自分は面白くない
自分は、才能の塊だと思っていた。
自分のボケは、センスが溢れていると思っていた。
そんな考えをnoteを投稿すると共に捨て去りたい。
幼い頃からお笑いを観る事が好きだった。
多くの人を笑わせる。そんな芸人さんの姿に僕はいつしか憧れていた。
小学6年生の1月、初めて漫才の台本を書いてみた。12年間で得た事を全て詰め込んだ漫才の台本は、何一つ笑えなかった。単純に面白くなかった。
3ヶ月ネタを書き続けるも面白いと思えるネタは出来なかった。その時に気付いた。
自分は、面白くない人間なんだと。
中学時代、お笑いの事を語れる友達が出来た。僕はその友達に自分が面白くない事を相談していた。しかし、返ってくる言葉は
「でんごろうは面白いよ」
今になって思うがそれは気を使っていたのだろう。当時、僕は自身が面白く無い事を思い詰めていた。多分見てられない程だった。
そんな状況もあって友達は気を使ってくれたのだろう。
自分は、その言葉を真に受けて中学3年間は
果敢にボケてその場を最悪な雰囲気にしていた。あの頃の僕は黒歴史製造機と自ら称す程だった。
中学3年間で一番「面白い」と言われたのは
YouTubeに動画を投稿していた時期だった。
当時の自分が持たれがちだった印象は、
“無口で真面目な陰キャ”だった。
それもあってか、YouTubeでは流暢に雑談しぶっちゃける姿に普段とのギャップから面白いと言われていた。
自分は「面白い」だけを聞き入れて根っから面白い人間だと勘違いしてしまった。YouTube投稿は、わずか2ヵ月で止めてしまった。中学の先輩による「面白くない」というコメント。それもそのはず自分の動画は普段の自分を知っている同級生でしかウケていないからだ。
自分は、「面白くない」と言うコメントがこれ以上寄せられる前に動画を全て削除した。
面白くない自分から逃げたのだ。
高校では、中学の同級生が殆ど居ない学校に進学した。
1年の初期は、素直に思った事だけを言うだけウケていた。
真面目な割に口が悪いと言うギャップなのだろう。
自分は、口の悪さを武器にウケを狙っていたが、これはただの悪口ではないかと思い直ぐに止めた。
その後は、サイコパスキャラを始めてみるも1ヵ月で限界が来てしまった。
1年の中期は、陽キャの様にノリだけで生き ていこうとしたがある出来事をきっかけに
その日に止めた。内容には触れないが
真面目に生きていこうと決断した。
2年の前半は、大人しく生活し真面目キャラに徹していた。
後半からは、友達から自身の言動が指摘される様になったり変人だと言われるようになった。自分は、変人への憧れもあって素直に嬉しかった。変人キャラのお陰で気軽にボケを連発出来るのではないかと思っていたが
待っていたのは冷たい視線だった。
ボケが駄目ならとツッコミに徹する様になるが、仲の良し悪し関係なく声を出してツッコんでいたが
待っていたのは静まる空間だった。
これらの出来事に笑いへの自信が無くなった。
3年の6月、ラジオに投稿したメールが初めて読まれた。自身の懺悔したい出来事に本音を全て詰め込んだ等身大のメールだった。
パーソナリティが笑ってくれた事に心が救われた。
その後、他の番組でメールが読まれるが
殆どの番組で変な空気になった。
聴いていた当初は、ウケたウケて無いに関係なく、読まれた事実だけに喜んでいて、変な空気になってもお構い無しだった。
先日、高校の友達とメールが読まれた時について話していた。
友達から「変な空気なってたね」とストレートな感想を貰った。突きつけられたく無い現実に何も言い返せなかった。
2022年、僕のメールは10通読まれた。
僕のメールが読まれたシーンを改めて聴き直してみると10回中6回変な空気になっていた。
変な空気にならなかったメールをまとめると
・懺悔エピソード
・お笑いに関する質問
・配信番組の感想
・不幸エピソード
上記のメールに共通する事は全て本音で、等身大でメールを書いていた事だった。
変な空気になったのはネタメールと事実を盛ったエピソード。
メールを分析してみて自分は、等身大でしか面白くない人間だと思った。
変なキャラも着ける必要も無いし素直に生きていきたいと思った。
弱点は、ネタが面白くない事とエピソードを盛る癖がある事だ。変にボケる必要は無い。
自分には才能が無い。
自分のボケは何一つ面白くない。
そんな自分を受け入れて新生活を始めたい。
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