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デザインで、向き合う。ということ。

なぜ、会社にしたのか?

企業から独立して、フリーランスのアートディレクター/デザイナーではなく、会社という法人格としてスタートした理由は何だったのか。
自分の頭の中を整理する意味でも、書いてみようと思いました。

1つめは、デザイナーとして自分の得手不得手が見えたから。
自分が考えたこと(広告業界では企画という)を実現するには、たくさんのプロフェッショナルの力を借りる必要があります。
広告会社で仕事をしていたことで、自分がそうしたいと思えば、本当に一流の方々にご協力頂いて仕事ができる環境にあり、その恩恵を受けていたと思います。それは、いまでも続いている部分はあると思いますが、こういった形で他者の力を借りるには、いい意味で自分ができることに見切りをつける必要があると思います。
例えば、自分で写真を撮ることはできるけど結果が見えている。この仕事であればこのフォトグラファーのトーンや視点で撮ってもらいたいということがあって、はじめて他者の力を借りる意味が出てきます。
自分よりも他者の方ができるから力をお借りしているということをはっきりと意識することで、自ずと、自分の特性も見えてくる気がします。そうしたことで、自分1人でできることには、ある程度限界が見えたのです。そして、たりない部分を認めて、補う必要がありました。社外の協力関係とも、スムーズに連携できる形をつくる必要もありました。
自分が、フリーランスを選ばなかった1つめの理由です。

2つめは、ポジショントークが苦手だったかったから。
大きな企業から独立して、明確に変わったというか、意識的に変えたのは自分の居場所です。
その場所にいることで、自分がとらないとならない立場や役割というものがあると思います。それをどこまで意識する必要があるかはわかりませんが、自分が向き合う相手が、無意識に持っている自分への期待値に敏感になっていけばいくほどに、自分はその立場にいるべきかどうかを真剣に考えずにはいられなくなりました。
一人称で自分の意思を表現できる環境というのは、様々な関係性の中で仕事をしているとなかなか難しいのは承知のうえで、極力そうできる環境をつくりたいと思うようになりました。
自分の居場所がしっくり来ているという感覚は、何かを長く続けていく上でとても大事だと思います。これは、ぬるま湯に浸かっているのが居心地がいいといった感覚ではなく、少しヒリヒリするけど常に適度な刺激があり、常に成長し続けられる場所かどうか、という感覚に近いです。
大きな企業の中堅で仕事をする中では、自分はそのしっくり感が最終的に見出せなかった気がしています。

3つめは、仕事の純度を上げたかったから。
広告の仕事は、チームワークがとても大切です。ひとつの目的に向かってそれぞれの領分のプロが力を結集します。それを心得ていない人は、チーム仕事から自然と淘汰される世界だとも思います。クライアントも広告会社側も、チームみんながハッピーになれる答えを追い求める必要があります。
自分は広告の仕事におけるチームワークが割と得意でした。ただ、役割を意識するあまり、その中で意識的に自分の意思をあえて出さないこともしばしばありました。そもそも、広告クリエイティブもビジネスだとすれば、クライアントの意思や課題をいかにクリエイティブに解決して価値化できるかが仕事だと思います。それを、携わるチーム全体で共有できている仕事は、思い返せばどれもいい仕事になっていた気がしています。ただ、必ずしもそうもいかず、様々な要因によってそれらが歪められてしまい、自分の目の前に落ちてくる課題の解像度がボケボケになっていることもありました。自分は、広義のデザインという考え方や技術を駆使して課題に向き合うことしかできないので、その力を最大化するためには、自分の眼で、デザインで解像度高く課題に向き合い、純度の高いアウトプットを生み出せる状況をつくろうと思いました。
そして、自分の意思決定や行動が招いた結果に責任を持って向き合うことで、純度は最大限に高まると考えました。

4つめは、デザインの価値と自分の価値を可視化したかったから。
自分は大学でデザインを学んで以降、デザインに生かされてきたという自負があります。どんな場面でも自分が1歩前へ進んで来れたのは、デザインがあったからです。デザインがなかったら社会人2年目くらいで早々に折れていたと思います。
そして、デザイナーの仕事はアウトプットが重要であることは自明ですが、社会の中でデザインの価値を可視化していくには、それだけでは足りないと思い至りました。もちろん、個人のクリエイター、デザイナーとして生きることを選べば、別の可視化の仕方があると思いますが、生憎自分はそれにはまだまだ力不足なのと、社会の中で広義のデザインの価値や恩恵をシェアしていくためには、個人の人格ではなく法人格にその実績をストックしていく方が意味があると考えました。
そのため、創業に当たっては社名に「デザイン」を組み込むことにだけは拘りました。また、向き合う相手から自分のデザインに一体どれだけの価値を認めて頂けるのか。これにもしっかり向き合うことで、先を見据えた本質的な改善や戦略立てができると思いました。
これは、クライアント企業の経営者と直接お仕事をさせて頂くご縁に恵まれたことで自分の中に生まれた視点です。経営者の方々は例外なく自社の事業に関してあらゆる思考検証をなさっていました。
それを、自分にはできない、自分の仕事には関係ないと割り切ってしまえばそれまでですが、自分はそこから大変多くの学びを頂いたと思っていて、不器用でもいいからまずはその視点を持ってデザインで社会と向き合ってみることで、より価値のあるアウトプットをクライアントにも提供できるのではないかと考えるようになりました。

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デザインで生きていくのは大変なのに。

デザイナーである以前に1人の人間として、結婚して家庭も持ったうえで、どうして安定した環境ではなく新しく会社を始めようと思ったのか。その大変さは、始めてから実感することも多かったです。そのあたりも書いてみようと思います。

生きていくには、お金が必要。
そんなわかりきったことを、と思うかも知れませんが、この社会で生きているほぼ全ての人がこのことで悩みます。雇用されていた会社から独立を考える際には、誰もが考えることだと思います。だからこそ、そこにも明確に指標を持たないと大きな企業から独立するリスクの方が大きいと思います。
ダブルインカムがメジャーになりつつある時代ですが、自分は一家の大黒柱として踏ん張っています(笑)。ですので、独立する際には家族の暮らしを現状以下にすることだけは絶対にしないと決めました。
具体的に言うと、収入は一時的に下がったとしても、家計に占める家族の生活費を絶対に下げないということです。もちろん、それ以外の貯蓄や保険、住宅ローンといった固定支出は変わりません。要は、リスクは全部自分が使えるお金で調整するという考え方にしました。やってみると、無駄遣いしなければ意外と大丈夫ですし、結構この考え方自体が経営の初期設定になっている気がしました。
経営者であれば、自分の収入を上げるのは簡単です。たくさん法人で稼いだお金があれば、期初に役員報酬を多く設定すれば個人の収入にすることができます。ただ、税法が本当によくできているので、自分の手元に取ったら取っただけ所得税もかかってくるし、翌年の住民税等にも響いてきます。また、法人から役員や社員へ払った額が多ければ多いほど法人税も課されます。経営が順調で、向こう数年安定成長できる確約があればドーンと増やしてもいいかも知れませんが、経営が傾いた瞬間にその反動で苦しくなると思います。会社から給与報酬を支払っている仲間が多ければ多いほど、そのリスクは自分だけに止まりません。デザインという、いつ依頼が来るか見通しが立ちずらい仕事だからこそ、そこはかなり慎重に考えました。
必ずしもそうとは言えませんが、自分が生きていく最低生活水準を低めに見積もるのは、良策なのかもしれません。

生きていくには、生きがいが必要。
幸いにも、自分は好きなこと(デザイン)を仕事にできています。これは何事にも変え難いことです。ただ、別のnoteの記事にも書いたように、デザインは業界構造的に受注産業になりがちです。というか受注産業です。
例えば、グラフィックデザインだけをやりますという看板を掲げていると、それだけを受注生産することで会社を成り立たせなくてはならなくなります。この場合、受注数と作業効率を上げていくか、最近よくある定額制でデザインし放題のようなサービスにしてマネージメント効率を上げていくくらいしか生きる術が見つかりません。これだと、デザイナーの疲弊は目に見えていて、そこに生きがいを見出せてかつ長続きできる気がしません。
あるいは、自社プロダクトを開発して商売をするという方法もありますが、自分がそこに長けているとも思わないのと、それをはじめる際には基盤となる事業と顧客が明確に持てているうえでの事業計画がなければ、絵に描いた餅に終わってしまう可能性が高いと思います。
自分は、独立するに当たって「デザインで社会と向き合う」ことを生きがいにしました。
これはどういうことかというと、長い人生の中で縁あって関わる人に、真摯に向き合い、関わる人に自分のデザインでしっかりと酬いるということです。ここで言うデザインは、当然広義のデザインになります。
それが、対クライアントであれば課題への回答かもしれませんし、協力パートナーであればフィーや仕事のアウトプット、仕事を通じての体験共有、あるいは新しい関係性の構築という方法もあるかもしれません。とにかく、自分が今できる全身全霊で向き合うことで、いいスパイラルを生み出したいと考えました。こうしてみたことで、自分自身、以前より柔軟かつストレスフリーに仕事に向き合えるようになりました。
ただ、責任は自分で負い、対処しなくてはならない、という条件付きです。

労働という卑屈未練から脱却して、生きていく。
企業で働いている時に、「どうしてこれを自分がしなくてはならないんだ。」と思ったことがありました。その意識が生まれた理由が、今はよくわかります。ひとつは、それをやる理由(何のためにやっているのか/自分にとってのメリットはあるのか)を見いだせていなかったこと。もうひとつは、無意識にそれが自分の役割ではないと決めていたことだと思います。
当時は、そうネガティブに考えていても仕方ないと思い、とにかく食いしばってやってみるという荒療治を自分に課していました(笑)。
そうこうしているうちに活路を見いだせたのか、今では自分の肥やしになったと思えていますが、こういった感情は放置したままにしない方がいいと思います。受注が基本のデザイン業においては、この気持ちのまま仕事を続けていると「どうしてこんなに頑張ったのに評価されないんだ。」という卑屈未練のスパイラルに陥ることもあるからです。
もしそうなってしまったら、「そもそもこれは誰が何のためにやっていて、デザインで何を解決する必要があるのか。」ということに立ち返って、それでもそこに疑問を感じたり、自分がデザインで向き合う価値がないと思うようだったら、相手と議論して活路を見出すか、きっぱりとやめてしまった方がいいと思います。その仕事のクライアントは残念がるかもしれませんが、クライアントのやりたいことや、やらなくてはならないことは、それによって揺らぐことはないと思います。それは決して相手にとって迷惑をかけることではなく、むしろしっかりと向き合うことだと思います。そして自分の頭も軽くなります。

一歩づつ、デザインで歩いていくしかない。
会社をはじめて、今まで考える必要がなかったことや、やったことがなかったことをたくさん経験しています。正直、手が何本あっても足りないくらい大変な反面、確実に成長もさせてもらっています。そして、何より一緒に仕事をしてくれる仲間あってのことだと思っています。
この、「自分が成長できている」という感覚は本当に大切だと思います。少なくとも、デザインで株式会社で一緒に仕事をしている仲間、これからすることになる仲間にはそういったポジティブな感情で仕事をしてほしいと思っています。
そのための第一歩として決めているのが、デザインで株式会社が仲間に支給する報酬は、それぞれが、それ以前にデザインで得ていた報酬よりもアップするということです。会社に勤めていた場合でも、フリーランスであった場合でもそうする方針です。但し、代表は例外です(笑)。
これは、お金でモチベーションをつくるということではなく、これからの社会の中でデザインで生きていくということの解像度を互いに高め合い、喜び合える関係をつくり、一歩づつ、それぞれがデザインでキャリアアップできているという実感をつくっていく。そうできるように、自分が努めないといけないと思っています。
少しずつにはなりますが、今後、自分たちと社会との向き合いを、デザインで可視化していきたいと思います。5月末に、ようやくホームページも更新できそうです。

デザインで株式会社の仲間や、関わるデザインパートナーや協力会社に対しても、自分が実感を持って感じている価値観や考え方を、仕事を通じて共有していくことも、広義のデザインの価値を可視化していくことにつながると信じて今回の記事を書いてみました。

デザインで株式会社が、デザインで様々なことと向き合う中で感じたことや経験を記事にしています。サポートは今後の情報発信に活用させて頂きます。よろしければ、サポートお願いいたします!