委ねること。
病気が教えてくれたのは、これだった。だから、今自分が病気を抱えていることを受け入れ、その上で自分にとって心が楽になれること、楽しいこと、これだと感じること、そういう心の声に耳を傾けていくこと。
自分の人生で、自分の個人的関心、興味を大切にし、探究したかった自分を思い出した。自分の中に湧き上がる問いに対して、何の答えも出せていない。自分の中心、ハートで生きていない。常に用意された答えに自分を合わせようとして、耳を澄まして聞こうとしなければ聞こえないくらいの自分の微かな声を拾おうともせずに、ありものの中から自分の人生を形づくり、そこにハマろうと必死にもがいてきた。
病気を契機に、自分の中で聞こえる微かな声を聞いていこうと決意した。
それが、就職をしないという選択だった。
私はYoutuberになった。
続きは、またそのうち。
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