見出し画像

国のシステムに翻弄される自閉症の子供達

3回めの学校はとてもスタッフの教育レベルが高かった。私たちが見学に行った時の学校の雰囲気も良かったし、印象としてここなら安心して息子も通えるのではという気がした。そして、その最初の印象は、1年半の在籍期間中も変わることはなかった。

新しい学校に籍をうつしてからすぐの9月に、ライアスコーレという日本で言うところの林間学校みたいなものが2泊3日であった。まだ、前回の学校での森に置いてけぼり事件のトラウマから抜けきれない彼は、その後も家の近所の森や湖を極端に怖がるようになってしまった。そんな感じだったので、私はまさか林間学校に行けるとは思っていなかった。

ところが、話しを聞いた彼は行きたいと言い出したのだ。学校側とも何度も話し合いプランを重ねた結果、好きな時にいつでも帰れるように私が近くのアパートメントを借りて待機することとなった。

息子は基本アクティビティが大好きな子供だった。でも、新しい学校、知らない大人に、知らない子供達。彼の担当教員が(この学校は子供1人につき大人が1人コンタクトパーソンになっていた)、とても熱心に細かくプランをたててくださり、また息子が1人になれる部屋も準備して下さって(私も昼間はそこに待機)、彼はミニゴルフに、キャンプファイアに、夜の宝探しにと存分に楽しめたのだ。そこには、本当にプロフェッショナルな対応が施されていた。例えば息子の担当教員は、昼間の明るい時間帯におやつを持って一緒に2人で森に入り、事前に夜の宝探しの場所を見学してくださったり、ゲームをした後は私が待っている部屋に休憩に連れて来てくださったり。。。

そうして、彼の4年生時の林間学校は楽しい想い出となった。そうなると、誰もが、そのまま息子は少しずつ通学し始めるであろうと期待していた。

ところが、林間学校から帰ってくると、息子は学校にほかの生徒がいる時は全く中に入ろうとしなくなってしまったのだ。林間学校では他の子供達と一緒にゲームが出来ていたにも関わらず。。。

これには、私たちも、学校の先生達、カウンセラーも、何故そうなってしまったのかの理由を見つけられず、ただ日にちだけが過ぎていった。今思えば理由なんて本人さえわかっていないかもしれない。いわゆる社交不安障害という症状が見られていただけだ。結局、2人の先生が週に2回交代で家まで来てくださって、卓上ゲームをしたりしながら、息子の心の回復を見守ってくださった。

冬になってもそのまま登校せず、益々殻にとじ込もっていった息子に、学校のカウンセラーと自治体のソーシャルワーカーは頭を悩ませていた。以前にも書いたが、この国では各自治体が特別支援の必要な子供の教育費、養育費を支払うので、シビアに3ヶ月に1回、息子がどれくらい学校に行けているか、またどう成長してるかの評価会議がなされる。

そして、ここでもアンラッキーなことに、息子が林間学校の時からとても慕っていた担当教員(男性)が育休に入ることになり、違う女性教員に引き継がれたのだ。その頃から、学校からの訪問を拒否する日が増えてきた。

2023年の始めからは、新しく自治体から派遣された(一般会社の)コンサルタントが家に来てくれるようになり、息子の好きなことを通して学校に行けるようにしようとの試みから、週に1度のキッチンでの実習が始まった。息子は料理が好きで、特にケーキを焼くのが(食べるのも)大好きだったので、ようやく毎週水曜日のキッチンでの実習が定着していき、このままうまく行けばいいなと私は考えていた。

ところが、2023年の春から国全体の予算不足に伴い、私たちが住む自治体でのハンディキャップ分野の大幅な予算削減が発表されたのだ(各自治体によって個々で決められる)。この国では、予算カットの時は容赦なく問答無用で切り捨てていく。例えば、その発表に伴い、うちの近くの図書館に併設されていたカフェが閉鎖された。そのカフェはダウン症やその他の障がいのある大人が働いていたのだ。そのため、そこには指導する人材も必要だし、彼らに支払う賃金も発生していたから、まずは早速そこから予算を削って行ったのだ。

そして、自治体を超えて(息子の特別学校は違う自治体にあった)支払われていた息子の教育費は、1年たっても学校に行けるようになっていないと判断されて、夏休みで突然打ちきられてしまったのだ。私たちは、その決定から14日以内なら、国の行政施設に不服申し立てをすることも出来たのだが、それの結果が出るのにもまた半年くらいの時間を要するし、正直もうそこで闘うエネルギーも残っていなかった。

また、自治体が私たちの住む家の近くに新しく不登校の子供が通える療育施設を作るので、そっちに移動してはどうかという提案だったのだ。自治体にして見れば、区域を超えての支払いよりも、自分の地域に施設を作り、そこに呼び戻す方が予算削減につながる。そして、その学校は前の学校よりも近くにあり、車で10分の距離だ。しかも、MAX生徒数が学校全体で10人。私たちは、ほかには選択の余地もなく、その提案に従うこととなった。

息子は私たちの心配はよそに、前の学校には案外サッパリと未練もなく、近い方がいいと言うので私たちも泣く泣く4回目の場所に行くことを受け入れざるを得なかった。ただ、まだその学校(正確には療養施設)の建物は出来上がっておらず、夏休み前で支払いを打ちきられた息子は、学校が出来上がる秋までの間は病欠扱いとされ、また家で訪問コンサルタントとゲームをしたりして過ごすだけの日々に戻ってしまった。

日本ではどうなのかわからないけれど、私の住んでいる国では、こうして税金で全てがまかなわれている分、自閉症の子供達がシステムに翻弄されるという悲しいことが起こっている。それなら、自分達で支払えばいいと思うだろうが、毎月特別学校に支払われるお金は、軽く普通の勤め人の給料1ヶ月分に相当し、とても一般の家庭で支払える額ではないのだ。もちろん、それは、特別学校で働く職員の給料の保証につながることであり、強いては子供達の教育の質にも繋がっている。

でも、実際にはそのシステムに翻弄されている家族が多く、テレビや新聞でも取り上げられるほどの大きな社会問題になっているのだ。

そして、私たち家族も息子も、足掛け4年に続く不登校、家での度重なる反抗やメルトダウンなどで、システムにただ翻弄されるよりほかにはなす術もなく、エネルギーも残っていなかったのだ。

こうして、息子の4回目の新しい学校への移行が始まることとなる。。。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?