「不安との折り合い」

立ち退き命令の掲示が張り出された。それは僕に対してのものだった。僕は不安になったし、絶望もした。しかしそれは心地いい不安と、心地いい絶望だった。僕はいそいそ部屋に帰った。3日すると、誰かが部屋をどんどんどんと叩く。男の声で「僕さあん、僕さあん」と叫ぶ声がする。役所の職員か警察だろう。はいはいと思いながらドアを開ける。「はい?」「困りますよ、いついてもらっちゃ」管理人さんだった。60超えた爺さんだ。「はあ」「立ち退き、家賃払ってないからね」「はあ」「午前中に立ち退かなかったら警察呼ぶからね」「はあ」
管理人の爺さんはぷりぷり怒って帰っていった。ふぅやり過ごしたか。しかし出ていくとなったらどこへ行けばいい。ネットでいろいろ調べてみた。調べている内に急激に胸に不安が襲ってきた。胃もたれのような感覚を感じた。生活保護という単語がちらちら浮かぶ。はあ、それしかないかあ。僕は荷物をまとめ、リュックに詰めてその足で区役所に向かった。この区役所には何度も来ている。実はここの採用試験を受け面接で落ちた苦い記憶のある場所だ。しかも情けないことに生活保護の申請をしに来たのだ。不安はまた、僕を襲う。いや、襲うという表現は正しくない。不安は、ただそこに鎮座しているだけなのだ。ふと気を抜くと不安を直視してしまう、すると不快感が襲ってくる。それだけのことなのだ。不安に罪はない。不安はそりの合わない同居人のようなものなのだ。僕が不安を見ると、不安は「僕はここにいるよ」と自己主張してくる。忘れないでと言っているかのように。だから不安は悪くない。不安は襲ってきているのではなく、教えてくれている。ただ主張しているだけなのだ。生活保護の相談窓口に行く。席につく、案内の職員が来る。手練れた40過ぎのおじさん職員だ。ああ僕もここに受かっていたら、彼のようになったんだろうか。退屈そうな彼の表情を見て、羨ましいような、救われたようなそんな気持ちがした。職員はとつとつと、説
教をするように僕に言う。あなた、なぜ働かないんですか?と。僕は精神の病気でとか適当なことを言う。彼は呆れたような声を出す。「何か診断書はあるんですか」と。「いいえないですが」と僕は答える。「昔、そういう病院に入ってました」「ご家族は?」「どうも助けてもらえる状況ではなくて」「しかしねえ、ご家族のお世話になれるならそうしてもらわないとねえ」僕はここがこらえどころだと思って「おねがしまああす」と頭を下げた。しかしあまり効果は無いようで「しかしねえ、しかしねえ」と職員は言うだけだった。僕は意を決して「弁護士先生連れてきた方がいいですか」と言った。すると慌てた様子で職員は不承不承「じゃあ、いいですよ」と言って了承してくれた。生活保護の支給が始まった。3か月ほどたつとまた不安と目が合った。不安は僕の近くにいついた。ねえわかってる?と。このまま
じゃよくないよね。と。わかってるさ、教えてくれてありがとう。本当にわかってる?。わかってるさ。そうかい、でも心配だよ。僕は決意をしないという決意をしていた。僕はただ、風に任せて行ったり来たりしたいだけだった。僕は生に固執するわけでもなく、かといって死に固執するでもなく、虚無にも興味がなく、ただクラゲのように人生という海原にぷかぷ
かうかんでいたかった。それを不安はわかってくれない。けど仕方がないのさ。不安はそれが役目なんだから。僕を突き動かす衝動は今のところ、来ていない。けれどいつかは来るのだろう。そう思って今は不安を説得したりしなかったりして過ごしている。
追記:5年経ち、刑務官の採用試験に受かった。不安と協力してなしえた成果だ。

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