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tokyo tower

「人と人はね、たぶん空気で惹かれあうんだと思う」 いつか詩史がそう言っていた。 「性格とか容姿とかの前にね、まず空気があるの。その人がまわりに放っている空気。そういう動物的なものをね、私は信じてるの」

江國香織 『東京タワー』  2001年


江國香織の東京タワーを初めて読んだのは確かまだ10代の頃だった。歳を重ねれば重ねるほど、美しさだけでなく主人公ふたりの危うさ、人間としての不完全さ、恋愛の無常さについて考えが深まり、主題の神髄に迫っていくような感覚がある。原作も映画も、年に一度は必ず鑑賞していて、その時によって琴線に触れる箇所が異なるのが興味深い。人間は常に変容している。

おととしから去年にかけて家具の世界に傾倒しはじめ、それなりに知識がついてきたタイミングで久々に映画を見返したら、言わずと知れた数々の名作家具が随所に置かれていることに気づいた。バーナー・パントン、ルイス・ポールセン、マルセル・ブロイヤー、アイリーン・グレイ。また違った視点で作品を楽しめることが嬉しかった。自分の好きなものはどこか通底しているのか、不思議と繋がってしまうようで、相変わらずのカラーバス体質を発揮している。私にとってそういった偶然性は決して珍しくない。


先月の頭、恋人を失った。表参道のドリスヴァンノッテンで、フィッツジェラルドの華麗なるギャツビーの一節を暗誦してくれたあの恋人である。突然のことだった。これからこのひとと生きていくのだろうなと漠然と考えていたし、喧嘩やすれ違うことはあっても、幸せの絶頂にいた矢先にこんな結末が待っていただなんて、私には予想できなかった。その一方で、宿命だったようにも感じる。別れてからも、恋人かつ12年来の親友を失ってしまったことから来る喪失感で相当苦しい日々が続いて、今年中ずっと、元恋人のことを好きなままだろうと思っていたし、そうなる覚悟は決めていた。

以前、元恋人が汐留に住んでいて、おうちから見える東京タワーの写真を時折送ってきてくれた。江國香織だけでなく、元恋人の影響もあって、私は東京タワーそのものに親しみがあった。スカイツリーより、東京タワーが好きだった。20歳の頃、5年ぶりに東京を観光する機会があり、東京タワーを訪れた。写真を撮り、当時はまだ友人だった元恋人に送ると、翌日の仕事帰りに赴いてくれ、まったく同じ構図の写真を「こうかな」と一言添えて送り返してくれたのだった。嬉しさと、元恋人の優しさと、不器用な彼からの精いっぱいの気持ちが感じられたのを、今でもよく覚えている。



6月になり元恋人への気持ちに整理がつき、だいぶ吹っ切れてきたところに、現れたひとがいた。先週月曜日の夜に出会ったそのひとと、火曜日の夜にはもう付き合い始めていた。スピード感と勢いだけに身を任せて、状況に追いついていないような気もしなくはない。この1週間のあいだ会わなかった日のほうが少なくて、ほとんど毎日のように会い、のめり込むように恋愛がはじまった。

上の引用した台詞は映画 tokyo tower の冒頭のシーンで採用されていて、映画全体の色合いを決める印象的かつ重要な台詞だ。十数年の時を経て、自分自身がこれとまったく同じ体験をすることになるとは、少女の頃の私には想像もつかなかっただろう。

一目惚れの経験はあるが、そのひとが纏っている空気に惹かれたのは、30年生きてきて初めてだった。初めて会った日、なぜかこのひとと手を繋ぎたいと強く思った。彼の声と匂いが好きだったものの、何がそうさせたのかはっきりした理由はわからない。恋愛感情より先に、とにかくこのひとに触りたいと感じた。第六感というのか、動物的な、本能的な直感だった。二人ともいい大人なので、会う頻度も昂る感情も徐々に落ち着いていくのは察しているし茶化して笑っているが、この恋愛初期の蜜月をもう少しだけ楽しめるといい。

恋人との衝動的な巡り合わせがあり、東京タワーを思い出さずにはいられなくて、久々に映画を観ることにした。昨日も真夜中に会いにきてくれたのだが、彼を待っているあいだ、途中まで進めていたつづきを再生していた。クライマックスを終え、山下達郎の楽曲とともに流れるエンドロールを眺めていると、撮影協力のところに見覚えのある場所の字面が浮かび上がった。小笠原伯爵邸。咄嗟に一時停止して、巻き戻して確認すると、やはり紛れもなくその6文字だった。

元恋人と「テラスで食事するのが気持ちいい季節になったら」と話していた場所だ。振り返ると、私たちは一貫して文化的で文学的な交際をしていて、毎月テーマを決めてデートのプランを組んでいた。彼に教えてもらってから機会をずっと見計らっていて、美術館や展覧会のあとが相応しいねと、いつか二人で行くのを心待ちにしていたのが小笠原伯爵邸だった。憶測にはなるが、おそらく透の母親が友人の詩史を激昂するシーンで使われていたところではないか。ついに足を踏み入れることは叶わなかったが、そのシーンにもう一度戻って、二人で来ていたかもしれない瀟洒なお屋敷に思いを馳せた。

別れた日、「◯◯さんとの物語がここで終わるとは思えないんですよね」と元恋人から言われたが、やはり宿縁なのか、まさかこんな形で小笠原伯爵邸に邂逅できるとは。やや乱暴にこじつければ、私は彼に出会う前から無意識的にその場所に辿り着いていたともいえる。本当に引き寄せる力が強いようだ。生きているあいだ、こうやって何度も彼の面影と再会するのだと思う。12年という年月は、私の人生からそう簡単に切り離せるものではなさそうだ。

それでも、私たちは終わりを迎える運命だった。私にできることは、元恋人との経験を薬として昇華させ、いつか結び直すかもしれない途切れた糸の糸口を、ほつれぬよう綺麗に保つことだけ。
映画を観終えて、そんなことを思った。

10年前に二人が撮った東京タワー。
懐かしく、その時の感情が昨日のことのように鮮明に思い出される。ふと日付を確認すると、元恋人と最後に連絡を取った夜と同じ日で、翌日になってすぐ、12年分のやりとりを消したのだった。どういうわけか、私たちはこういう偶然が起きてしまう。あまりにもうまくできている。元恋人にこの話を伝えられることがあれば、きっと彼は動じることもなく、「まあそういうこともあるでしょうね」と、いつものように飄々と私に言うのだろう。


今日も私の胸の深淵で、東京タワーが美しい思い出を優しく照らしてくれている。
本当にあなたが大好きだった。
12年間そばにいてくれてありがとう。

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