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実家から逃げた話〜周りに助けを求めることは大事〜

両親の不仲により、機能不全家族として20年近くやってきた我が家。父親の昔はDV、今はモラハラ(これでもDVがなくなっただけマシな方)に耐えかねて、ようやく実家から逃げ出した。
社会人になってからも自分は職業柄なかなか安定的に稼げないし自分の夢のためにはモラハラに耐えてでも実家にいる方が良い、どうせ自分は実家から一生逃れられないという思考の元、1年は頑張ったが、ついに限界がきて生まれて初めて家庭環境について周りの人に相談をしてみた。
自分ではそれなりに良くない環境だと思っていても、まあ世の中もっと大変な人いるし今はDVは無くなったし、と呑気に考えていた節もあったが、周りから「いやそれかなりやばい、貴方の心と身体の健康のために今すぐにでも出ないと」と説得され、ついにほぼ強硬突破で実家を出た。
今までの人生、周りに絶対に家庭環境のことは言うな、と言う母親の鉄の掟のもと、自分はとても恵まれていて幸せです、という顔をして生きていたが、思ったより状況は良くなかった。
両親の不仲により、自分の仕事を妨害されることなど序の口で、父親に母親が土下座させられる(家の中でも人が歩いている外でも)、母が泣きながら過呼吸になったりその後の母のメンケアで一睡もできない日もあった。
色々あっても母は自分に対しての愛情や母性があった。それは確かに感じている。だから、自分が自発的に逃げれるようになるまで待っていたのかもしれない。
父親はどうしようもなく子供の人だった。一つはっきりしていることは、自分のことをライバル視して、妻に母親としての役割を求めていたし、子供は母親を奪う悪いやつだと思っていたようだ。彼にはそれなりのカウンセリングなりセラピーなり治療が必要なのかもしれない。とても中年のおっさんの言動にしては幼すぎるところがあったし、気に入らないと、出てけ土下座しろ謝れ消えろ誰のおかげでここまでやってきたんだ等叫び出し、近所迷惑になることも度々。
ずっと耐え続けたが、もういい加減自分の人生生きてやろうと気持ちを切り替え、周りの助けを借りながらなんとか逃げ出した。
いざ逃げ出すまではやっぱり無理なんじゃないかと何度も死にたい消えたい衝動に駆られたが、動き出して助けを求めたらたくさんの人たちが助けてくれた。案外人生なんとかなるもんだなーと。
今までずっと死にたかった、消えたかった消極的に生きていた自分が、実家から距離を取っただけで、スッと落ち着いて少し積極的に生きられるようになった。
この記事を誰かが読むかはわからないけれど、もし今毒親から色んな事情で離れられなくて苦しんでいる人がいたら、とにかく信頼できる家族以外の人がいたらその人に、信頼できるまでいかなくても全部事情を話さなくても、何かしら助けてくれる人はいるので、自分から「助けて」と声を上げてほしい。
親の人生は親の人生、自分の人生は自分の人生。
全ての人が自分が自分として自分らしく生きられることを願って。

でんぐりでんぐり

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