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「イメージの洪水」を生き抜くための記号論|非美大卒が0から造形を学ぶ#6

こんにちは!2年目UI/UXディレクターのyunです。

一度は学んでみたかったけど、なかなか手を出せなかった美術やデザイン。
文系大卒社会人が初めて学び、生じた疑問、感想を毎週投稿。なんでもありの備忘録。

今回は「非美大卒が0から造形を学ぶ」シリーズ第6回です!それではスタート!


記号論とは?

「リンゴ」というと何を想像するでしょうか? 日本語を知っていれば「赤色の球体の形をしたあの果実」が思い浮かぶでしょう。では「リンゴ」という音節と、「赤色の球体の形をしたあの果実」という意味されるものにはどのような関係があるのでしょうか。

記号言語学の祖であるソシュールは、それらの関係は偶然生まれたにすぎないと論じました。この考え方を「言語の恣意性」と呼びます。

つまり意味するもの(シニフィエ)意味されるもの(シニフィアン)の間には何ら結びつきはないということです。日本語では「リンゴ」と呼んでいるものは、英語では「Apple」、韓国語では「사과」という記号で表現します。どれも「赤色の球体の形をしたあの果実」を指し示している記号にすぎず、その記号と「赤色の球体の形をしたあの果実」には必然的な結びつきはないのです。

「記号」とは、あくまでも便宜的に用意された代用物である。その飲料辞退とはまったくの別物にすぎない。したがって「記号」は、その内容自体と同一であるはずがない。「記号」なら、その内容を正直に表現すべきだと抗議したところで、それは人の良い正直者の世界観に基づいた主張でしかないのだ。

デザインと記号の魔力」5P

さらに本書では以下のように述べています。

テレパシーや念力などと称される未知の超越的能力をすべての人類が自由に扱っていたなら、きっと「記号」は出現しなかった。「記号」はそのようないわゆる超能力など持たないでこの世に出現した人間の知恵の産物だった。

デザインと記号の魔力」10P

デザイナーはイメージ(すなわち記号)を扱う職業といえるでしょう。記号論を知ることで、新たなイメージの捉え方とそれらが世の中にもたらすを影響を知ることができるのではないでしょうか。

※記号論の概要については以下の動画が非常に分かりやすかったので、ぜひご覧ください!

なぜ今記号論なのか?

記号論の名著である「イメージと意味の本 記号を読み解くトレーニングブック」では現代の状況をイメージの洪水と称しています。本書が出版された2012年代に比べて、個人がスマホを持つようになった現代ではより身の回りにイメージ(主に広告)が溢れているでしょう。

視覚で得られるイメージ(記号、すなわち情報)が圧倒的に増えた現代において、イメージをただ鵜呑みにして流されるのか、イメージを正しく理解し自ら取捨選択するのか。イメージの洪水に呑まれずにこの時代を生き抜いていくのに、記号論は非常に役に立つと感じています。

我々が日々見ている広告やニュースは企業ないしは個人が何らかの意図を持って発信しているものです。その本質を考えるのと考えないのではイメージの捉え方も変わってくるでしょう。

現代を生き抜くために

私たちはイメージをどう捉えるのでしょうか。「イメージと意味の本」内の一例を紹介します。

こちらの絵画についてどう感じますか?

こちらの絵画は「サル世界のセザンヌ」と呼ばれたチンパンジー、コンゴが70年ほど前に描いた作品です。

では私が嘘をついており、無名の市民が書いたとするとどう見えるでしょうか。有名で高く評価されている芸術家だったらどうでしょうか。

この作品について何を考えたとしても、そして誰が、あるいは何がこの作品を制作したのか判定しようとしたとしても、その作品の背後にある意図をどう受け取ったかによって私たちの判定は簡単に影響されてしまうのです。

イメージと意味の本 記号を読み解くトレーニングブック 37P

こちらは単なる一例にすぎません。「イメージと意味の本 記号を読み解くトレーニングブック」には76問の事例が紹介されており、イメージ・リテラシーやデザイン思考の基礎を学ぶことができます。ぜひ!

【参考】記号論の学習におすすめの動画・書籍

まとめ

私が高専に通っていた頃、とある国語の先生が言っていた「すべてを疑え」という言葉が心に残っています。今自分が解釈すると以下のようになります。

情報へのアクセスと発信が容易になった今、SNSでの炎上/ヘイトスピーチやフェイクニュースが問題になっています。イメージをそのまま受け取ることは、個人の心の健康だけでなく、長期的に見れば(組織、国として誤った判断をすることにも繋がり)社会にとっても望ましくないのではないでしょうか。

我々はスマホを持って生活しているだけで、情報が次から次へと目に飛び込んできます。まずは一歩立ち止まってイメージの本質を考える姿勢が自らを守ることにも繋がるのではないかと思います。

記号論の立場から言えば、イメージは単なる記号でしかなく、その意味には何ら関係性はないと考えることもできるでしょう。(表意記号であれば、意味と直結していますが。。)デザインは直接イメージを扱うため、大きな影響と責任を伴うことを忘れないようにしたいです。

~余談~

Youtubeのコメント欄やGoogleマップの口コミをなぜ見てしまうのでしょうか。ほんの一部の声でしかないのに、なぜ人々の行動に大きな影響を与えるのでしょうか(特にネガティブな声)。イメージ(記号)の持つ力はそれほどまでに大きいのでしょうか。

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