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#6,自閉症スペクトラムの診断と適応障害

息子が正式な診断を受けたのは彼が8歳、小学校1年生の夏休み前。その年に入ってから、登校拒否が始まり、私たち夫婦は何度も担任と話し合った。そして、ようやく学校カウンセラーを付けてもらえることになり、そのカウンセラーと自治体から派遣された作業療法士による、学校での彼の行動観察が始まる。学校カウンセラーからのその判断結果の書類がないと、正式に診断が下りない仕組みになっている。

カウンセラーの説明によると、学校では他の子供達と楽しく遊べている様子とのこと。いっそのこと、彼が回りとうまく遊べず孤立していたら、もう少し早く対応をしてもらえたのかもしれないが、彼は必死に回りの子達にしがみついて一緒に遊ぼうと頑張りすぎていたのだった。

この国ではあまり、専門的なことは素人には詳しくは教えてもらえないことが多いが、学校カウンセラーにより行われた面談とテストでは、彼はIQが150以上と高いが、認知機能のいくつかが、かなり低くて発達にかなり大きな凸凹が見られるとのこと。

いわゆる高機能自閉症が疑われた。そして、感覚機能も大変敏感なため、色んな刺激に疲れやすい、いじめを受けていたことがトラウマになっている。。。などなど。

私たちはようやくその結果を精神科医に送ってもらい、そこから診断のための検査が始まった。その時に彼におりた正式な診断名は、自閉症スペクトラム、ADHD、不安神経症、分離不安症、強迫性障害、トゥーレット症候群、小児うつ病。。。。

私は今でもその時の光景をはっきりと覚えている。小さなクリニックの児童精神科ドクターは大きな精神科で子供の発達障がいを専門で扱っていたベテランの年配女性だった。その日診断に必要な検査に疲れた息子は、私たちがドクターの話しを聞く間、ずっとソファーの下に寝そべって潜り込んで隠れていた。彼の中でも、何かが変わった瞬間だったのかもしれない。

そこからは、転がりおちるように息子の精神状態は悪化していき、夏休みが終わった時にはもう登校出来る見込みはなくなっていた。

家のソファに居座り,、トイレ以外はほとんど動かず、ご飯もそこで食べ、ひたすらゲームやYouTubeを見て過ごす日々。外には全く出なくなり、私たちは家に誰かを呼ぶということすら出来なくなった。

常に不安が強く、時に小さなことでもパニックを起こし赤ちゃん返りのように泣き叫ぶ。

あとで、知ったことだが、これは彼が過剰適応しようと頑張り続けて心をすり減らした結果の自然な後退反応で、その時期は本当に大変で、ただただ見守ることしか出来なかった。

こんなに神経が磨り減るまで頑張らせてしまった私はなんてひどい親なんだろう。そして、もしこれが自分の母国日本だったら、もう少し他に早く助けを得られることが出来たのではないか、という後悔にも似た複雑な気持ち。デンマークと日本の子育て文化の違いから日々衝突する私たち。

そして、その後最初の普通学校では対応不可能とのことで、新しく不登校支援施設からのコンサルタントを家に派遣され、特別学校への移行を待つこととなる。

以下当時の私の日記より

2019年5月。

優しそうな眼鏡をかけた老婦人ドクターにより告げられた診断名。

自閉症スペクトラムおよびADHD、ならびに学校不適応による小児うつ病、不安神経症、分離不安症、強迫性障害、トゥーレット症候群。

正直少しほっとした。

この子はただの育てにくい子とは違うって思ってたから。でもどうしてこうなっちゃったんだろう。

私が甘やかし過ぎたから?
旦那が厳し過ぎたから?
私たち夫婦は文化の違いで良く喧嘩をした。
彼の目の前でも。
たくさん喧嘩をみせすぎたからこうなったの?
私が妊娠中に不安定だったから?

それとも、それとも、、、

頂いたパンフレットの最後のページにこう書いてあった。

「自閉症は誰のせいでもありません」

でも、もう少し早くから調べてあげてればここまでならなくて済んだかも。頑張っていっぱい周りを見て、真似して学校に通ってたんだよね。それでも良く失敗してお友達に笑われたりからかわれたり。音にも敏感で良く迎えに行くとトイレで耳を塞いで泣いてたよね。辛かったね、怖かったね。

どうして幼稚園の先生も学校の先生も私が悩んでた時、発達障害の可能性を指摘してくれなかったんだろう。どうしてあの時旦那にも相談したのに協力してくれなかったんだろう。

これから息子にどうやって接して行けばいいんだろう。。。。

ごめんね、ごめんね。
お母さん今まで君を叱ったりしてごめんね。
やらないんじゃなくて、出来なかったこと。
ひどいママだよね。ごめんね。。。

診断を受けた日の帰り、街で3人でアイスクリームを食べた。美味しそうに大好物のイチゴアイスを頬張る、クリームいっぱい付いた横顔を見ながら、私は涙がこぼれてどうしようもなかった。

でも、前を向いて行こう!
母は頑張るよ!





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