見出し画像

電子花壇の忘れ

Twitterが苦手で始めたnote
まぁここもSNSではあるんですけどね

VTuberとして活動するにあたって始めたTwitter
しかし最初から今までずっと苦手意識があります

その大きな理由の一つが
かつて日記を書いていた からです


ノートに大体一日1ページ分くらい
何を食べ何を学び誰と何を話し何を思ったか
事細かに書いていました

もちろんそれは自分だけのものです
誰に見せる訳でもない、書いているという事を誰に言うでもない、ただ書き留めて引き出しにしまうだけの秘密の場所でした

しかしある日、知人が家に遊びに来た時ふと日記をしまっている机の引き出しに手をかけ開けようとしたのです
その時本人にそこまで悪気はなかったのでしょう
何か面白いものは入ってないかな、とかそんな程度だったと思います

日記が入っているので開けないでほしい、と言うとそこからは興味と多少の悪意で面白がって無理やり引き出しを開けようとしてきました

なんとか必死に制止し、諦めさせることができました

僕はひどくショックを受けました
日記を見られること自体が恥ずかしいという訳ではありませんでした(もちろん嫌だけど)
その人が強引に人の日記を見たがる人だった
という事実がショックだったのです

考えもしませんでした
世の中には人の日記を見たがる人がいるだなんて
どうしてプライベートを知りたがるのでしょうか
本心を知る必要があるのでしょうか

人間と人間は表面で付き合っています
どれだけ腹を割って話してもどれだけ相手に絶対の信頼を置いていても本心など確認のしようがありません

とにかくその出来事がショックで日記を書くことをやめました
それまで書いた日記も全て捨てました

それをその知人に伝えると深く謝ってきましたが、正直あまり許してはいません
大切な生活習慣を一つ破壊したのですから


SNSが発達してきた頃
ますます理解が追いつきませんでした

どうしてみんな自分のプライベートをさらけ出し、言いたい放題で
そんなものは紙の日記にこっそり書けばいいのにとずっと思っていました

大人になり随分順応してきました
これでもインターネットに生息する生物です

今日食べたラーメンの写真をアップする事もあるでしょう
万人には受け入れ難い思想や趣味嗜好をさらけ出す事もあるでしょう

もう紙の日記は書きません
一度途絶えたその習慣をまたやり直すエネルギーはありません

それまでの僕の本心は燃えてなくなりました
これからの僕の本心は脳内の小さいメモリーに保存出来る限りです

忘れたくないこともあったのでしょうが
今となっては、です

幸せな記憶と不幸せな記憶の両方を
覚えておく事と忘れてしまう事

僕は忘れてしまう方を選ばされてしまいました

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?