思い出してみれば、誰にでも一度は、あの時、あの人がずっとそばにいてくれたから、私は頑張れた、そう思える体験があると思います。

そう、それが共感的な関わり方で、相手を幸せにすることができます。

この共感的な態度が無い状態で、アドバイスをされても、なかなか人は心が動きません。

ネガティブに感じやすい人ほど、人に共感するスキルが高いとも言えるかもしれません。
人のことを羨ましく思ったり、自分の粗ばかりが見えて落ち込みやすくても、その体験が、実は共感する力を高めてくれていたりします。


私には、出来ない(と思っている事)事がたくさんあります。

空間把握能力が低いから数学の空間図形なんか出来なかったし、幼稚園の時、遠足の絵を描く時間があったのですが、心に浮かばない。どんな絵を書きたいとか、光景とか。だから、みんなが楽しいと思う時間が苦痛で仕方なかった。

人は、体験と一緒にある思い込みをセットで記憶の中に収めていく生き物。

幼稚園の時のお絵描きの時間から、今日まで思っていた思い込み、信念はこうでした。

私は他の人が楽しんで出来ることができない……

そうやって、そのビリーフ通りの事が小学校に入っても、中学校に入っても起こるわけです。中学校では、私には友達が出来なかったし、高校でも出来なかった。でもね、1日も休まず学校に行ったんです。

今は、引きこもりとか、不登校とか、言葉が定義化されていて、誰もが理解できる。言葉や概念、定義があるだけで、少しホッとする事もあると思います。

私だけじゃない……そう思えるから。

同じ体験でも、もう一つ違う思い込みを持っていました。一日も学校を休まなかった事が幸いして。

自分に集中する事が大切。周りがどうであろうと。

友達がいないからと言って、学校を休んで勉強が遅れたり、不利になるのはイヤ。

周りに影響されずに、努力し続ける能力、考え方、信念が染み付きました。おかげで、私にはできない事がたくさんありますが、どうしたら出来るようになるのか?を真剣に考えるようになりました。

私にはできない、と思うってことは、その原体験が過去にあるはずなんです。そして、その時身につけてしまった、自分の公式のようなもの。

私にはできない、という公式のようにいつもまとわりついて離れない、強い感情。

あなたのせいではありません。人間は、体験と一緒に信念を心に持つ生き物だということ、それを知っただけでも、心が軽くなりませんか?

その強いビリーフは、これまで私たちを形作ってきました。心の傷に触れるのは痛いものです。じゃあ、どうすればうまく出来るのか?を真剣に考えて検討してみる事が大事だと思います。みんなと同じやり方でやらずに、自分が得意なやり方で、成果を上げればいい。

傷ついている自分に鞭を打っても、余計にできなくなるだけ。本当はどうしたい?と問いかけて、自分の良いところを自分で引き出してあげる。

それができたら、自分の思い描く夢や希望が叶うのではないかと思うのです。


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