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【散策記】『嵐山花灯路(はなとうろ)』に行ってきた

一昨日、母を連れて『嵐山花灯路(はなとうろ)』に行ってきた。この花灯路というのは、まあ簡単に言えば、イルミネーション(ライトアップか?)みたいなものだ。嵐山にはかの有名な『渡月橋』やたくさんのお寺、庵(いおり)、あとは桂川があって、それらがライトアップされるというイベントである。今年は新型コロナウイルスの影響もあって、ライトアップされる寺院の数は減り、有名な小径竹林のライトアップ等も行われず、例年に比べて規模縮小という感じであったが、行くことにした。というのも、私は京都に20余年居住してきたのにも関わらず、この『花灯路』を一度も目にしたことがなかったからだ。せっかく、京都に住んでいるのにこれは勿体ない。また、今年はコロナの影響もあって、逆に普段とは異なる『花灯路』が見れる貴重な機会かもしれないと思って、行ってみることにした。同行者はいつもの如く、当日仕事が休みであった我が母である。私の母は、脚を悪くしているので、長時間歩き回って色んな景色を見るという経験をともにできる機会も、もうそんなに多くは残されていないだろうと思っているし、できるだけ母が元気なうちに共有できる思い出を作っておきたかったという理由もある。

今回、『花灯路』に行ってきた結果、228枚の写真を撮った。当初は、1-2箇所回れるところだけを回ってサッと帰るつもりであったのだが…。道中で撮った大量の写真を整理して、どれをこの記事に掲載するのかを選別するのが、かなり大変だったので、「この記事の文章には目を通さずとも、写真だけは見ていって、どうか皆さんにも『夜の嵐山』の雰囲気だけでも掴んでいってもらえれば」と思っている。

因みに、この『嵐山花灯路』の開催期間は12/11(金)~12/20(日)とかなり短く(開催時間は17:00~20:30とこれもまた短い)、この記事を目にしたとしても、今年の『花灯路』に訪れることができる人は極めて限られるだろうから、宣伝効果はほとんどないと思われるが、気になった方は、毎年この時期に開催されているそうなので、来年を楽しみにしてもらえればと思う。

嵐山(渡月橋)に着くまで

今回、嵐山には、JRを使って行った。現在の私のお財布事情を考慮すると、それが最も交通費の面で安価かつ利便性が高いからだ。JR京都駅からJR山陰本線(亀岡とか園部に行くやつ)を使って、JR嵯峨嵐山駅にて下車し、渡月橋まで歩いて向かった。

『渡月橋』

だいたい10~15分くらいで渡月橋に到着した。しかし、パッと辺りを見渡してもこれといった目立つイルミネーションのようなモノは見当たらないし、どこを目指して行けば良いのか、見どころは何処なのかよくわからなかった。そのときの印象としては、「なんだ…。せっかく来たけど、思ったよりショボいな。。この前(約2ヶ月前)に見た神戸三ノ宮のハーバーランドの夜景の方がよっぽどキレイじゃん…」という感じだった。要するに、あまりパッとしないと感じた。因みに、そのとき見た景色が以下である。

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これは渡月橋を北から南に向かって歩いている途中に撮った写真である。うーん、足元は灯籠が置かれていて少し綺麗になっているが、そんなに驚くほど「綺麗!」って感じでもなかった。2枚目の写真(に写った景色)を見る限り、奥に見える強いライトが渡月橋の橋脚をライトアップしているのだなと思い、渡月橋を渡って、向こう岸からの景色(遠景)を見てみようと向こう岸に渡った。そのとき、向こう岸(南側)から見た渡月橋の遠景(といってもまあまあ近いが)が以下である。

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これだと、結構綺麗に見える。「おっ、なかなか良いじゃん♪」と少し気分が持ち直した。イルミネーション(特に大型のモノ)は、間近で見るよりも、少し遠巻きに見た方が綺麗に見える。そして、今回は様々な流派の生け花も随所に展示されているらしく、その1つを早速見つけた。

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私は生け花について、まったく知識がない(一方、母は生け花を少し齧っていたことがあるらしいので、何が良いのか聞いてみたのだが、「私とは流派が違うのでよくわからない」とのことだった)ので、どこをどう評したら良いのかわからないが、これは素直に「美しい!」と思った。縦に(天に)伸ばすタイプの流派なのかな?綺麗にまとまった土台の上に、細枝で上部に繋げた玉のような飾りが良いアクセントになっている。一見、砂上の楼閣のように、頭が重い割に土台がそんなに大きくない、アンバランスさを感じさせるが、作品全体としては、よくまとまっているように感じる。私は、美的センスがまったくないので、こういう芸術作品を作れる人は素直に尊敬する。綺麗な生け花だった。

渡月橋を渡りきった後、早速、次はどこを見れば良いのかわからない状態になった。「もう見るべきところはそんなにないのかな?パッと見て目立つイルミネーションもないし…。じゃあ、残念だけど、もう帰るか」みたいな雰囲気になりかかっていたところ、偶然にも渡月橋のたもとの近くに案内所があったので、そこに行って、スタッフの方に「この近くで見れそうで、かつ、これは見ておいた方が良いっていう場所はありますか?」とお尋ねしたら、「そうですねえ…。寺院や庵がたくさんあって、それぞれで色んなイルミネーションをやっているんですが、これらの寺院や庵はそれぞれ結構離れた位置に点在していて、それぞれあまりアクセスが良くないんですよねえ…。この近くだったら『法輪寺』か『亀山公園』と言ったところでしょうか」と言われた。手元にあるマップを確認してみたところ、確かにスタッフさんの言うとおり、見るべきスポットはたくさんあるが、それぞれが結構離れていて、全部を見て回るには、かなりの距離を歩かなければならない。しかも、時間は20:30まで(我々が到着したのは18:00ごろ)なので、その限られた時間の中で、全部を見て回るのは不可能に近い。このアクセスの悪さというのは、まあ、そもそも寺院や庵はイルミネーション(ライトアップ)のために建てられた施設ではないので、仕方がないのだが、このイベントの1つの弱点だなと思った。まあ、寺院や庵をイルミネーションのために移動しろなんて言うことは、どだいおかしな話なので、解決しようのない問題ではあるが、地理的要因による避けられない弱点であるなとは思った。

『法輪寺』

そんな話はいいとして、スタッフさんに案内されたとおり、『法輪寺』と『亀山公園』だけは見て帰ろうということになった。まずは、渡月橋から近い『法輪寺』に向かった。『法輪寺』に向かう途中で、温泉宿の灯りが見えて、それも綺麗だったので、写真に収めておいた。

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『法輪寺』入り口が非常に狭く、それを見落として右往左往していたが、赤いジャケットを着たスタッフの人を見つけて、なんとか入り口にたどり着いた。入り口はこんな感じ。

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足元が綺麗にライトアップされている。少し歩くと、おそらくお寺の入り口と思われる門が見つかった。

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この門をくぐって、すぐのところに古木が立っていてライトアップされていた。こんな感じ。

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周りの漆黒の背景と灯りに照らされた木のコントラストで、日中に見るよりも木肌の凹凸感や木に生えた苔の質感などが強調されており、常日頃見る嵐山の景色とはまったく違ったものが見えた。ここで、ようやくこの『嵐山花灯路』のコンセプトを理解した。これは、以前、神戸の三ノ宮のハーバーランドで見たような派手な電飾による完全に人工的なイルミネーションというよりは、嵐山の自然や文化的建造物を行きすぎない(派手すぎない)ライトアップにより、普段は感じることの難しい嵐山の「侘び寂び」を表現しようというものであると思った。

この木が生えているところから少し歩いたところの景色も美しかった。

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しかし、この先、かなりの登り坂ということもあり、脚の悪い母を連れて無理をさせる訳にもいかないので、今回はここで引き返すことにした。

『亀山公園』

続いて、『亀山公園』に向かうことにした。渡月橋を再び反対側(北側)に渡って、すぐに左折し(西側に向かい)、桂川沿いを歩く。桂川の水面が波ひとつ立たず、静寂さを感じさせる。水面に光が乱反射して、キラキラ輝いている。

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先ほど見た渡月橋も違う角度から見ると、違った景色を見せてくれる。

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綺麗な温泉宿もあった。

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川沿いをしばらく歩くと、『亀山公園』の入り口に着いた。灯籠で足元が赤く照らされた階段を上っていくと、ディスコやクラブで見られる「ミラーボール」のような光源を中心に据え、その周囲を複雑に絡み合わせたワイヤーが取り囲む球体のイルミネーションを発見した。球体は回転しながら、赤、青、紫の3色で周りをランダムに照らしながら、独特の空間を演出していた。

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『亀山公園』は、やや登り坂になっている。見える景色はこんな感じ。灯りに照らされた細枝が白く映えて、遠目から見ると雪化粧をしているようにも見える。

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この近くにも、生け花が展示されていた。先ほど見た生け花とはまったく違った趣向のものである。上部にボリュームを持たせているのは、先ほど見たものと共通するが、先ほど見たものは上部が孤立した球体で際立っていたが、こちらは花や針状の葉の集合でボリュームを持たせている感じ。特に中央の黄色の花に目が行く。上に目立つものを持ってきている分、下の細い幹も浮き上がって見えてくる。あと、全体の形としては、木の幹の曲線を活かした「捻り」のあるデザインとなっており、そこが独自性なのかな?と思ったりした。私としては、最初に見た生け花の方が、シンプルでスッキリしていて好みだが、これはこれで素晴らしい作品だと思った。

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もう少し歩くと、紅葉がライトアップされていた。木に対する光の当て方が控えめなのが良い。少し影ができるくらいが私的には好みである。だんだんと、『花灯路』の渋さがわかるようになってきた笑。

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さらに道を進んでいく。次の写真もお気に入り。

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道中に『友禅柄大型行灯』の列があった。これは若干友禅の格調高さを欠いているような感じがする。少し安っぽい感じがする。制作者には失礼かもしれないが、あまり私の好みではなかった。人によってはこれを綺麗と感じる方もいると思うので、こちらも写真を掲載しておく。

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『亀山公園』を出て、『小倉池』へ

この友禅の列を過ぎると、赤いジャケットを着たスタッフの方が立っておられて、「この先、見る場所はありますか?」と尋ねると、「ここから先は『亀山公園』のイルミネーションはありませんよ」と言われた。しかし、道が二手に分かれていたので、「その一方(トロッコ嵐山駅方面)の先には、何かありますか?」と再び尋ねたところ、「『常寂光寺(じょうじゃっこうじ)』や『二尊院(にそんいん)』、『落柿舎(らくししゃ)』などに色んな展示がありますよ。10分ほど歩けば着くと思います」と言われた。当初はこの『亀山公園』で引き返す予定だったのだが、案外近くにも見どころがあることがわかったので、もう少し歩き続けることにした。今回の『花灯路』は、むしろここからが本番であった。俄然楽しみになってきた。

トロッコ嵐山駅方面に少し歩を進めると、竹林があった。今回は、小径竹林のライトアップはないとのことだったが、こちらの竹林に関しては別のようだ。これが非常に美しかった。(写真ではあまり伝わらないかもしれないが、もう少し壮大な感じがした)

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『小倉池』

道沿いにまっすぐ進むと、小さな池に出た。この池の名を『小倉池』というらしい。枯れた蓮が池の水面から顔を出していた。これもライトアップされており、水面に反射する光と橙色にライトアップされた背景の木々、そしてこのタイミングで降りだした粉雪と合わさって、寂れた美しさを演出していた。今回の個人的ベストショットはこれかもしれない。

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『常寂光寺』に向かう道中でも、紅葉のライトアップを見ることができた。

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『常寂光寺』

この道をそのまままっすぐ進んでいくと、『常寂光寺』に着いた。正面から門を撮影した(1枚目)。左端に見切れている生け花は見逃してしまった…。

この門をくぐって無料で入れるところまで歩いてみた(2枚目)。

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2枚目の写真の左奥に見えているのが、入り口で、ここから先は拝観料が大人500円、子供200円必要と言われた。私は数年前に、一度、紅葉の時期に『常寂光寺』を訪れたことがあるので、中が非常に美しいのは知っている。だから、500円という拝観料は決して高いとは思わなかったのだが、拝観時間が17時~20時で、『常寂光寺』にたどり着いた時点で20時近かったので、中をゆっくり見て回ることができないと思い、今回は断念した。後に回る『二尊院』と『落柿舎』も同様の理由で拝観を断念した。(そもそも、『二尊院』は我々がたどり着いた時点で拝観終了になっていた)

再び『小倉池』へ

というわけで、再び『小倉池』に戻ると、面白いものが目に入ってきた。

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いわゆる「プロジェクションマッピング」というやつらしい。とあるアーティストの方が制作したものらしい。実はこの「プロジェクションマッピング」、小倉池に着いたときにすでに一度見たものなのだが、そのときはそんなに綺麗だとは思わなかった。しかし、『常寂光寺』側から帰ってきて、先ほどとは違う角度で見たときに、この作品の全体像がはじめて見えて、そのときに「綺麗だな…」と感じてしまった。往路では見えてこなかった景色が、復路で見えてくるというのもおもしろい。同じ景色をどの角度から見るのか、坂道の上から見るのか/下から見るのかでまったく違ったモノが見えてくるというのが、この『花灯路』の醍醐味だと思った。

『二尊院』

続いて、『二尊院』に向かう道中で、これまた美しい木々のライトアップを見た。枝の一本一本が白く輝いていた。

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今回の『花灯路』には、自然の木々や川の水面、道端のライトアップだけではなく、生け花や様々なオブジェ、友禅をモチーフにした行灯、プロジェクションマッピングのようなアーティストの作品も数多く展示されている。『二尊院』までの道中(『長神の社』)でまたおもしろいアーティストの作品が展示されていた。

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これは、ドイツのケルン在住の『フィリップ・ドレバー(Philip Dreber)』というアーティストの《High Light》(ハイ・ライト)という作品だそう。赤、青、緑、紫、橙のワイヤーのようなものを木に巻き付けて様々な方向に折り曲げて配置してある。(おそらく)5色に見えるワイヤーは虹を表しているのだろうか?虹といえば、多様性の象徴とも言われる。この世には、宗教・思想・文化・人種・民族など、様々なバックグラウンドをもった人間が存在している。そういった多種多様な人間が互いに相容れないことが原因となって、世界中で様々な諍い、果ては戦争や紛争が起こっている。この作品は私にとっては少々前衛的過ぎて、その意味するところを正確に汲み取れなかったが、要はそういった多種多様な人間が互いの理想を尊重し、共存していくことこそが理想の世界なのではないか?ということが言いたかったのかなあと私は単純解釈した(正しい解釈かどうかはわからない)。ワイヤー(つまり虹)が様々な角度に折れ曲がっているのは、何を意味するのか?今年のコロナショックは関係しているのか?等、その意味するところに謎は残ったままであるが、おもしろい作品だと思った。制作者であるフィリップ・ドレバーさんは、新型コロナウイルスの影響で来日して、直接この作品の設営ができなかったそうだが、もし、本人が現地に来て設営に携わっていたとしたら、違った作品ができていたのだろうか?解釈の余地が色々ある。

この不思議な作品を跡にして、少し歩いたところに『二尊院』があった。もうすでに閉門時間であったので門の写真しか撮れなかったが、今度訪れる機会があれば、ぜひ中に入ってみたいものだ。

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『落柿舎』

また『小倉池』に戻って、今度は『落柿舎』へと向かった。拝観時間の関係で他の施設と同じく中に入るのを断念した。入り口のみだが、写真に収めておいた。『落柿舎』は、庵(いおり)の1つだが、茅葺きの屋根が少しだけ見えた。

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ここからは、俳諧の歴史に詳しい父からの完全な受け売り(岩波文庫とネットの有名な芭蕉フリークのサイト、電子辞書を引っ張り出して色々説明してくれた笑)だが、この『落柿舎』、かの有名な俳諧師『松尾芭蕉』の一番弟子とも言われている向井去来(むかいきょらい)の別荘であるそうだ。『落柿舎』の中には、向井去来の墓がある。この向井去来、元は武士の出で、長崎出身。宮中(お公家さん)の儒医、向井元升(むかいげんしょう)の息子であった。生家から余所に養子に出されたが、その家に跡取りが生まれたために、養子解消になって、向井家に戻ったという経緯がある。

生まれは先述のとおり、長崎であるが、お公家の医者として父が京都に出向くのに付いて、8歳のときに京都(聖護院)に移住した後、再び、福岡に戻って武芸を修めた。このときに、一度、福岡出身の母方である久米家に養子として入る。その後、福岡にて、「仕官してくれ」(武士として福岡藩に勤めてくれ)と頼まれる(=招請(しょうせい)される)が、それを断ったらしい。断ったのが25歳のときで、その頃、京都に戻ってくる。

兄である向井元端(むかいげんたん)は京都の堂上家に典薬、すなわち現在で言うところの薬剤師として仕えていた。その兄の手伝いを京都にいたころにしていた(同じく堂上家に仕えた)ようだ。その頃、公家に出入りし、神道家、陰陽家として、天文と暦に携わった(研究をしていた)。その後、1678年に隠者(俗人との交際を断って、ひっそりと隠れすむ人=浪人(無職))となった。因みに、これは『鴨長明』と同じ。彼も浪人として、組立式の小屋に住んでいた。

こういう歴史を知っていれば、神社仏閣、庵の多い京都に来るのが、ますます楽しくなるだろう。見える世界の解像度が全然変わってくる。これが教養というものなのだろう。(私は完全に父からの受け売りで話をしている笑)

帰路

『落柿舎』を見て、私たちは帰路につくことにした。この当日、雪が降るほどメチャクチャ寒く(私のスマートフォンには、-1℃という気温が表示されていた)、長時間歩いた(軽く10 kmは歩いたんじゃないだろうか?)こともあり、体力的な限界も近づいていたので。残りの写真は帰路で撮った、往路とは違うように見えた景色である。(基本的には往路で撮ったものを違う角度から見るとこう見えるよという写真である)

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帰り道に『嵯峨嵐山文華館』の近くで、本日3つ目(『常寂光寺』で見逃したものも含めると正確には4つ目)の生け花を見つけた。

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この生け花は、『未生流(みしょうりゅう)』という流派のものらしく、母がかつて生け花を習っていたときは、この流派だったらしい。母から聞くところによると、『未生流』の生け花の特徴は天・地・人の3方向に向かって花を生けることらしく(下画像参照)、たしかに言われてみれば、これまで見てきた2つの生け花と比べると、最も均整のとれた形をしていると思った。これに関しては正統派というか、これまでに見た2つはわりかしモダンな生け花だったのに対して、伝統的な、最も「和」の色彩が強い生け花だとも感じた。

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未生流では、この天地人三才の和合を先の直角二等辺三角形 (三角鱗) の中に形として表しています。
天が最も高い位置、地は最も低い位置、人はその中間の位置として体 (天) ・留 (地) ・用 (人) の役枝として配します。

引用元:未生流のいけばな-未生流


帰路から見た渡月橋も実に美しかった。

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行ってよかった『嵐山花灯路』

よし、今回撮った228枚の写真の中から見せたいものはすべて載せられたので、これにて、この記事は終了にしよう。この後、母は膝を痛め、私はふくらはぎをつりそうになりながら、家路に着いた。めちゃくちゃ寒い中、長時間歩いたが、それだけの価値はあった。神戸の夜景とはまた違った「寂れた良さ」があった。今年は、新型コロナウイルス流行という常時とは異なる状況下でのイベント開催ということもあり、例年にはない景色が逆に見れたのではないだろうか?また、来年も行ければいいなとは思うが、母は「綺麗だけど(脚が痛くなるから)行きたくない…」と言っていた。まあ、来年行けるかわからない(状況的に)のは私も同じなのだが。。とにかく、良い思い出にもなった。こうして、写真にもたくさん残せた。これを見返して、また思い出に浸るとしよう。そして私としては、かなり久しぶりの外出で澄んだ外の空気も吸えて良い気分転換にもなった。行って良いことはたくさんあったので、皆さまも興味があればぜひ!(来年とか再来年でも構わないので!)

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