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現代日本文学大系 川端康成  筑摩書房


#わたしの本棚
ちょっと気が向いて川端康成を集中的に読みたくなりP450程の重たい本を入手。初期の大正、昭和初期の10編ほどを読んでみた。16歳の日記、葬式の名人から伊豆の踊子、禽獣辺りまで。この頃までに既に横光らと新感覚派を立ち上げているが、個人的には川端のどの辺が新感覚派と呼べるのか合点がいかない。その為に初期作を読んでみたかった。
「16歳の日記」は自殺と老いとの兼ね合いで語られることも多いが「葬式の名人」と共に、それほどの苦悩や悲壮を感じさせることはないと受け止めた。また「白い満月」には無理矢理の設定が多いと感じられ、この辺のストーリーの運び具合が新感覚派的と受け止められかねない無理を感じさせる。
次作が「伊豆の踊子」になる訳だが、流石にこの作品は読ませる。簡潔な文章と淀みない運びと切れる展開。どれをとっても素晴らしい。全く映画や女優が邪魔で仕方ないほど短いながらも記憶に残る名作だ。しかし、この作にしても新感覚的な部分はどこだろうと探しても探し得ないのではないだろうか?
後年の「雪国」であってしても新感覚的と思わせる部分は、終段の「この子気が狂ってしまう」や火事の場面での「夜空から降ってくる白い雪」などの極めて部分的な場面だけではないだろうか?横光がたどり着いた汽車が疾走する場面などの目まぐるしい速度感を持った場面などは川端の文章には無い。川端にとって「新感覚派」とは何だったのだろうか?
この重たい本には終わりの方にP60ほどの付録がついている。そこに「新感覚派時代」と題された、川端、高見順、磐谷大四の座談が収められている。この部分だけでも、この重たい1冊を求める意義はある。

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