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私のポジティブさと強さを作った根源。

プライベートで辛いことが最近起き、それでも前を向いて、笑顔で明るく生きている私は、強いねと声をかけてもらえることが非常に多いです。でも私は、強いんじゃなくて、強くなったのだと思っています。

私は生まれつき決して強い人間では無かったです。幼稚園は最初泣いて嫌がったし、小学校でもよく男子に泣かされることが多かったです。

決定的に私を強くさせたのは、中学校から海外に行ったことです。
いきなり入った現地校で、もともとあまり社交性が無く、英語もできなかった私は、日本人の友人と話すことしかしておらず、英語でのコミュニケーションが苦手でした。授業が英語での成績も伸びず、日本人以外の友人も作れず、
また仲良い友人は現地の友人が作れる英語力と、社交性があるのにもかかわらず、私と時間を過ごしてくれていて、ずっと罪悪感がありました。なので、結局日本人学校に移りました。
日本人学校は、現地校に行っていた自分からしたら、楽でしたし、楽しかった。
全て日本語で日本人しかいなくて、しかも自分は英語ができる部類に入れる。
そのまま、日本の高校に進学しようかと思ったのですが、両親が未だ海外にいたこと、両親の勧めは現地校に行くことだったこと、が決め手になり、もう一度、高校でインターナショナルスクールに入り直します。しかし内向的で英語に関しては、授業について行けるほどの理解力、宿題をこなせる英語力はあっても、簡単なことを友人と英語で話すことへのハードルが高く、友人がなかなか作れませんでした。
話さないので、話しかけてくれた人たちも、離れていってしまいました。結局、日本人の友人といつもおり、助けてもらっていました。
楽しくないな、早く日本に帰りたい、という思いが強かったのですが、日本人がいると、私は日本人に甘えてしまう、と思い、高校最後の二年間は日本人が一人もいない現地校で過ごしました。
現地の高校で、英語の補習授業などもきちんと
ない学校で、最初は自分がどれだけ周りについていけるのか心配でした。
しかし、これまでいやいやながら笑、英語の環境にいたことが活き、勉強では比較的この時期には、授業についていけました。数学、化学、物理といった英語がハンデになりにくい科目を取りましたが、もともと文系脳だったため、現地の子に英語や歴史ではあまりにも差があるから、社会学や心理学など、高校から皆が取る科目を取ってみよう、と思い取ってみたところ、
英語関係なく、文系の科目の方が点数が高かった、このレベルまで英語を引き上げられたことは、達成感になりました。
相変わらず口数は少なかったのですが、それでも友人は2、3人でき、授業でも時々話す友人ができました。
しかし、日本人がいなかったため、日本語で海外での受験マニュアルなどないので、授業で分からない点、受験で分からない点は、自分で聞いて進めていくしかありませんでした。

この一連の苦労を得て、私は出来る限り人に優しくしたい、という思いを根底に持ちます。

変えられるのは、他人ではなく自分がどう接するか。ハンデがある時、人より複雑な状況にある時、優しくしてくれる人に、すごく救われる場面がありました。だから、孤独な時優しく寄り添える人でありたい。人に優しくできる大人でいたいと思うようになりました。

また、積極的に行動できるようになりました。自分が、コミュニケーションを取りたいと思ったら、待っていては駄目。自分の気持ちは、伝えたいと思ったなら、伝える。
未来は、自分が変えていく。誰も代わりに生きてはくれないのです。

その後日本に戻りたい葛藤もありながら、その国でtop10に入る大学に行ける機会が幸いにあったため、大学院まで海外で過ごす決意をします。

大学は論文で悩まされた日々でしたが、多くの日本人、現地、留学生の友人に囲まれ、楽しかった思い出が多くあります。

私を強くさせたのは、中学校と高校でした。中高に戻りたいか、と言われると、日本で過ごしたかった、というのが今でも本音ですが、海外で孤独感がずっとあったことで、強くなったと思っています。海外は華やかに見えますが、実は結構しんどい、ということを身に感じられたことは、日本で生きていくことをすごく楽にしてくれました。大変なことがあっても、あの頃よりは、と思えて、大抵のことは超えられてしまうのです。

苦労はお金を払ってでもした方がよい、という観点から言えば、中学校から自然に苦労し、諦めず海外の大学を卒業できた自分は大分強くなり、して良かった苦労を両親が買ってくれたんだな、と今では思っています。 
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#強さ  #ポジティブ

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