現実的な奇跡

これまで見聞きしたことから、いわゆる「カルト」は奇跡を用いて入信させることがあると気付きました。例えば、オウム真理教の麻原彰晃の空中浮遊は有名だと思います。また、統一教会の「奇跡」を用いた勧誘も知られています。

人生においては様々な困難があり、まさに奇跡によってしか現状を変えられないと感じる局面もあるかと思います。現状や将来に対する不安と恐れを取り除きたいという人間の思いは決して否定できないです。そして、不安や恐れを感じている個人を攻撃することでは何も解決できないと思います。

一方で、社会問題に対して社会に働きかけることでプラクティカルな打開策を実践する社会活動家がいます。また、科学的なアプローチによって社会問題の根本を取り除こうと研究を進める科学者がいます(なお、広義の意味では、カウンセリングも心に関わる科学であると思います)。

100年前には問題であったことが、今では問題とはなっていないこともあります。天然痘は1980年にWHOによって根絶宣言がされましたが、100年前の人類はそのようなことを信じられたでしょうか?人類の歴史とは問題解決への不断の努力であり「現実的な奇跡」の実現であるように思います。

繰り返しになりますが不安を感じている個人を攻撃することは何の解決にもならないと思います。社会がすべきことはそのような個人に寄り添い、不安を取り除くための方法を実践することに尽きると思います。

これまで述べたことは社会レベルの方法の話です。一方で、個人レベルで考えた時に、どのようにして偶像崇拝的な奇跡に対抗できるのかというのも考えなければならない問題かと思います。私の一つの答えとしては、既に与えられている奇跡を心に留めることです。

平凡に思える日常においても、朝には日が昇り、夕暮れには日が沈みます。朝焼けの淡い光や夕焼けの眩い光は都会の生活においても感じられる奇跡ではないでしょうか?自然に目を向ければ、自分の想像を超えた多種多様な生き物が地上に満ち、それら生き物が共生している美しさは奇跡としか呼ぶことができないものです。そのような「現実的な奇跡」に比べたら、偶像崇拝的な奇跡は取るに足らないものに思えます。

主よ、御業はいかにおびただしいことか。
あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。
地はお造りになったものに満ちている。

詩篇 104:24

社会レベルでは社会運動や科学による具体的な方法を志向し、個人レベルでは与えられている恵みを意識すること、それこそが偶像崇拝的な奇跡へのカウンターになると考えます。

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