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 文豪・夏目漱石が英語教師をしていた時、生徒が " I love you. " の一文を”我、君を愛す”と訳したのを聞き、「日本人はそんなことを言わない。月が綺麗ですね、とでもしておきなさい」と言ったとされる逸話があります。

 夏目漱石なら、如何にも言いそうな言葉ですが、漱石が訳したという正確な証拠は見つかっていないので、”漱石が訳した”とするのは誤りらしい。しかし、その婉曲な言い換え表現の意外性や面白さから、このエピソードは蘊蓄好きの間では拡散しているようです。たしかに、表現がオシャレだし、日本人らしい奥ゆかしさもありますね。この話が事実でないのなら、このエピソードを考えた人は、漱石クラスの文学的素養があったのかもしれません。

 漱石(またはエピソード製作者)には、言語学の素養も感じます。”I love you.”の直訳は、中学生でも知っている”私はあなたを愛しています”です。英語の授業ではこのような訳を繰り返し叩き込まれるので、試験の答案としては正解かもしれません。しかし、”正しい日本語としては不正解”です。違和感の無い日本語では、”私は”とは決して言いません。日本語には主語が必要ないのです。この場合の訳の正解は”愛してる”、これだけです。

 英語の授業で最初に習う”This is a pen.”も、”これは一本のペンです”ではなくて、”ペンだ”が正しい(違和感の無い)日本語訳だと思います。このように、日本語には主語は必要ないのです。言語学の本の中で、主語にまつわる笑えないエピソードが書かれていました。中国の日本法人の工場で、中国人労働者が上司に「あなたは、このことについてどのようにお考えですか?」と質問したところ、”あなた”とは生意気だと、会社から解雇されたというのです。一見正しい、しかも敬語まで使った見事な日本語ですが、主語である”あなた”を使ったばかりに、誤解が生じたようです。この文章の”あなたは”を削れば、違和感の無い日本語になったでしょう。

 漱石と同じく小説家の二葉亭四迷は、ロシア文学作品を翻訳した際、迷訳(名訳)を残しています。正確には”I love you.”ではありませんが、男性が女性を抱き寄せる場面で、女性が " Ваша… "(あなたにお任せするわ)と囁くシーンで「死んでもいいわ」と訳しています。漱石と四迷の2つのフレーズは、よくセットで使われています。やっぱり、明治の文豪は一味も二味も違いますね。


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