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死んでほしくない

※2021/02/02に追記しましたので、記事をこれから読まれる方にはぜひお読みいただきたいと思います。

※先に述べておきますが、世の中にはどうしても“生き難い”(“生きていたくない”ではなく、”生き難い“と表現しておきます)事情(いじめ、貧困、孤独、病苦、労働に伴う苦痛等があり、現状から逃げたくても逃げられない状況にある)を抱えた方が存在します。そういった“生き難い”方にも私は「可能ならば生きていてほしい」という考えをもっていますが、現状、こういった方々にどうやって「生きていてもいい」と思ってもらうか、具体的な案が浅学非才の私には思いつきません。
そもそも生きるのは義務ではなく、権利ですから、基本的にはそれを行使するかどうかはその人の一存に委ねられています。先に挙げたような生き難さ故に「死にたい」と言う人たちに対して、「死ぬな」ということは、「(時に死ぬより)つらいことを我慢して生きる選択肢を無理やり選ばせる」ということでもあり、見方によっては残酷なことであるということは私も認識しています。
このように生死の選択というのは、個々人の置かれた状況に依るところも大きく、十把一絡げにして扱うのは難しい問題ですが、私個人の感情としては、(具体的に思いとどまる方法は提示できないものの)今死のうとしている人の多くには「死ぬのを思いとどまってほしい」と思っています。
「"死にたい"と言っている人たちに"生きていてほしい"という癖に、実効的なことは何もできない。そういうやつは自分に酔っているだけではないか?」、そういう冷笑的な態度を取る人もいますが、私は敢えてそれに逆行したいと思います。そういった思いで以下の文を記します。


今「死にたい」と思っている、死ぬことを実行しようと思っている、そんな人にこの文章が届くかはわかりませんが、取り急ぎ伝えたいことを文章にしました。以下。


死にたい人たち、および、その周囲の方たちへ

その①

「死ぬな!」と言われても、「命を捨てなければ人生いくらでもやり直しがきく!」と言われてもこんな人生を続けたくないし、やり直したくもないという人にとっては酷な言葉ですよね。
「生きていることが苦しくてしょうがない」という人は、普通の人とは価値観が変わってしまっています。
「死にたい」という人たちは、「生きているのは良いことだ」という前提そのものを疑っている(あるいは否定している)のです。
そういう人に対して、「生きていたら良いことあるよ」とか「生きることは素晴らしい」というメッセージは届きません。
私も経験がありますが、そういった言葉はむしろ「普通の人は生きていると良いことあるのか。私とは違うな」とより絶望を深めてしまうきっかけにすらなります。

同様に、「生きること=良いことだから続けるべき(その努力をすべき)」とか「もっと人生を良いモノにしていこう(そのために色々行動しよう)」という考え方は健康な人にこそ適用できますが、「死にたい」という人たちに適用するのは難しいです(「そもそも、生きていくことそのものが死ぬほど嫌なことなのに、そんなこと維持したくない」とか「人生を良くしていこうというエネルギーが湧いてこない」という場合が多いからです)。

じゃあ、どういう言葉をかけようか?私はこう伝えることにしています。

「“生きていることは良いことだ”という前提なんてない。そんなものはその人の状況に依る。生きていることの方が死ぬことよりつらいという状況もあるかもしれない。だから、よっぽど苦しかったら死んでもいいかもしれないね。そもそも人間には自殺する能力があるのだし。だが、それでも私はあなたを必要としている。あなたに生きていてほしいと思う。あなたが死んだら悲しい」と。

とりあえず、「生きていることは素晴らしいことだ」という前提は取っ払って、あなたの「生きることが苦しい」という気持ちは受け止めます。その上で、「あなたを必要としている」、「あなたがいないと悲しい」ということを明確に、強く伝えたいです。
これを実生活でまったく縁のない私に言われても、全然響かないかもしれませんが、本当にそう思っています。
たとえあなたに客観的に見て何の価値もなかったとしても(そんなことはほぼあり得ないと思うのですが)です。
周りに誰も肯定してくれる人がいないのなら、私があなたの価値を認めましょう。
その価値に根拠は与えられないかもしれません(私はあなたの親族でも友達でもないからです)が、少なくとも何も価値を認められないよりかは幾分マシだと思います。
また、今「死にたい」と言う人が近くにいる方は「私はあなたを必要としている」、「あなたがいないと悲しい」というメッセージを是非、本人に伝えてあげてください。その方が、私が言うより10000倍響きます。

生きていることがつらくてどうしようもないときに自分を必要としてくれている人がいる、自分がいないと悲しむ人がいるというのは、その人を現世に繋ぎとめておく最後の楔になり得ると私は信じています。
人が死ぬのは、この世の誰からも無視されたときです。「あなたをちゃんと認知しているよ、ちゃんと必要としているよ」というメッセージを伝える(まず、相談相手になってあげるというのが大きいです。死ぬ人は孤独なことが多いので)のは、今死のうと考えている人にとっては「生きていてもいいかな」と思うきっかけになるかもしれないのです。


その②

今つらい状況にある方にもう一つ言いたいことがあります。それは、「どうしてもしんどいときは頑張ることをやめてください」ということです。そのようなときは頑張ることはむしろ毒です。嫌なこと/やりたくないこととは徹底的に距離を置いて、気の済むまで休んで(サボって)ください。休むことを罪に感じる必要はないです。何も気にせず休んでほしいです。

休んで嫌なことから距離をおいて、サボりにサボり倒したら、多くのことは実は、仕事であっても、それが自分のアイデンティティに関わることであっても、一生懸命やる必要のなかったことだったということがわかります。もしそうなら、そのままやらないことにすれば良いと思います。無理をして、色々やっても結果はそんなに変わらないでしょうから。


その③

また、メンタルの強い人のいうことも(アドバイスであっても)そんなに真に受けなくていいです。基本的にメンタルの強い人にメンタルの弱い人の気持ちはわかりません。私の経験上、メンタルの強い人の言葉で救われた(元気づけられた)ことは一度もないですし、アドバイスを真に受けると、その人や自分自身にイライラするだけで精神衛生上もあまりよくありません。そんなことより、早いうちに精神科を受診して、ゆっくり休みましょう。休む(周囲の人は彼らを休ませる)のが一番大事です。


その④

仕事などがつらいときは、「今日1日だけ生き延びよう」とだけ決めてくれればいいです。それで1日乗り切れたら“good job”です。それを次の日も繋げていくのです。1日が無理なら半日(午前中だけ何があっても耐えよう)でも構いません。あまり先を見過ぎないようにしましょう。「今日1日を生きられたら、まずはそれでOK」ってことにしましょう。頼みましたよ。


伝えたいことは以上です。私の我儘ではありますが、今「死にたい」という人が一人でも思いとどまってくれることを願っています。

〈追記:2021/02/02 23:10〉

ついさっき、noteで私と同じ双極性障害を抱える方とコメント欄で会話をしました。その内容が非常に大事なことだと思ったので、こちらにも掲載しておきます。ここでは、会話相手を仮にMさんとしておきます。Mさんは双極性障害を抱えており、2021/02/02時点で休職4ヶ月。奥さまと子どもがいるがあまり関係はよくないそうです。そういうこともあって、毎日「死にたい」という思いで頭が支配されるということを記事内で述べておられました。その記事のコメント欄での会話。

〈私〉Mさん
はじめまして。Kakkn.Yと申します。
実は私もMさんと同じ病名で、かつて自殺未遂をしたことが複数回あります。

今人生うまくいってないのですね……、たしかにそういうときは「死にたい」気持ちで脳が100%占められてしまうと思います。

脳に「死にたさ」が入り込む余地をなくすために、こうやって文章を書くことなんかはすごく大事なことだと思っています。あと、人とたわいもない話をすることとか。脳を「死にたい」以外の感情で先に埋めてしまいましょう。

あと、基本的なことですでに実行されているとは思いますが、1. ストレスの原因から遠ざかること、2. 何も気にせず休める期間を設けること、3. 薬を飲んでしっかり眠ること、4. たまには日差しを浴びて散歩でもしましょう。以上を実行されると良いと思います。

そして、(もし仮にですよ!)離婚することになっても、それで人生終わりではないので、どうか悲観的にならずに。
厳しい世界ですが、なんとか一緒に生き延びましょう。心から応援しております。

〈Mさん〉コメントありがとうございます。今、家族内でもなんとなく僕の居場所がないように感じます。それはきっと僕が話をしようとしなく、何を考えてるか家族もわからないからだとおもいます。
こうして文章にすることで、僕の心の内が吐き出されるかと思い、noteに書き綴って見ました。自分で冷静に考えてられるかと思って。

現在、休職4ヶ月目です。社会復帰にも不安があります。いろんな心のダメージをなんとか減らしていきたいと思います。

〈私〉なるほど。家庭内で居場所がないのは非常につらいですね。こういうときは、黙っていることで相手もこちら側の内心を悪い方に想像してしまうことが多いので、自分はどういうことを考えているかを一度冷静になってお話した方が良い場合もありますね(私が記事に書いたように)。

ただ、家族によく思われていない雰囲気がある中で、言葉を発してしまうと、余計に関係が悪化して壊れてしまうんじゃないかという恐怖心があるのもわかります。

しかし、原則としては、人間関係は「対話」以外の方法で改善する可能性はかなり低いと思っています。態度・行動で印象を変えてもらうとしても、すでに脳に何かしらのフィルターがかかった状態でモノを見ていますから、それが良い方向に働くとは限りません。

やはり、言葉を尽くして自分の考えを開示し、相手の考えと擦り合わせていくという過程はどこかで必要になってくると思います。

noteを書くのは良いことだと思います。たとえ短文だとしても。理由は先述のとおりです。思考の整理にも役立ちますしね。

〈私〉社会復帰はスムーズに行けば良いですが、あまり無理をなさらずに。お子さんがいらっしゃるので、そんな甘いことを言ってられる状況ではないのかもしれませんが、仕事が原因で死ぬようなことは本当に馬鹿げていると私は思います。そもそも生きるために仕事をやっているのですから、それこそ本末転倒です。最悪(あくまで最悪ですよ!)、仕事に復帰しても死にたい、仕事に復帰できそうにないという場合は、家族と相談して離職の選択肢もありだと思います。ここは、離婚の原因になったりするので、断言は避けますが、少なくとも命を捨てるよりはマシです。

離職したあとは、傷病手当金や失業保険、会社が加入しているのであれば所得補償などが受けられると思います。あとは、障害年金。最悪、生活保護があります。受けられる制度はいろいろ活用してなんとか生き延びましょう。つらいですが……。

〈Mさん〉ありがとうございます。僕が悩んでる事を的確にアドバイス下さり、ありがとうございます。
勇気を出して話してみようと思います。改善の方法がなにかしら出てくる事をきたいして。
生きるための仕事ですよね。ここも心と家族で話し合って最善の方法を模索していきたいと思います。ただ死にたいだけで、全てが解決するわけではないと自覚はしています。

会話内容は以上。太字にした部分が特に大事だと思われる箇所です。まとめると、

✔️脳に「死にたい」という気分が入り込まないように、他の感情で先に埋めてしまいましょう。たとえば、何か文章を書いたり、人とお喋りしたりなど。

✔️精神疾患を抱えている場合、回復に有効な基本的手段を実行すること。1. ストレスの原因から遠ざかること、2. 何も気にせず休める期間を設けること、3. 薬を飲んでしっかり眠ること、4. たまには日差しを浴びて散歩でもすること。

✔️追い込まれているときに最も助けになってくれるのは、家族である場合が多いです。逆に家族との関係が悪いとそれが原因で追い込まれてしまいます。家族との関係を良好に保つためにも、対話を欠かさないようにしましょう。対話とは、言葉を尽くして、自分の考えを開示し、相手の考えと擦り合わせていくという過程のことです。人間は喋らない相手の内心を悪い方に想像してしまう傾向のある生き物です。たわいもない話からはじめて、家族とは何でも話し合えるという環境を作れるのが理想です。

✔️仕事が原因で死ぬようなことは、本末転倒だと私は思います。仕事はそもそも生きるためにやっていることなのですから。

✔️仮に離職することになっても、まだ人生を諦めないでください。傷病手当金や失業保険、会社が加入しているのであれば所得補償などが受けられると思います。あとは、障害年金。最悪、生活保護があります。受けられる制度はいろいろ活用してなんとか生き延びましょう。つらいですが……。

以上です。精神疾患で苦しむ人たちの参考になるかはわからないですが、誰かの役に立つことを願います。

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